福島から 6 年かざぐるまデモ 2017 in Berlin-原発のない未来を!

2017年3月11日、福島第一原子力発電所の事故から6年目のこの日、私たちSayonara Nukes Berlinは、在独団体のAnti Atom BerlinNaturfreundeと共同で、今年もまた希望の象徴であるかざぐるまを手に、福島帰還政策の廃止や賠償金の継続を訴え、世界中の脱原発と自然エネルギーへの転換を求めてかざぐるまデモを行った。

ⒸTsukasa Yajima

集合時間を前にジャンダルメンマルクトでは、ベルリンに在住するアーティスト松崎大地さんのライブペインティングと小野史敬さんのパーカッションのパフォーマンスも。

 

NaturFreundeのウヴェ・ヒクシュ(Uwe Hiksch)さんによるはじまりの挨拶。ⒸTsukasa Yajima
福島第一原子力発電所事故被害者の武藤類子さんから欧州に寄せられた手紙で福島の近況を読み上げるSayonara Nukes Berlinの梶川ゆう。 ⒸTsukasa Yajima

この日のスピーチのいずれもが素晴らしいものであったので、その一部を和訳で紹介したい。

 

 

 

Ruiko Muto

福島第一原子力発電所事故被害者で三春町在住の武藤類子さんは、欧州に宛てて書かれた手紙の中で、福島県の原発事故は今も収束してはいないこと、事故のために人生を大きく変えられてしまった避難者たちが国と福島県の帰還政策によって住宅無償提供の打ち切りを強行されていること、刻一刻と避難指示が解除されていく地域には除染廃棄物が山積みされ、減容化のための焼却炉が作られていることなどを伝えた。

武藤類子さんのスピーチ和訳

ゴアレーベンからかざぐるまデモにかけつけてくれたElisabeth Hafner-Reckersさん             ⒸTsukasa Yajima

ゴアレーベンの市民グループ環境保護 Lüchow-Dannenbergの副理事長であるエリザベス・ハフナー・レッカース(Elisabeth Hafner-Reckers)さんは、私たちは福島の事故のもたらした出来事から警告を得て目を覚まし、起こりうる災難をどうしたらいいのか考えていくことができること、世界中のたくさんの人たちと一緒になって、エネルギーを産むほかの方法を取り、ライフクオリティーの高い(経済)成長を要求していくだけの心の準備のある現実主義者であると述べた。

Elisabeth Hafner-Reckers さんのスピーチ和訳

放射線テレックス(放射能、放射線および健康に関する 独立情報誌)発行者Thomas Derseeさん     ⒸTsukasa Yajima

放射線テレックスの発行者であるトーマス・デアゼー(Thomas Dersee)さんはたびたび訪れる福島で、事故後のがれきや除染などによって出る廃棄物の黒い袋が山積みになっている様子と、2016年6月末には日本の環境省が汚染土の再利用を許可しており、これらが道路や堤防作りなどの公共工事の基礎に使われることになってしまっていること、ドイツでも廃炉となった原発から解体されて出てくる放射性廃棄物のほとんどが、再利用されるか一般の家庭から出されるごみと一緒にゴミ捨て場に廃棄されていると話してくれた。

Thomas Derseeさんのスピーチ和訳

Greenpeace Energyの風力発電がかざぐるまのイメージにぴったりであると、昨年から私たちの活動を支援してくれている。広報担当のChristoph Raschさん    ⒸTsukasa Yajima

Greenpeace Energyの広報担当者であるクリストフ・ラシュ(Christoph Rasch)さんは、自然環境的にも、経済的にも、倫理的にも原子力発電にはもはや破綻が来ているにもかかわらず、我々の近隣諸国は原発ロビーのプレッシャーに屈服し、欧州諸国でまたも原発の新設が計画され欧州委員会によって許可が与えられることとなっている現実と、消費者として私たちが取り組むべきことを訴えた。

Christoph Raschさんのスピーチ

 

 

Mad World Danceとして風刺パフォーマンスを見せるベルリン在住のダンサーたち                                  ⒸTsukasa Yajima

デモ行進を終え、到着地のブランデンブルグ門前では、今年もダンサーで振付師である、BodypoetことKazuma Glen Motomura率いるMad World Dance が原発に物言えぬ市民たちをテーマに風刺パフォーマンスを見せてくれた。

 

今年も木内みどりさんから贈られた”福島を忘れないで”のバナーが思いを一つにベルリンの中心地を行進した。ⒸTsukasa Yajima

好天に恵まれるも参加者は例年より少なく、未だ収束されるには程遠い福島の事故への関心が薄れていくのを感じると同時に、私たちがこの活動に今後とも取り組んでいくことの大切さをあらためて考えさせられる年となった。

原発のない未来を求めて! ⒸTsukasa Yajima
ⒸTsukasa Yajima

この日のはじまりにライブペイントで描かれた松崎大地さんの作品を、経費とアーティストへの謝礼と引き換えに希望者にお譲りします。下記メールアドレスまで、どうぞお気軽にお問い合わせください。

sayonara-nukes-berlin[at]posteo.net

[]のatを@に変えてご送信ください。


報道:

“Für Zukunft ohne Atomanlagen!” – Sechs Jahre Fukushima: Demo gegen Atomkraft in Berlin | rbb Rundfunk Berlin-Brandenburg

Abendschau/ rbb Rundfunk Berlin-Brandenburg

Demonstration gegen Atomkraft in Berlin | evangelisch.de


Foto:

※Sayonara Nukes Berlinは、プロの写真家の方からイベント時の写真を提供していただいています。お写真を二次使用される際には、かならず撮影者にお問い合わせの上、キャプションにそれぞれの撮影者の名前をおつけください。

Tsukasa Yajima


動画:

Nobel & Frei

Mahnwache Kanzleramt


Blog:

5度目のデモ ~Kazaguruma Demo 2017~ : チーム名はファミリエ・ベア ~ハイジが記すクマ達との日々~

 

福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会 (3)

「科学的」と「安全」について

この他の学年用のビデオでは「科学的」という言葉もあった。科学的に測るとか,あるいは科学的に安全というようなことも良く言われる。しかし,私にはそのビデオで言っている「科学的」の意味がわからない。なぜわからないのかを説明しよう。まず,私の考える科学的についてちょっと説明する。

科学的ということに関しては様々な解釈があるだろう。私が思う科学的とは,「世界を観察し,繰り返し観察される共通となるような真実をもとに,その観察される現象をより理解可能な要素に分解し,それを論理的に組みたて,理解のための仮説を提案し,実験により確認して,世界の理解をすすめていく方法」と言ってみようと思う。しかし,これではかなり難しくなってしまった。これも何を言っているのかわからないということになりかねない。そこで,一つ例の話をしよう。それからまた戻って考えてみて欲しい。でもこれは私の考えでしかないことにも注意して欲しい。(ただし,ここにあるものとかなりの部分は共通している)

「食べ物は胃で消化されるのに,どうして胃は溶けてしまわないのだろうか?」という話を私の言う意味で科学的に考えてみる。ここでは胃で食べ物が消化されるということはわかっているとする。それは観察されることで,この議論に加わる人達は皆共通の真実と考えたとしよう。そこで,この議論に加わっていたロッコさん(仮名)が仮説を言ったとしよう「胃は消化されないものからできている」この仮説は食べ物は消化されるが,胃が消化されないということをモデルにする考えだ。とてもいいと思う。では,これを確かめられるか? ひとし(仮名)さんが「中華料理には胃の料理がある」ことに気がついた。では,皆でそれを食べて実験してみよう。そうしたら,ひとしさんなど複数の人が次の日にトイレに行って,胃の料理が消化されたことを確認した。つまり,胃そのものは消化される。これでロッコさんの仮説は棄却されてしまった。そこで他の仮説を考えてこれが説明できないかを考える。人間の胃袋は動物とは違うという仮説も可能であるが,そうすると動物の胃袋は動物自身に消化されないことの説明ができないので仮説としては(世界の現象を理解するすすめにならないので)あまり意味がない。

これが私の言う科学的方法というものだ。観察し,それがなぜかを考えて仮説をたて,仮説に基いて検証し,間違いならさらに仮説をたて,現象への理解を深めていくことだ。この例では,問題を分解するなどなどはしなかったので,「世界を観察し (胃が消化されない),…,理解のための仮説を提案し(胃は消化させないものでできている),実験により確認して(胃袋の料理を食べ,トイレに行く),世界の理解をすすめていく方法」ということになる。この話ではまだ「食べ物は胃で消化されるのに,どうして胃は溶けてしまわないのだろうか?」の結論はでていない。科学的方法自体には結論がでていないものも多いから,ここでは結論は出さなかった。私の言う科学的とはプロセスであって,科学的とは何かがわかっていることとも違うこともわかって欲しいからだ。

「科学的に放射線を測る」ということがこのビデオで出てきた。特に中学年用の 7:35 秒は衝撃だった。「では,どうしてこのように放射線の量がわかるのでしょうか? それは,放射線は測ることができるからです。」である。これはトートロジーである。広辞苑には「トートロジー,同語反復: 定義する言葉が定義さるべきものを言葉通り繰り返す定義上の虚偽。」と説明されている。

「なぜ今日はあたたかいのでしょうか? それはあたたかいからです。」「車はどうして走ることができるのですか? それは車だからです。」これらは理由の説明になっていない。どうして? の解答ではない。「なぜ放射線は測れるのか? それは測れるからです。」これが放射線についての理解を深める教材ビデオのした説明である。これを科学的と言うことには衝撃を受けた。このどこに科学があるのだろうか。科学的理解とは観察し仮説をたて実験して検証するプロセスを通して世界を理解していくことだ。どうして放射線は測れるのか? に対し,例えば,歴史的な経緯で,蛍光版が反応していることに気がついたとか,感光板が感光してしまうことに気がついて存在がわかってきた,とか,そういうことは言えなかったのだろうか。。霧箱が本当に放射線を可視化しているのなら,どうして霧箱周辺を放射線計測器で測って対応を見せなかったのだろうか? 霧箱が測定できる放射線と,γ線の測定器の測れる放射線が違うからか? しかし先生は,「このように身の回りにあって測れる」と言ったではないか。なぜそれを科学的に証明しようとしないのか。ところで,
霧箱を作っている会社のページにはこの霧箱は自然の放射線を見せているのではなくて,霧箱内部に置いたラドンなどの核種を見せています。とある。この製品はガラスと金属に覆われているので,α線やβ線は入ってこれないからです。とある。確かに先生は,α線は紙でも止まりβ線はアルミニウムなどの板でも止まると言った。説明はおかしくないだろうかと確認すると,「普通の生活では見えない放射線も霧箱の中では観察できる。このように身の周りに放射線があるのです。」と説明している。これはどういうことなのだろう?

私はこのビデオの「科学的」に「科学」を見ることができない。だからここで言う科学的の意味がわからない。ファインマンという物理学者がこういう説明を批判して,何もわからないのなら,どんな名前でも同じじゃないか。と言う話がある。それはエネルギーの話だったが,ここでも同じことができるだろう。放射線のお話とは言わなくてもいい。ヨダソウのお話とでも言えばいい。ピッと音がなるたびに,ヨダソウが通った。科学の力でヨダソウの存在が測定できるのです。すばらしいですね,ヨダソウ。

科学的と言う意味を考えずに,科学的というだけでそれが正しいの同義語などと考えるのはやめにしよう。理解しなければ,それはヨダソウにすぎない。「ヨダソウとは何か? ヨダソウのことだ。」では理解にはならない。

では,時々聞く「科学的に安全」とはどういうことなんだろうか。まずそこには何が「安全」なのかを知らないといけない。「安全」の意味は何か? 「安全」の定義とは何だろう。誰がそれを決めたのか?

以前,SNBのメンバーに何 mSv では安全とか科学的にわかっていないのか? という質問を受けた。私の定義での科学的に知るためには,前にいったように,安全とは何かを定義し,それを観察して,ある現象に対して仮説をたてて,それをまた検証しなくてはいけない。

たとえば,年齢別に 1万人の人を集め,半分の人達に放射線を浴びせ,もう半分の人達は放射線を浴びせずに,その違い以外は同じ生活をしてもらう。そしてその量と病気などの関係を長期間に渡って調べる。これによって科学的な実験ができる。しかし,それは倫理的にできるのか? 放射線は 100 mSv まで安全という人に,99 mSv を浴びる実験台になってもらうべきだという意見の人もいたが,そういう実験をするのは科学の前に人間として許されないという問題がある。そうすると科学的に実験によって危険性を確かめることはかなり難しくなる。

私はこういう危険なものの安全性を確かめながらおっかなびっくり使うよりも,そういう問題がそもそもないエネルギー源を使えばいいじゃないか。そういう技術はけっこうあるじゃないかと思っている。まあ,それには異論もあるだろう。でも避けられる危険なら避けたほうがいいと思う。我々にはそういう技術がある。

例として,ウクライナでの放射線の安全性というのは,人間が 100 mSv を越える放射線を浴びると危険であるという説に基づいている (アメリカ合衆国国立生物工学情報センター).  ここでは,These data provide clear evidence of radiation-induced cancer risk at doses above 100 mSv. とあり,「これらのデータから,100 mSv を越える線量を浴びた場合にはガンのリスクがあるというはっきりした証拠が提供される」とある。しかし,前回の「寄らば切る」の話のように,100 mSv 以下なら安全とはこの研究結果でも「言っていない」のだ。実は 100 mSv では危険は確実というこの同じ報告の中で, 10 mSv から 100 mSv でも危険があるかもしれないと言っている部分がある。しかし,10 – 100 mSv でも危険があるかもしれないという部分はほとんど聞くことはない。

そこでウクライナでは人間は 100 年位の寿命があるとして,1 mSv/yの場合,一生で 100 mSv だから,この基準にしようとした (ウクライナの事故への法的取り組み)。

日本で 20 mSv/y で帰還していいという人達は,もしもウクライナと同じ説に基づくなら,人はここには 5 年は住まないから大丈夫という「安全」を考えたのかもしれない。それならば何らかの理屈が見えてくる。20 mSv/y × 5 y = 100 mSv なので,これ以上の滞在は危険とわかっている。だからこれ以上は住まないように,という基準なのだろうか。ちょっと待って欲しい。前回の「寄らば切る」の話を思いだそう。ここから先は危険なのは確実としても,それ以下は安全とは「言っていない」。「安全」とは何かを知らないのなら,落とし穴に落ちることになるだろう。数値がどうかなんてのはこのように安全の定義を変化させればいくらでも操作できる。

つまり,少なくとも 2 つの説明が必要だ。1. 「安全」の定義は何か? 2. 「科学的」とはどのように調べ,どのような証拠が得られたのか。これについて定義がなく。説明がないのなら,それは私の言う科学的ではない。

「安全」とは何か。誰がどうやって決めたのか? たとえば,どこかが毒で汚染されていて,でもそれが安全という場合,安全というのはどういう意味か。それはその毒を摂取した場合,1 年は生きていられるという意味なのか? それとも 2 年は生きていられるという意味なのか? 100 人その毒を摂取したら,次の日には 3 人しか死ななかったので,97 % 安全です。などということもあるかもしれない。100 人のうち 3 人死んでいるが,97 % の生存率ならばすごい安全だ。そういう定義かもしれない。この場合,1ヶ月後には 100 人全員死亡しているかもしれない。それでも,1 日の生存率ならば嘘は言っていない。1ヶ月後,全員死亡しましたが,安全です。ということも,この定義ならば科学的にも論理的にも正しい。だから論理的とか科学的と言うことで「はいそうですか」というのはあまりにナイーブだ。私は怖い。100 人のうち 97 人が 1 ヶ月無事だから安全です。という意味の安全だったら,それを私は「安全」の定義として受けいれられるのか? 安全の意味を知らなければ,安全ですと言われただけでは何も意味がない。

そして,「科学的」とは何だろうか? どうやって検証されたのか。この場合,その毒を実際に多数の人間に摂取させてわかったのか? いったいどうやってわかったんだ? どこにエビデンスがあるんだ? 科学的の定義が違う人もいるかもしれないが,仮説をたて,実験をして理解を深めるという私の定義では,実験されないものは科学的ではない。特にたまたま一人で実験して大丈夫でしたというのは一回限りで再現性がないので科学的とは言い難い。まず,科学的と言う人に,あなたの言う「科学的」とはどういう意味なのか,私は尋ねざるを得ない。

だから私は新聞などで説明のない「科学的に安全」という言葉を見る度に,どういう意味なんだ。と考えてしまう。これは私にはあいまいな言葉で,ほとんど何も意味していない,非科学的な言葉だ。

今回の放射線のお話のビデオでは,多岐に渡って考えることが多かった。もっと多くの議論ができることと思う。私はできれば,このビデオを見た子ども達と一緒に考えていきたい。科学的とはどういうことか。メッセージは何だったのか。どうしてこのようなビデオができたのか。そして,このビデオを見せている先生には,子どもが社会に出て生きていけるように,自分で考えることについてぜひ少しヒントをあげて欲しい。この文章がそのヒントの 1 つになってくれると嬉しい。

現実は厳しいものだ。夢の中で生きていく方がいいかもしれないこともある。しかしそれができるのは一部の人達だけで,ほとんどの人達には現実は情け容赦なくふりかかってくる。現実を認識し,それに向かっていくときに考える方法が少しでも見え,それが子ども達の未来を少しともしてくれることを願う。そしてそれを子ども達と議論することが,大人としての責任ではないだろうかと思う。

根拠もなく,安全だ,大丈夫だ。僕達はすごいんだ。では子ども達を守れない世界にしてしまったことを,子ども達にすまなく思う。一番簡単なことは,誰かのせいにすることだ。しかし,それでは子ども達は守れない。でも,そのままで良いと私は思わない。

だからまずは知って考えていこうと思う。

今回の勉強会の講師は「廃炉のおはなし」と同じふくもと氏でした。ありがとうございます。
記録は私,ひとしでした。

最後に,「ヨダソウとは何か」ですが,後ろから読むとわかるかもしれません。本当です。ヨダソウ。

ひとし

福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会 (2)

2.2 放射線のおはなしビデオ

放射線のおはなし(低学年)というビデオをマー君達と見て,僕らは少し話し合った。このビデオの話のすじはこういう感じだ。(読者にはもし機会があれば実際のビデオを見て欲しい)

放射線について勉強しましょう。

でもまず「生きるために必要な 4 つのこと」を考えましょう。

水は生きていく上で必要なものです。
土は生きていく上で必要なものです。
火は生きていく上で必要なものです。
空気は目に見えないけれども生きていく上で必要なものです。

では,目に見えないけれどもまわりにあるものについて考えます。
宇宙はどこにありますか? 空の高いところにあります。
太陽から届くもの,それは光,熱,紫外線,放射線です。

私達の身のまわりには放射線がある。放射線は見ることも音として聞くこともできないが,測ることができる。

放射線はレントゲン写真として役にたっている。
放射線を使って殺菌することで役にたっている。
放射線はジャガイモの芽がでないようにするために役にたっている。

原子力発電所では,生活の役に立つ電気を作っていた。
東日本大震災が起きて,事故で放射線が漏れ人々が避難した。
どうして人々は避難したのだろう?

火は沢山あると火事になる。
水は沢山あると嵐や台風で洪水。
火や水と同じく放射線も多すぎると危険,だから避難した。

これから放射線について学んでいきましょう。

別にいい話じゃないかと思うかもしれない。マー君はどういうメッセージを受けとったかな。メッセージって何かって? どんなお話にもメッセージがあるんだ。そのお話を作った人が伝えたいことだよ。僕が君に話をする時は少なくともそうさ。お化けとか河童のおはなしもそうかって? もちろんさ。お化けってのはね,死ぬというのは怖い,良くないことだという考えを伝えるためさ。それが本当に怖いことか良くないことかはもっと大きくなってから自分考えて欲しい。できれば僕と同じように怖いと思ってもらえるといい。命は大切だと思ってもらえたら嬉しい。河童の話? 河童は子どもを食べるんだよ。だから川に行かないようにっていうのさ。これはね,大人の都合だけど,子どもが川で溺れないようにするためさ。怖い怪物が川にいるなら,川には行きたくないだろう。でもマー君,川には本当に河童がいるから一人で行ったりしてはいけないよ。

このビデオの話は,もう少し短くすればこんな感じに受けとめられたかもしれない。

火や水や土や空気は生きていくのに必要なものだ。
火や水や土や空気は身の回りに昔からあったものだ。
放射線も身の回りに昔からあったものだ。
火や水は多すぎたら危険だけど,少なければ大丈夫。
放射線も身の回りにあっていろいろと役にたっているんだよ。

君は僕の授業を受けているから,大人も先生も間違うし,言いたくないことは言わないってわかっているよね。でも,僕は君に伝えたいことがあるし,それがいいものと信じて話をしている。でも僕にも間違いがあるかもしれないから,君には自分で考えて欲しい。たとえば,算数やかけ算は君が大人になれば習っておいてよかったと思うものだとわかってくれると思って教えているんだ。理科だってそうさ,知らないと君を騙そうとする人に対処できない。この水を飲めば癌が直るとかね。本当に直るのもあるかもしれないよ。でも,そうじゃないことだってあるんだ。それは君が自分で判断しないといけない。残念なことに君を騙そうという人がいないとは僕には言えない。だから賢くなって欲しい。騙されなくなって欲しい。

このビデオの話はまず,最初の 5 分間は放射線の話がない。「放射線のおはなし」なら,「放射線とは○○です。」というふうに始まっていいと思わないかい? マー君について説明するお話なら,僕はまず「マー君とはこういう人です」というふうに話をはじめると思う。でも,ここでは 6 分間も放射線の話をしないんだよ。そして火や水や土や空気の話をするんだよ。僕はね,関係ない話をえんえんとしていると思ったね。君はどう思った? 放射線のお話なら,放射線の話をすればいいじゃないか。6 分と言えば,このビデオの 3 分の 1だよ。どうして関係ない話を 3 分の 1 もするんだろうね。考えてみてよ。放射線と水は関係あるんじゃないかって? ないわけじゃないけど,でも水は放射線じゃないし,土は放射線じゃないよ。

そして,

火や水や土や空気は生きていくのに必要なものだ。
火や水や土や空気は身の回りに昔からあったものだ。
放射線も身の回りに昔からあったものだ。

という話になった。ここで,君は素直だから,放射線は生きていくのに必要なものだ。と思ったんじゃないかい? アルキメデスの 4 元素を出してきて,それは身の回りにあります。昔からあります。生きていくのに必要なものです。と言われて,実は,放射線も身の回りにあります。昔からあります。と言われたら,「生きていくのに必要なものです。」と思う人もいるかもしれない。でもそれは言っていないよ。「それは言っていない」んだよ。

  • ウイルスだって病気だって,身の回りに昔からあったものだ。
  • 毒キノコや,毒ヘビだって,身の回りに昔からあったものだ。

これも「言っていない」んだよ。関係ないから? そうさ。火や土だって,放射線とは何か, の話に何の関係がある? でも言っている。身のまわりに昔からあるものが全て生活に必要なものだなんて言っていない。火を燃やせば二酸化炭素が出る。部屋を占めきって火を燃やせば,二酸化炭素中毒でたいへんだ。二酸化炭素だって昔からあった。身の回りに昔からあった。どうして二酸化炭素の話はしないんだろう?

「放射線も身の回りに昔からあったものだ。」

だから何なのだろう。このお話を作った人が何が言いたいのか考えよう。メッセージを考えるんだ。何がここで言われなかったのか。この教材はとてもすばらしい批判的にものを見る教材になる。でも,君の年では先生のガイダンスがとても重要になる。

僕達は安全ということを考える。君達には安全で健康で育って欲しいからだ。それは親の多くが思うことだ。放射線を学ぶ教材が作られたと聞いて,僕は君達の安全と健康のためにこういうビデオが作られたんだと思ったよ。

でもここでは安全という話はあまりなかったね。放射線がどういうものかもあまりなかった。結局身のまわりにあって宇宙からきたりするものらしい。まあ,難しいからかもしれない。でも安全についてこのビデオでは言って欲しかった。役に立つかどうかばっかりだ。役に立つならいいことじゃないかって? うーん。

役に立つことと安全かどうかは別の話だ。包丁やナイフだってとても役に立つけれも,そのままで安全なものではない。車だってとても役に立つものだけど,子どもが運転していいものではない。責任ある大人が試験を通ってやっと使わせてもらえるもの,そういう意味では危険なものだ。役に立つならなんでもいいというわけじゃないし,それは誰にでも安全かどうかはあまり関係がない。

レントゲン写真は役に立つだろう。でもレントゲンを取ったことのある人なら,レントゲンを取るお医者さんがその部屋から毎回出ていくのを知っているだろう。レントゲン写真で使う X 線も人間の体には害を及ぼすからさ。そこにいたら危険なんだ。だからお医者さんはいつも他の部屋に行くんだ。役に立つものでも危険なものはいっぱいある。

放射線を使って殺菌する。それは役に立っていることだろう。でも,菌というものも生きものだ。それを殺すことができるということはどういうことか考えてみよう。紫外線と似ていると言う。日焼け位した方が健康だという人もいるかもしれない。多いといろんなものが危険になるというのは,まあ僕も賛成だ。紫外線だって浴びすぎれば病気になる。ガンの放射線治療というのも聞くだろう。ガン細胞はとてもやっかいでなかなか死なない。それを殺すことができるような強い毒を使うこともある。そのうちの一つが放射線だ。放射線ほどガンを殺す能力が高いものもなかなかないからだ。役に立つということと安全というのは同じことではない。それはこのビデオでは言っていなかった。火や水は僕たちの生活には絶対必要だ。でも先生の言うことを良く聞いてごらん。放射線がないと僕たちは生きていけないとは「言っていない」んだよ。火や水が多いと危険なように,放射線も同じように多いと危険だ。と言っていたけど,放射線がないと,僕たちは死んでしまうとは「言っていない」んだよ。気がついたかい?

放射線でジャガイモの芽がでないようにする。これを役に立つ例として出してきたのはすごいね。じゃがいもはじゃがいもの植物の子どもだ。子どもが成長しないようにする。これはどういうことなのか,考えてみよう。これはビデオを作った人もここまできたら,役に立つということと安全とは関係があまりないことだと伝えたかったのかもしれない。

ビデオの中の放射線によってじゃがいもの芽がでないようにする説明部分。勉強会にて
ビデオの中の放射線によってじゃがいもの芽がでないようにする説明部分。勉強会にて

役に立っていたということが繰り返されたのは,これは伝えたいことだからなのだろう。しかし,役に立つことというのは,どういう意味なのかな。役に立つには,誰かがいないといけないね。誰にとって役にたったのだろう? 原子力発電所の事故で人々が避難しなくてはいけなくなった。その場合,避難した人々の生活には役にたっていないみたいだ。役に立つとはどういうことだろう。多分,役に立つことはいいことだ。って誰かに言われてきたんだよね。それはいつも本当なのかな。そうじゃない時もあるかもしれないんじゃないかな。いろいろと考えることが増えちゃったな。

あと,世界中の人がある量の放射線を浴びているというのもあったね。地域によって違うとかはあっても,自然放射線を浴びていること自体は本当だろう。それでどう思った? 世界中の人が浴びているのなら心配はないって? どういうことかな。

たくさんの人がしていることは安心できるってこと? うーん。この場合,自分で選んでないとか,もっと大事なのは,自然にあるものに追加された量がどうかなんだけど。。。皆が同じなら大丈夫ってこと? なるほど。そうだね。じゃあ煙草は,たくさんの人が吸えば安全になるのかな。世界中でもっと多くの人がすえばもっと安全になるのかな? 皆が吸った方が安全になるの?

この場合,「どれだけの人がするか」と「安全」とは関係がないとは思わないかい。煙草を吸う人が増えれば増えるほど煙草が安全になるかというと,煙草自体は変化していないのだから,個々の安全性は関係ないと思うよ。放射線を世界中の皆が浴びれば浴びるほど安全になるなら,皆で放射線を浴びればいい。本当にそうかな? この場合には皆がやっているというのは皆がやっているというだけのことだ。ここで重要なのは,このビデオが「皆が浴びているんだ」ということで何を言いたいのか,どんなメッセージを送ろうとしているかを考えることさ。「赤信号,皆で渡れば怖くない」という冗談が昔あった。「放射線,皆で浴びれば怖くない」というメッセージ?これはちょっとブラックだったかな。何を言っているかわからない? まあ,考えてみてよ。「考えてみて」ばっかりだって? 僕が答えを全部あげられることはない。だから君には今から考えて欲しいのさ。

僕の頃は論理の基礎は中学で習った。マー君はまだ 9 歳だから,論理についてあまりちゃんと習っていないかもしれない。でも,こういうビデオを見なくてはいけないのなら,もっとちゃんと習わないといけないね。大変だねえ。僕たちは言葉で考えるのだから,その言葉の使い方を,何を意味しているのか,何を意味していないのかを考えなくてはいけない。その助けになるのが論理というものだ。でも実は意味を理解していないとあまり助けにならない。

私の好きな先生の本に,論理の話があって,「寄らば切る」と言うさむらいの話がある。ある時,ある町人はそのさむらいの近くに寄らなかったのに,そのさむらいが切りかかってきた。「寄らば切ると言ったじゃないか。俺は遠くにいたじゃないか。どうしてわざわざ近くに寄ってきて切りかかってくるんだ」という町人に,「寄ってこない時に何をするとは言っていない。寄らば切る。とは確かに言ったが,寄らずとも切る。それだけだ。」とそのさむらいは言った。ひどいさむらいだと思ったよ。寄らば切ると言っただけだ。でも,確かに「寄らずとも切る」とは言わなかった。くやしいけどさむらいは論理的には間違っていない。でもひどいとは思わないか。論理的に正しいけどひどいよ。論理的に正しいからいいなんてこともないんだ。論理は考えの道を照らしてくれるけど,そこに進むかは君次第なんだ。そこに穴があると教えてくれても,そこに進んで落ちるかどうかは君次第なんだ。だから勉強するのはいいけど,勉強したからってそれだけじゃだめなんだ。勉強するとか努力することが考えもせずにとにかくいいことなんて信じてはいけない。どうして勉強するのか,どうして努力するのか考えて欲しい。「また考えてみて」だって? まあ,そうなんだけど。

火は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
土は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
水は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
空気は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
放射線は身のまわりにあります。

このビデオはこう言っていたね。僕は「寄らば切る」のさむらいよりも,くどいだけひどいと思ったね。よくわからない? うーん。そうだなあ。僕はね,マー君がこういうビデオを見た時に,ちょっとだけ考えて欲しいんだ。先生が言ったことは素直に聞くものだと先生に言われた? 確かに。それで君の安全と健康が守られるなら,僕もそう言うだろう。君が将来安全に生きていけるならそれでいい。でもね,もしかしたら,僕達は君の安全と健康を守れないかもしれないと,僕は思うようになったんだ。こんなことを君に教えないと君が将来困るかもしれないということになってしまった。ゴメンネ。でも,僕がしてあげられるのは,こんなふうに考え方をちょっとだけ教えてあげることだけなんだ。

え,どうして僕がこんなことを話すかって? いいところに気がついたね。むしろ気がつかなかったら困ったことだった。ビデオを作った人達と同じように,僕も君に伝えたいメッセージがあるからさ。ここにあるのは僕のメッセージだ。このビデオを作った人が伝えたいこととは多分,別のメッセージなのだけどね。どうして僕が君にこういう話をするのか,それを考えるのもとてもいいことだと思うよ。

君が僕を考えずに信じたらそれは残念なことだ。僕の言うことを疑って考えて自分で理解して欲しい。僕の言うことをそのまま信じるような人になっちゃあいけない。僕も間違いをする。「考えてみてよ」でしょうって。その通り。「ひとしさんが,ひとしさんを信じないようにって言うけど,信じないようにってことを信じたら,ひとしさんの言う通りだ。でもそれは駄目ってひとしさんは言うのでしょう。何もできないよ」って? まいったな。いや,すばらしい。マー君,君は論理学を本格的に学ぶ準備ができているよ。

僕が君にこういうことを言うのは,簡単に言えば,この社会には民主主義という方法があって,その場合,大多数の人が騙されたら,僕もその人達と一緒に強制的に騙されないといけないことが多いからなんだ。そして僕は騙されたくない。だから,騙される人はできるだけ少なくしたいんだ。なんだい? 自分が騙されたくないだけかって? エゴと言われるかもしれないけど,確かにそれは大きな動機だよ。僕も若い頃は,僕だけ騙されなければいいと思っていたこともあったよ。でも皆が騙されないようにならないと,困るというのも本当さ。もちろん僕がマー君を好きで,君が騙されて欲しくないといういうのもあるから,君にまず話をしているんだけどね。

マー君,君が自分で考えて理解して判断するようになりますよう。皮肉に聞こえるかもしれないけど,このビデオは批判的思考法を鍛えるにはとても良いビデオだった。本当だよ。マー君には,情報が来た時に,「何を言っていないのか」「メッセージは何か」を考えて情報に触れるようになって欲しい。

紫外線の説明と放射線の説明を並べたもの。紫外線も放射線も目に見えないと説明しながら,矢のような形をしており,放射線にだけはさらに「目」がついている。さて,このビデオの作者は,何を意図して放射線だけに「目」をつけたのだろう? 考えてみよう。
紫外線の説明と放射線の説明を並べたもの。紫外線も放射線も目に見えないと説明しながら,矢のような形をしており,放射線にだけはさらに「目」がついている。さて,このビデオの作者は,何を意図して放射線だけに「目」をつけたのだろう? 考えてみよう。

次回はこのビデオの語らなかったもう一つのこと,科学的と安全ということについて話をしよう。

ひとし

福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会(1)

1. 勉強会報告について

1 月に SNB では,福島で行なわれている放射線教育のビデオ教材についての勉強会がありました。この記事はその報告です。この報告は 3 回に分かれています。

今回の報告では,教材の内容についてよりも,私がこの教材を見てどのようなことを考えたかについて書くことにしました。

視点としては,私が一番なじみのある,技術者の目を通して見たらどうなるのか,を考えました。ある意味,このビデオは平凡な物を作っている技術者の持つ,critical thinking から見て面白い教材です。これを教材に他のビデオを見る目を考えることを念頭に置きました。

私はソフトウェア技術者なので,ソフトウェアの不具合 (それをソフトウェア技術者はソフトウェアのバグ (虫) と言います) などを追いかけることがあります。この場合,ソフトウェア技術者はある意味,探偵の目でバグを追いかけます。どこかにソフトウェアの問題になる犯人 (バグ) が隠れている。なぜ犯人が隠れているとわかるのか? それはたとえば,ソフトウェアがクラッシュするなどの目に見える症状があるからです。そこでその症状を起こす犯人がここにいるのならこれがあるはずという仮説をたて,それを検証していきます。また,もしそれがないということはここにはいない。というふうにも考えていく視点です。あるいはそれがないということは,この犯人はこうしたはずだ。というふうに「何かがない」ことも犯人を追う一つの手掛かりになります。ソフトウェアの場合には,犯人を追うための道具にバグがあったり,ある時には,コンピュータ (ハードウェア) が実は壊れていることもあります。そういう意味では探偵仲間に裏切りがあることもあります。しかしこの記事ではそこまでは考えませんでした。今回は,このビデオが何を言ったのか,そして何を「言わなかった」のかを考えることになります。

また,「科学的」と言えば,いいことだとつい無条件で考えてしまう,「役に立つ」ものなら無条件でついいいことだと考えてしまう,「安全」と言えば,その安全の意味は何かは実はあまり考えたことがない。そういうこともよくあると思います。そんなことも一歩立ち止まって考えてみたらいいのではないかなと考えて書いてみました。

この勉強会については私のような視点だけではなく,他の視点からもいろいろと書けるのではと思います。少しだけふれますが,一つとしては,このビデオについて情報リテラシーという観点で書くのも面白いと思います。

しかし,キュービズムのように同時に複数の視点を表現することでものをとらえる,というのは,私には荷が重く,その点は私は今回はできませんでした。他の視点からのブログを書いてみたいという人はぜひお願いしたいと思います。

お楽しみ下さればと思います。

2017-1-21 福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会の様子
2017-1-21 福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会の様子

2.1 はじめに

今回,Sayonara Nukes Berlin では,福島県教育委員会の作成した,放射線教育用学習ビデオ教材 (平成 27 年 3 月) を 2017 年 1 月 21 日に見る機会があった。

正直,このビデオを見て私は愕然としてしまった。私はその内容についての意見もあるが,それ以前にも,この製作者の考える教育についての疑問である。このビデオを作成した人達がどうしてこのような形でこのビデオを作成したのか考えざるを得なかった。

私の考える教育には,「子ども達が社会に出た時に生きていけるようにするための知識や考え方を訓練する」ことも含まれている。私達の社会は残念ながら理想郷ではない。だからものごとを筋道たてて考えることを子ども達には学んで,そしてできるだけ騙されないように生きていって欲しい。良い人ばかりなら,「君はとてもすばらしい。」とだけ言って育てればいいかもしれない。しかし,たとえば仕事を探すことを考えてみたら,今の社会ではただそこに存在するだけでは生きることは難しい。多分,それは社会の方が間違っているのだろうけれども,では私は子ども達に社会が間違っているから,生きていけなくて残念だねとは言えない。そこで,それぞれの個性の中に,他の人達を助けられるような,そういう部分を伸ばしていって,そして生きていって欲しいと願う。それは私のエゴでもあろう。でも,私は自分や友人の子ども達が世界の中で生きていけるようにするためにできるだけのことをしたい。

ここでは私の視点が述べられる。それは私の経験などに基づいている。だから,私の書くことが唯一の真実だなどとは言わない。私は技術者で物を作っている。物が設計したどおりに動くかどうかは私の感情や希望とは関係がない。私がそこにある物理などを理解しているかどうかに多くがかかっている。私はそういう視点からこのビデオについて議論をしたという話をしたいと思う。他の視点からのアプローチもあるはずだ。それはまたいずれ他の人が書いてくれるだろう。

だから,私は今回はちょっとした寓話の形でこの教育ビデオについて書いてみたいと思う。私には,他に良い話の仕方がわからなかったからだ。そして,私はこのビデオを作った人達に関しては実はあまり関心がない。これを見る子ども達,そしてその親や先生達に考えてみて欲しい。私達は現実の中に生きている。夢の中に生きて,何もしなくても生活ができるような,めぐまれた人達は,現実を認識する必要もないかもしれない。自分が何もしなくても世界ですばらしいとほめてもらってその夢の中で生きていける人達はそれでいい。しかし,そうでない私のような人間は現実を認識し,生きていかなくてはいけない。

甘い言葉ばかり聞いているのは,お菓子ばかり食べているようなものだ。時々食べるお菓子は心にうるおいをもたらしてくれるだろうけれども,それしか食べないのでは,病気になってしまう。私は子ども達にお菓子もあげたいが,でも,ちゃんとした食事もして欲しい。

このビデオについての目的は,福島県教育委員会のホームページ(http://www.pref.fks.ed.jp/committee.html) からのリンクにある相双教育事務所のページでみつかる (http://www.sousou-eo.fks.ed.jp/07%20%E2%85%A6_%E5%8F%82%E8%80%83%E8%B3%87%E6%96%99.pdf) それをまず書いておこう。

指導の重点

  1. 学校や地域の実状及び児童生徒の実態に応じた指導計画及び指導内容を工夫し、実践する。
  2. 放射線等の基礎的な性質について身に付けさせ、自ら考え、判断する力を育む指導方法を工夫する。
  3. 放射線から身を守り、健康で安全な生活を送ろうする意欲と態度を育てる。

この指導の重点を見る限りは良さそうに見える。そして私達は実際のビデオを見た。

次回は寓話的にこのビデオの話をしたいと思う。

ひとし

“ヤクザと原発” 福島第一潜入記ドイツ語版出版記念講読会

3月13日、ハンブルグに次いでベルリンでも”ヤクザと原発”のドイツ語版の出版を記念し、著者である鈴木智彦氏を招いての講読会が開催された。鈴木氏は、ジャーナリストという職業柄、自身が取材を受けるのは苦手であると断った上で、ジャーナリストとしては初めて事故後の福島第一原発に入ったので自分には応える義務があると、原発に関しては世界40~50か国からの取材を受けたそうだ。

また日本では福島の事故で民衆が分断し、大事なエネルギーの問題や将来の問題を話さなければならない中、それが叶わず、残念な状況にあると話された。

来場者を前に執筆の経緯を話す鈴木氏

もともとは原発への反対も推進する意図もなく、ジャーナリストとしてまだ誰もやっていないことをしようという目論見から潜入取材を試み、著書を出版された鈴木氏である。

著書については、ご自身が実際に見てこられた作業工程の他には、私たちのグループ内の読者からも不明瞭で精査性がないという感想が多かったように思う。私自身も疑問を抱えての読了、一部の単位や表現については合点がいかず専門家に確認する必要もあった。しかし一部のメンバーからは、ヤクザと原発をつなぐ着眼点がこれまでにない発想であるとの高い評価もあり、私は最終的には著書の中身よりも、この日、鈴木氏がお話になった演説や質疑応答にスッキリするものがあり、好感触を抱くことができた。

この日は本に書かれなかったことでは、原発の労働者にヤクザが入っていると疑ってから、福島県内で二番目に大きな指定暴力団を何度も観察に訪れるうち、所有車が次第に国産車から高価な外国車に移り変わる様子に気づいたという。会場からは度々笑いの声も。

日本の出版社からは暴力団からのクレームを恐れ、仮名表記との希望があった。そうした中、外国のメディアが取材に訪れては実名報道に勤しむ姿を目の当たりにし、この本を書いて日本の電力、権力がおかしいと思ったが、僕ら日本のメディアもおかしいのだと知ったと鈴木氏。

―東京電力の幹部から関連企業に”死んでもいい人間を集めてくれ” 事故当時、労働者を集めることができるのは暴力団だけだった

ヤクザがその体制を生かし、普段から組員一人当たりが10人から20人ほどの労働者を囲い、仕事に応じて派遣するのを知っていた鈴木さんは、東京や大阪の日雇い労働者をあたる。しかし事故後の混乱の最中では、信ぴょう性の薄い情報が飛び交い、次第に鈴木氏は自身が労働者の中に入っていく必要性を感じることとなる。

―みなさんが僕の目を借りて、原発を見るわけだし、日本を見るわけだし、なるべく正確に応えようと思っている

会場は満席、活発な質疑が寄せられた

事故後の福島第一原発で働く労働者たちの中には、一定の被ばく線量に達することで職を失う事から、線量計の位置をずらしたり、休憩時間にカバンにしまうなどの工作をされる方がよくいたそうだ。

来場者から途切れることなく寄せられた質疑Qと鈴木氏の回答Aの一部を以下に紹介する。

Q:”使い捨て作業員”信じられないが、一緒に働いていた仲間が線量を浴びて病気になったり亡くなったりするのを見て怖くなったり辞めたいと思うような作業員はいないのか
A:そういう人は爆発の時点で辞めていった。事故後に来ている作業員で後の健康等を考えている人間はほとんどいなかった
Q:なぜヤクザは(原発から)なくならないか 
A:原発はみんな嫌だ、土地にはお金が落ちて東電や東芝らは書類さえ揃えば良いと、地域のことは地域でやってくれと丸投げする、そうして原発が建つまでのプロセスに初めからいることで排除できなくなっている
Q:潜入取材の中で親しくなって、作業員らが本当に放射線への恐れも知識もない、それは信じられないが、他にも話を聞いたか
A:子どもをつくることができなくなるなどの多少の知識やパニックはあったが多くの作業員がヒロイズムに浸り、酔っていた。たくさんの労働者が逃げて、自分は日本を救うために残った、怖いとは言えない。直後であったために冷静に考える余裕がなかった
Q:原爆の被害をよく知っているはずの日本の方たちが、こんなに技術や学業が発達した国で、どうしてこのような仕事ができるのか 
A:日本は学歴やステータスによってまるで住む世界が違う。(原発の)末端の労働者は情報弱者、知らないし知ろうともしない人たち
セバスチャン・プフルークバイル(Sebastian Pflugbeil)博士、物理学者・ドイツ放射線防護協会会長

ここでセバスチャン・プフルークバイル博士から、原発というのはもともと技術が発達してはじまったわけだが、ウランを扱うところからも健康被害があると最初からわかっていた技術でもあり、被害がないという事はあり得ないのが原発である。作業員の使い捨てということが前提となって行われている技術なのだから、もっとフェアに労働者を雇い、被害があった場合に対策をすることを考えなければならない。線量が高いということもあり、もしどんなにきちんと防護服やマスクを身に着けても被ばくを防げないことがあるはずだというようにおっしゃった。

Q:東電をかばうつもりはないが、あんなに暑い中でも防護マスクや防護服を身に着けなければ働けなかったわけでそれなりのことはしているのではないか
A:防護服はただの紙で、放射線を防ぐ役目はない。目的はホコリの中に舞う放射線物質の持ち帰りと拡散を防ぐことのみ
翻訳に携わったフェリックス・ヤヴィンスキ(Felix Jawinski)氏

同時通訳をされ、著書の翻訳にも携わったライプツィヒ大学のフェリックス・ヤヴィンスキ(Felix Jawinski)氏から、防護服というものは鉛ではなくて、完全に被ばくを防ぐものではないとの補足が。

 

 

 

 

 

―鉛で遮蔽されたスーツなんてないんです。そんなものが必要な可能性は絶対にないから、そんな装備はいらないというのが日本の原発の考え方

実際に現場で着衣される作業着を広げる鈴木氏。これではほとんどの放射線を防ぐことはできない
Q:私たちはどのように助けることができるだろうか
A:技術的なことでは仏アレバをはじめとする世界中の技術者が参入し事故の収束に当たっていることからも心配はないと思う。しかし日本はこんな事故の後でも原発をつくろうとしていて、理性的に原発のことを話せる場を日本人は持つべきだ。外国の報道を見て日本や原発の様子がおかしいことに気づくし、ドイツでの議論がマスコミを介して日本に伝わることで、もっと日本での議論の手伝いになる
© Verlag Assoziation A ヤクザと原発ドイツ語版 ”INSIDEFUKUSHIMA”

以上、この日の質疑応答の様子が素晴らしかったので、ライブ形式での記事とした。R


鈴木智彦:(すずき ともひこ、1966年 – )日本のカメラマン、フリーライター、ジャーナリスト、元『実話時代BULL』編集長。ジャーナリストで初めて作業員として事故後の福島第一原子力発電所に潜入した。著書に、「潜入ルポヤクザの修羅場」「ヤクザ1000人に会いました!」「極道のウラ知識」など。

 

かざぐるまワークショップ  ~世代を超えてワイワイと交流

ワークショップで作ったかざぐるま

2月25日(土)、毎年恒例となっているかざぐるまづくりのワークショップを行いました。

今年の会場は前回とは異なり、Technisch Universität Berlin(ベルリン工科大学、以下TU)でした。約50人が参加し、約420個のかざぐるまができました。このかざぐるまをデモ当日(3月11日、土)に参加者中心に配って、ブランデンブルク門まで歩きます。

今回は場所の使用に協力してくれたTUの学生Jくんとワークショップ係の彩子さんが密に連絡を取り合って、初のTUでのワークショップとなりました。

毎年恒例となってきたケーキや軽食の販売もあり、今回は会場費がかからなかったので、飲み物はカンパ制でした。

今回ケーキを提供してくれたパティシエは昨年のワークショップとデモに参加した中国人のお友達です。彼女に頼んだ時、快く引き受けてくれました。そして、ケーキを気前よくカンパしてくれました。「全部買い占めたい」という人が出てくるくらいおいしいケーキでした。

 

毎回かざぐるまにくくりつける針金で活躍している3人は今回正式に針金G3Z(はりがねじいさんズ)と命名。これからもワークショップでは針金G3Zで活躍してくれること間違いなしです。そして、後継者ができたとも聞き、今後が楽しみです。

昨年の秋にドイツに来たばかりという女性がお友達を連れて来てくれました。はじめてというのにみなさん手先が器用で頼もしい限りです。

一人で来た参加者も同じテーブルについた参加者に教えを受けながら上手に作っていました。一度、かざぐるまづくりを体験するとみんなかざぐるまマイスターになれます。次回からはみんなに教えられるようになります。

毎年参加する人も初参加の人もみんな和気あいあいと楽しい雰囲気のワークショップでした。

途中、針金が用意していたものでは不備があるなどのハプニングもありましたが、それもご愛敬。参加者同士で知恵をしぼって対応するなど、みなさんで協力してできたのはよかったです。

ケーキと軽食の売り上げから140.7ユーロのカンパもいただきました。ありがとうございます。

デモの前にかざぐるまを作りながら世代を超えて交流できるこのワークショップはこれからも大事に続けていけたらいいなと思います。

かざぐるまデモ “原発のない未来を!”11.03.2017 Gendarmenmarkt 11:30~

          

福島原発事故から6年となる今年3月11日(土)、Sayonara Nukes Berlin は、“原発のない未来を!”をテーマに「かざぐるまデモ」をします。

2月はじめ、フランスのフラマンヴィル原発で爆発事故とのニュースがありました。これは原子炉の建屋とは別の機械室で電気系統がショートして起きた事故で、念のため2基のうち1基の稼働を停止するも、放射能漏れはありませんでした。このようなニュースを聞くと正直どきりとして、ヨーロッパにもたくさんの原発があるのだという事実を目の当たりにさせられます。

ドイツは脱原発をすると政策上は決定していますが、2023年まで原発は稼働し続けます。リンゲン(核燃料製造工場)やグローナウ(ウラン濃縮工場)の原子力関係設備や研究用原子炉は運転を続けることになっています。

ヨーロッパでは運転開始後、30年以上経った原子炉が60基以上も稼働しており、中には40年以上運転しているものがいくつもあります。多くの国が老朽化した原子炉を稼働し続けるため、運転年数制限を60年まで延長しました。これではチェルノブイリやフクシマのような原発事故がいつどこで起きてもおかしくありません。

原発事故によって多くの人々が故郷を失いました。健康への危険性が高いのにもかかわらず、日本政府は子どもだましの除染をして、まだ空間線量の高い地域に住民を帰還させようとしています。そして原発事故で汚染された地域はもう安全だということにして賠償金の支払いから逃れようとしています。

原発が動いている限り、放射性廃棄物という負の遺産は増え続けるばかりです。

未来にこのような負の遺産を押し付け続けないためにも私たちはデモで以下のことを要求します。

 

・日本政府は福島帰還政策を即刻やめて賠償金の支払いを続けること

・世界中で脱原発を!自然エネルギーへの転換を!

・EURATOM(欧州原子力共同体)契約の解消*

・原子力技術の民間および軍事利用の禁止をドイツの基本法に明記すること

 

*EURATOM(欧州原子力共同体)は、原子力に特化した市場を創設して共同体中に原子力エネルギーを提供、かつ原子力エネルギーを開発して余剰分を非加盟国に売ることを目的とする。この共同体がEU内での原子力計画に対する融資制度を設けている。

 

デモの前にポスターの絵を描いたアーティスト(Daichi Matsusaki)のライブパフォーマンス、デモの後に毎年恒例となっているダンサー(Bodypoet Kazuma Glen Motomura)のライブパフォーマンスがあります。デモの前後も含めてぜひご参加ください。

私たちとかざぐるまを持って、“原発のない未来”のために一緒に歩きましょう。

詳細はこちら>> http://kazagurumademo.de/

コミュタン福島訪問等

 福島の事故から5年以上が経過し、その間自分の中でもいろいろな変化があった。

 特に2014年に乳がんの手術を受け、治療の一環で放射線治療を受けた後は、医療上のことと事故のことという違いはあるものの、「放射線」というテーマに対して、変ないい方かもしれないが、何か一つ肩の力が抜けたような気がする。そんなこともあって、今回SNBさんより「何かこのテーマについて書いてみませんか」とお誘いを受けたときも、何か書いてもいいかな、という気分になることができた。ただ、私はジャーナリストでも、とりたてて博識なわけでもないので内容は稚拙なところがたくさんあると思うので最初にその点だけお断りしておきたい。

 201611月。用事があって日本に帰省するのに合わせ、福島県郡山市に1泊することにした。大きな理由は震災後から毎年クリスマス時期に郡山からほど近い三春町にある葛尾村の仮設幼稚園に小さなプレゼントを送っているのだが、ちょっと早いプレゼントを直接持参しようと思い立ったからである。高速バスやホテルを予約したのち頭をよぎったのが、そういえば武藤類子さんのお住まいがこのエリアではなかったか、ということを思い出し、連絡を取ってみたところ、ちょうどその週末はアメリカから知人の方がいらしているがご自宅にはいらっしゃるということで何度かメールのやりとりをする中で、三春についにできた「コミュタン福島」という施設を見たほうがよいとお勧めいただき、当日コミュタン福島で待ち合わせをさせていただくことになった。

   8時半の郡山行き高速バスに乗ってちょうどお昼すぎ、郡山駅前に到着。急いでホテルに荷物を置いて13時発の「コミュタン福島」への無料シャトルバス(日曜日だけ運行されている)に乗るべくダッシュした。多分13時ちょっと過ぎたと思うが、シャトルバスはまだ出発しておらず、運転手の方も何かちょっとびっくりされたような風で迎えてくださった。。。50人乗りの大型バスには私一人がちょこんと乗車しているだけだったので、なんとなくびっくりされた理由がわかった(私もびっくりした)。30分ぐらい走った後だったか、途中バスが止まったので何事かと思い運転手の方にお尋ねしたところ「この停留所で一応止まることになっていましてね、まあ誰も来ないんですけど、すみませんお急ぎですか?」と申し訳なさそうに答えられてしまった。。。

当日は私一人でびっくり、の車内

 さてそれから10分後ぐらいだったか、ようやく「コミュタン福島」に到着した。武藤さんと、アメリカからいらしていた知人の方もともにいらして、それがシカゴ大学日本文学名誉教授ノーマフィールドさんということをこの時初めて知った。

 さて、「コミュタン福島」とは「福島県環境創造センター 交流棟」の愛称である。

コンクリートでできたシンプルな外観

ホームページには

 ”福島県環境創造センター交流棟は、県民の皆さまの不安や疑問に答え、放射線や環境問題を身近な視点から理解し、環境の回復と創造への意識を深めていただくための施設です。

コミュタン福島には、放射線やふくしまの環境の現状に関する展示のほか、360度全球型シアター、200人収容が可能なホールなどを備えております。

コミュタン福島で得た学びや体験から得た知識や深めた意識を、子どもたちや様々な団体が共有し、それぞれの立場から福島の未来を考え、創り、発信するきっかけとなる場を目指します。”

 と記載がある。

 当日ほとんど事前知識のない状態でさらりとこの「コミュタン福島」を見てみると、入口で福島の事故が起こった時のビデオ、そして放射能とは何か云々(ようは自然界にも存在するとかそういった「安心感」を与えるようなよくある内容)の他に展示の何パーセントかがいわゆる自然エネルギー紹介であることもあり、ちょっと錯覚を起こしてしまいそうな雰囲気となっている。錯覚とは、放射能について正しく学びつつ将来は自然エネルギーについて考え、未来は原子力に頼らない県づくりを、といった前向きなメッセージを感じ取れるような施設に仕上がっている風に思い違いを起こすような、という意味だ。

写真がぼけていてすみません
コンピュータで自分で学べる図書館のような場所がある

 この施設の建設時には武藤さんをはじめとした脱原発に取り組んでいる方々からもいろいろ意見を取り入れますということで話し合いが持たれたそうだ。そういった面で多少の意見が取り入れられたのだと思われるが、ただ冷静になって考えてみると例えば原発事故はまだ収束していない、原発労働者の問題や汚染水の問題等は一切この施設には出てきていない。汚染水の流出などは数値化して毎日更新するなどしたほうが現実味が増すような気がするがそういったものではなく、数値化されているのは福島に観光で訪れた人の人数(震災後観光客足がどう増えたか)だったりで、負の側面を「巧妙に語らない」ようにできた施設といえるかと思う。

放射能に対する知識をつけるような冊子類に交じって、水俣病問題の本やシリア難民についての本が置かれていた。

 あと特出したものといえば、360度全球型シアターで上映されるイメージ映画?というのか、震災、原発事故という災難を超え、福島の美しい四季を西田敏行さんの素晴らしいナレーションで堪能できるシアターがあった。聞いた話によればこの360度のスクリーンを使った施設は世界で2件しかないという最先端の技術だそうだ。。。
 ちなみに施設の建設費は70 億円(南相馬にもある環境放射能センターと合わせて全体で192億円)、年間運営費は9億円×10年 という話で、これは国の復興費からでているそうだ。日本国民はこういうこと知っているのか?と不思議に思う次第。。。復興とは何ぞや。。。

 さっと見学したのち、武藤さんとノーマさんの3人で休憩室にて少しお話しをすることができた。

 個人的なことを最初に書けば、ノーマさんとは今回初めてお会いしたのだが武藤さんとは2度目になる。1度目は2013年に当方のイベントにてビデオ上映をするため東京にてインタビューをさせていただいた経緯がある。武藤さんにお会いする前まで、私の中の勝手なイメージは失礼ながら「長いこと脱原発に取り組んでいらっしゃるバリバリの活動家の方」で、何か変な質問したら怒られそう、とか戦々恐々としていたのだが、実際お会いした時の第一印象がとても柔らかで、それでいて一つ芯の通った素敵な女性、こういう方を「大和撫子」というのだ、と感動したことが忘れられない。知識のない私の稚拙な、どうでもいいような質問に対してもゆっくりと丁寧に、わかりやすく答えてくださる。何よりも私が尊敬するのは、武藤さんの言葉の背景にはいつも「人への愛情」がこもっていると感じさせてくれる点である。武藤さんご自身はもちろん脱原発という確固とした意志を持っていらっしゃるわけだが、例えばその意志が何か相手を傷つけるような場面に遭遇したとしたら、武藤さんは決して相手に自分の意見を強いるようなことはしないと感じる点である。静かに、相手の意見に耳を貸しながら、寄り添っていかれるのだと私は推測する。

 私が悲しく思うのも、攻撃の矛先が国や東電ではなく何故か避難しなければならなかった人たちだったり、県民同士国民同士が争う構造だ。武藤さんの今回のお話の中で例えば「被災者支援の延長を求める人たちはクレーマー扱いとなっている」などのことは、日本人の冷酷さを感じるところである。以前東京の山谷地区で長年ホームレスと活動している方と話しをしたことがあるが、ホームレスについていえば「ホームレスになった本人に問題がある」的な意見が普通にまかり通るのが日本の風土のようである。よくよく思うに、これはホームレスの方に対してばかりでなく、何か社会的弱者の立場にあるような人々に対してよく見られる反応、いわゆる「自己責任」という言葉でばっさり切り捨てるような風土があるように思う。実際私も15年東京で暮らしていた際はそのように思っていた節があるし、そのままずっと日本に暮らしていたらそんな風に思って一生を終えていたかもしれない。今は、例え自己責任があったとして、どうしてそれが「人を助けない」理由になるのか、と疑問に思うようになった。震災を海外ドイツで体験したわけだが、それでもこの出来事は自分の考え方を変える大きなきっかけとなったといえる。

 さて、武藤さんからうかがって空恐ろしいと感じたことといえば、福島県内の小学校5年生は全員「コミュタン福島」へ課外授業として訪問することとなっているそうだ。すでにその取り組みは始まっている。武藤さんのお話しではなんでも水俣病問題の際も小学校5年生がターゲットになっていたらしい。日本の小学校5年生のレベルで、この施設に対して負の側面を見極めることのできる子はどれくらいいるのか、正直判らない。私が訪問した日曜日には数人の家族連れの方がいて、子供たちが「放射能撃退ゲーム(?)」(大きなスクリーンを使って、何か専用の板をかざして放射能に見立てた点やら記号やらから自身の体を防御するといった風なゲームと思われる・下記写真)をしながらキャッキャッとはしゃいでいる様子を見た限り、よほどご両親か教員の方がきちんとした状況を伝えないことには難しいのではと思う。

インタラクティブなシステムを使ってこのようにゲーム感覚で放射能(と見立てた記号物)と遊ぶことができる

 そもそも放射能を安易に撃退できるような術はないと思うが、こういったゲームで何か「自分が撃退できる」ような疑似体験をさせるのはいかがなものか、と考えてしまう。 

 そういう意味で親御さんや教員の皆さんの役割は極めて大きいと思う。子供たちに事故の罪はないから明るい未来を見てほしい、と思うかもしれない(大人自身がそう思いたい)が、このような重大な事故を起こした現実を大人たちにはきちんと伝える義務と責任があると私は思う。特に「コミュタン福島」の館長が原子力村出身、その他IAEAJAEAのジョイントベンチャー施設ということを冷静に見つめれば、いろんなことを「疑ってみる」べきだと思う。

 脱原発の活動において全く先が暗いというわけでもない点ということで武藤さんにお話しいただいたこととしては、ご自身が活動されている福島原発告訴団の活動がようやく実を結んで東電の当時の役員を強制起訴すべきであるという結果を導くことができた点と前新潟県知事の突然の不出馬に混乱を来した新潟県知事選において脱原発を掲げた米山氏が当選したということだ。(その後柏崎市長選では原発容認候補が勝利してしまいましたが。。。)
 強制起訴については活動が実を結ぶというのはうれしいことではあるが、5年もウヤムヤにしている司法制度、国、東電はどうなんだ、という感もある。というかまだ決着していないわけなので大変な道のりと思う。オリンピック、オリンピックと浮かれている場合ではないと思うのは日本から離れた場所に住んでいるからだろうか。オリンピックでよくなったであろう景気を堪能できない身分なので「そんなに大事なこと、すごいことなのか?」と思うばかり。。。

 今年もすぐに6年目の311日がやってくる。不精な私はそれこそ毎日アクティブに日本の状況をネット等で検索しているわけではないが、年を追って原発事故のニュースが目につきやすいトップページに掲載されることは少なくなってきたと感じる。それはただ、決して「56年たって状況が良くなってきた」からではない。下記の201719日放映のドキュメンタリーを見たが5年の歳月を耐え、また状況に戦って来られ、そのエネルギーが今尽きようとしている方々がたくさんいらっしゃるという現実を知るべきと思った。

東日本大震災「それでも、生きようとした~原発事故から5年・福島からの報告~20170109
http://www.dailymotion.com/video/x57x49t
(リンク切れの場合はご容赦ください)

 子供たちの甲状腺がん(疑いを含む)についていえば、201612月までに183人になったそうだ。ニュースではだいたい数字の報告だけの「冷たい」お知らせになっているかと思うが、例えば183人の子供という数値を現実感をもって「想像」しようとすれば、これは小中学校の4クラス分とかそんなとんでもない数ではないか?ちなみに武藤さんたちが20167月より設立した「3.11甲状腺がん子ども基金 」の第一回療養費給付金補助には36件の応募(うち福島県外から9件)があったそうである。

福島第一の模型が飾られていたがなんとなく危機感がない

 この文章を記載するにあたり再度武藤類子さんに数値上の誤り等を修正していただきたくコンタクトをしたところ、

「昨年11月にお会いした後に、身近に甲状腺がんを含めた健康被害が見つかり、また自死などの事象も起こり、やりきれない状況です。それでもおそらく3月までには、刑事裁判が始まると思います(福島原発告訴団の活動,東電の当時の役員を強制起訴)。出来うることを、一つずつやっていくしかありませんね。」という静かで力強いメッセージをいただいた。

 ご自身が福島にて被災され、福島の被災された方々に寄り添いながらいろいろな活動をされる中、心が何度も折れるような大変な状況下をすごしていらっしゃるのに、こうやって一歩一歩前進していこうと心を振るい立たせるのは本当に並大抵のことではない。その原動力は、と思いをはせたとき、思い出すのはコミュタン福島でお会いしたときに話してくださった梨の話だ。

 お知り合いの農家の方で長年梨を生産していた方がいらしたそう。原発事故で放射能汚染され、最初の数年はセシウム値が検知され、心を痛めつつ購入をせずにいたそうだ。それが今年になってセシウム値がゼロとなった旨連絡がき、不安に思いながらも一箱梨を購入されたそうだ。

「もし私に子供がいたら食べさせるかどうかわからない、、、でもねえ、この買った梨を食べたときは(原発事故以前と変わらず)本当においしい~ぃって思ってね、、、」

 ”おいしい~”と話されたときの武藤さんの、複雑な声のトーン。このような”おいしい~” は初めて聞いたように思う。戻ることのできない過去への思慕と悲しみの中にミックスされた「郷土への深い愛情」が静かに響く、そんな寂しくも強い音色だった。

Manami N.

リンク
3.11甲状腺がん子ども基金
http://www.311kikin.org/

ドイツ連邦環境・自然保護・建築および原子炉安全省30周年を祝うイベント「環境の未来フェスティバル」でのProtestival写真展「Nuclear, Democracy and Beyond」

2016年9月10日から11日にかけて、ドイツ連邦共和国の環境省30周年を記念するイベントが、ベルリンのシューネベルグ(Schoeneberg)にある、新しいエネルギー、スマートシティの実現を目指す革新的実験場として注目されるEuref-Campusで行われた。このキャンパスが入っているのは、もとガスタンクのあった場所で、そのガスタンクが改造されて中がイベント会場になっている。

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ここに、4月から6月にかけてドイツの社民党本部であるWilly-Brandt-Hausで行われた私たちProtestivalの写真展(広河隆一氏と樋口健司氏)が招かれた。最初の案では、最初の写真展で使われた写真40点全部をそのまま使ってもいいことになっていたが、場所の都合でそれは残念ながら大幅に縮小され、合計で10枚の写真を選び直さなければならないことになり、同時に、Willy-Brandt-Hausで使った写真は、ガスタンクの中にまっすぐな壁がなく、イーゼルに写真を立てなければならないことが分かったため、使えなくなった。これで、もともとの写真展チームのメンバーである写真家の矢嶋宰さん、メンバーのK君、私が集まって広河氏、樋口氏の写真の中から5枚ずつを新たに選び直し、さらにその展示方法を考え直した。

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イーゼルに立てるということなので、厚さ1センチほどの硬い下地の土台に、キャプションと写真を一緒にプリントアウトしたものを貼りつける方法を選んだ。これは結局矢嶋さんが一人で引き受けてくださり、会場にイベント前日、持ってきてくれた。私は環境省の担当の人との交渉を全面的に引き受け、9日の準備では矢嶋さんと私で会場に赴き、10日はイベント終了後に私がそれを全部持ち帰ることで終了した。

この環境省イベントではあらゆるEuref-Campusの全体で行われたようだが、ガスタンクの中の会場は一番メインな演説や環境省の歴史を紹介する催しが行われた様子で、入場者数は二日でかなり多くいたらしい。

私たちの展示会は合計10枚の写真とキャプション、それから私たちのメッセージ、写真家の簡単な紹介だったが、その隣には、別のロシアの写真家によるチェルノブイリの写真も展示され、広河氏の写真からは今回はチェルノブイリを抜いていたため、テーマとしてぶつかり合うことなく、チェルノブイリ30周年とフクシマ5周年、それから原子力発電という問題がすべて盛り込まれた写真展を一緒に作り出すことができたのは結果的にいいことだった。このチェルノブイリの写真展については、私は知らされていなく、現地に行って初めて分かったことであった。

日本では環境省が広河氏や樋口氏の写真展をイベントに招くなどということは決してあり得ないであろうことを思うと、ドイツの連邦省であるBMUBにProtestivalの写真展「Nuclear, Democracy and Beyond」を招いてもらったという事実は、とてもシンボリックな意味があったと思う。そして、Freundeskreis von Willy-Brandt-Hausからの口添えがあったからだとはいえ、私たちのメッセージと写真展を、縮小版ながらももう一度ここで紹介することができたことはうれしいことだった。環境省で私とずっと交渉してくれた担当の人は、「どの人もじっと写真を見、キャプションもしっかり読んでいた。とても好評で、私たちも喜んでいる。成功だった」と感謝してくれた。

この環境省からは、この写真展のためにお金をいただくことになっている。このうち、写真展準備にかかった費用、それから私たちSNBのこれからの運営費を少しだけ残すことにして、残りを広河氏の福島の子供たちを助ける基金、樋口氏には同額ずつ寄付したいと思っている。

2016年のProtestivalに関連したイベントは、これで一切終了した。でも、終わりはまた始まりでもある。ちょうどこの前の土曜日、来年のデモに関するコンセンサスを得るための初めてのミーティングを行ったばかりだ。来年の3月11日はちょうど土曜日に当たる。その日に、私たちの主張をアピールしないわけにはいかない、ということで、来年のデモへの準備がまた始まることになる。来年は今年と同じように大きなことはできないとは思うが、それでも私たちがあきらめず、持続して反核、反原発を訴えていかなければならないことは確かだ。これから、その方法を探っていくことになると思う。

報告:梶川ゆう


環境省のイベントに関する情報はこちら:

Umweltfestival 3.0

Umweltpolitik 3.0 – Das Festival zur Zukunft der Umwelt

http://www.bmub.bund.de/service/veranstaltungen/details/event/umweltpolitik-30-das-festival-zur-zukunft-der-umwelt/


広河 隆一(ひろかわ りゅういち ) :日本の報道写真家、市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長。福島の子ども保養プロジェクトNPO法人 沖縄・球美の里の設立代表・名誉理事長。公式HP:http://www.hirokawaryuichi.net/

樋口健二:(ひぐち けんじ )は、日本の報道写真家。日本写真芸術専門学校副校長。2001年核廃絶NGO「ワールド・ウラニウム・ヒアリング」(本部ドイツ)創設の「核のない未来賞」教育部門賞を日本人として初受賞。HP:http://kenjihiguchi.jimdo.com/

民主主義、それは捨ててもいい ツァイトオンラインの記事和訳

Japan: Demokratie, das kann weg

―民主主義、それは捨ててもいい

 

 
日曜の参院選で、日本人は彼らの自由について採決するのかもしれない。安倍首相はそれを制限したい。しかし多くの有権者はそれに気づいていないようだ。
 
フェリックス・リル、東京、ツァイトオンライン
 
東京の通りのプラカードはいつもと同じような約束を意図する。
安倍が首相になってから近年の快適なテーマ:人びとにもっとお金が回るために消費税の値上げの遅延。
より多くの雇用をもたらす経済回復。そして国家の強化:日本はもちろんすべての人の福祉のため、ますますグローバル化する世界で力強さを保つ。誰がそのような曖昧な言葉で表現したアイデアにノーを言うでしょう。
 
安倍晋三は2012年、2013年、2014年の選挙の勝利の後、今回も過半数を制するようだ。日曜、日本人は影響の少ない参議院の選挙をする。そこで242議席の半分が新しく与えられる。まず第一に、重要でない投票には見えるが、国を根本的に変化させる選挙になる可能性がある。つまり安倍は、自民党とその同志で三分の二議席が取れるなら、彼の好きではない日本の憲法を変える重要な障害物を取り除くことを完了し、日本はもう第二次世界大戦後に自由であった国ではなくなるだろう。
 
三年半前から、有罪判決を受けた戦争犯罪者である総理大臣の孫、62歳のナショナリストは、かつて日本をアジアの中の最初の自由な民主主義国家にした分子を弱らせようとしている。彼の経済戦略による経済ブームを約束し、2012年の年末には確かな過半数で選挙された後、まもなく特定秘密保護法を通過させた。それからは政府がある際どいと判断したテーマを公衆から遠ざけておく権利があり、告発またはそれについての報道は今では刑務所で処罰される。
その上まもなく安倍は日本国憲法の新しい解釈を達成した。第二次世界大戦の後で戦勝国の米国に決定的に書かれたテキスト、憲法9条はいかなる場合も武力の行使を禁止する。
 
安倍のようなナショナリストから見ると日本は9条によって去勢されている。多くの人々が憲法違反だと考え、アンケートでは日本人の多数が誤りであるとした新しい解釈は、ある特定な条件で軍隊の海外派遣を容認する。例えば日本の存在に関わる意味のある連合国の安全を防衛する場合。新解釈は国防予算の増員と日本の軍需品の輸出の新たな可能性を伴う。
去年安倍内閣は学問に的を絞った。すべての国立大に宛てた手紙で、当時の文部科学大臣が、大学から社会学と精神科学をなくすことを催促した。研究と教育は、実用的でもっと応用的な教育を提供し、社会のニーズにより望ましく適合させるべき。これに従い、コンピューター、ロボット工学と医学のような学科を増進させるべき。哲学と外国語ではなく、これらは未来の成長産業部門である。政府は、学校では生徒と教師は政治的な活動をしてはいけないということを明確にした。公にイデオロギーにとらわれない学習空間を保証するためだ。
(本記事の中の “praktischere, mehr angewandte Bildung anbieten, die besser auf die Notwendigkeiten der Gesellschaft eingestellt” は、本来は実際の大臣の文言をじかに表しているのですが、原文を見つけることができなかったため、こちらも翻訳しました)
※後半部は近々更新します。

2index

Verfassung wie in den 1930er Jahren

-1930年代の様な憲法

 

これらの多くの歩みは一つ一つ見ると、今の日本の特殊な状況によって正当化できる。日本は北朝鮮や中国のような好戦的で拡張主義的な国々に囲まれていて、NATOのような軍事同盟のメンバーでないので、平和主義の憲法の新解釈には意味があり得る。その上、太平洋での戦略的提携国アメリカは、徐々に軍事展開を縮小している。

同様に安全保障は正当化できる:すべての国は同じような法律を持っている。なぜ日本はいけないのか?しかし、この場合のタイミングが怪しい:安全保障はいつ実施になったかというと、福島の事故の後で、政府と東京電力の有罪と公然の陳述の嘘を明らかにしている詳細が重ねて表面化していた時であった。安全保障が実施になってから、福島については妙に静かになった。報道の自由の国際的比較で、日本は他の自由な国より大変に遅れを取っている。また研究と教育への干渉の理由は、就職市場とイデオロギーにとらわれないことだけでないようだ。安倍の文教政策の反対者は、ますますの経済化だけではなく、反政府勢力が口止めされることにも慷慨している。そしてそれらは特に学校や精神科学と社会学の学部に集中している。

現在、安倍の自民党の半民主主義的志操を一番明らかにしているのは参院選で可能になる予定の憲法改正である。安倍は、平和主義的な9条だけでなく、出来れば全てのテキストを作り直したがっている。政府党の憲法案によって、表現の自由と集会の自由は公の秩序に障ると、すぐ制限できるようになる予定である。憲法案では公の秩序というものは定義していない。だが、インプリケーションが明らかである:それによって、個人の権利は集団の権利に従属させられる。東京の名高い明治大学の法学教授のローレンス・リピタによると、安倍が予定している憲法テキストの人間像は1930年代のそれだ。

改憲案によっては、今後の憲法改正も今より簡単になる。今までは、衆院でも今選挙される参院でも三分の二以上の賛成の上に国民投票が必要だが、新しい憲法ではその障害物を安定多数まで下げる。衆院では、安倍の自民党と憲法改正を望んでいる他の勢力は必要な賛成を得そうだが、参院では得るのが難しく121のうち79の賛成票が必要である。憲法改正が国会を通るのであれば、何人かのオブサーバによると多くの投票者の政治的常識が足りないために国民投票はより低い障害物となる。

現実となれば、日本は報道の自由と世界一流の研究の展望、一意的で平和主義的な憲法にさようならと云うだけではなく、どの現代的な民主主義国家にもある一番基本的な自由も、個人的な政治家の見計らいに依存するものになる。それを止めるために、野党は珍しく力を合わせた。社会民主党と共産党は今回の選挙で共同に候補者を立てている。安倍晋三がこれ以上に強くならないように。
それが足りるかは不確かである。安倍の選挙対策の焦点にあるのは、前の三つの選挙の時と同じように、多くの投票者がまだ期待をかけている経済政策のテーマである。その上、3.11以来、当時の政権を握り、一番力を持っている野党の民主党(現民進党)の信用性は大変に弱くなっている。
前回と同じように、有権者の半分ぐらいは選挙に行かないだろう。多くは失望している。だから、安倍晋三は比較的高い支持率を得たまま、それが変わらない様に特に何もしなくてもいい。彼はただ経済政策の他に何を企画するかについてあまり高らかに話さないほうがいい。しかし、それは熟練している。

(2016年7月14日更新)

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元記事

Japan: Demokratie, das kann weg | ZEIT ONLINE:

http://www.zeit.de/politik/ausland/2016-07/japan-oberhaus-wahl-demokratie-shinzo-abe

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