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2015年かざぐるまデモに向けて 花火をリサイクルしよう

あけましておめでとうございます。今年も原発のない世界を目指して楽しく活動していきましょう。

さて、ドイツでは大晦日にいたるところで花火が打ち上げられます。日本の夏の花火大会のような立派な花火を打ち上げる大掛かりなイベントもありますが、多くの人は近所の公園や道で花火を打ち上げます。その際の花火というのは、日本で夏に子供が遊ぶようなかわいらしいものではなく、ロケット花火のような派手な音のするものが多いです。大晦日にうるさい花火をする理由は、悪霊を追い払うためだと言われていますが、実際のところは悪霊云々関係なく、普段できないドンちゃん騒ぎを楽しむイベントです。

花火を売る期間や、売っていい花火の種類や、花火を打ち上げてはいけない場所などの規則はあっても、それが守られるかどうかは別の話。特にベルリンの中心部は、大晦日の夜はまるで戦場のようになります。そして、「自分の出したゴミは持ち帰る」というルールが頭にない人々がところかまわず飛ばした花火の残骸で、11日は一年で一番街が汚い日となります。当然のことながら、大晦日の夜はドイツの空気が一年で一番汚い日でもあります。また、この大騒ぎを怖がってしまうペットや、小さな子供がいる人にとっては、大晦日をどう乗り切るかというのは心配の種でもあり、大晦日の喧騒から逃れるための特別なホテルや花火の打ち上げができない地域(自然保護区、歴史的旧市街地など)で年を越す人もいます。

この動物にも子供にも優しくない上に大気汚染と土壌汚染とひょっとしたら水質汚染をも引き起こし、大量のゴミをばら撒き、今回も死者が出たドイツの大晦日。その元凶(ああ、この人はドイツの大晦日が本当に嫌いなんだと諦めて続けて読んでください)のロケット花火ですが、これには、なかなか丈夫な長い木の棒がくっついています。前回の風車デモでは、この木を柄に使った風車もあり、リサイクルという視点からもすばらしいという声がありました。今年の3月のデモについては、近々詳しい情報をアップする予定ですが、今年も風車を用いたデモをベルリンで行う予定です。その際にまたこのリサイクル素材を使いたいと思っているので、集められる人は集めて下さるとありがたいです。

ロケット花火はこんな感じ。Exif_JPEG_PICTURE

柄の長さはいろいろあります。できるだけ長くて丈夫できれいなものがいいです。

 

 

 

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柄の先に火薬の入っていた筒状のものがくっついています。これは要りません。花火の種類によって、簡単に取れるものから、しっかり柄に固定されいるものまでいろいろです。

 

 

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これは簡単に取れる種類。柄に紙で固定されているのでそれを破れば大丈夫。手で触らなくても、その辺にコンコン打ちつけていると取れる場合もあります。

 

 

 

家の近くの公園でせっせと集めていたら、ゴミ収集車に乗ったお兄さんに「何でその棒を集めてるのか教えてくれない?もう4人も集めてる人を見たんだよ」と声をかけられました。「これをリサイクルして工作に使うんだよ」というと納得した様子。「集めてたのは日本人みたいな人たちだった?」と聞くと、「いや、普通のドイツ人みたいな人たちだったよ」とのお答え。デモの関係者か、それとも違った理由で集める人がいるのか?!

そして、ワサワサと棒を担いで家に帰る途中、東欧訛りのおばちゃんにも、その棒で何をするのかと聞かれました。「これで工作するんだよ、もったいないと思わない?こんな丈夫な木の棒がみんなゴミになっちゃうなんて。」というと、そうだそうだ、いい考えだと褒められました。

ということで、みなさん、堂々とロケット花火をリサイクルしましょう。エコロジーの原点は「もったいない」の精神です。ゴミを減らすことや、ゴミを出さない工夫をするのも、環境を守るのに大事なことです。そんなメッセージもデモを通して伝えられたらいいなと思います。

それでは今年もSayonaraNukesBerlinをよろしくお願いします。

エネルギー自給自足の村、フェルトハイム(3)

フェルトハイムでは、バイオガスとバイオマスの発電所の見学の後で、このプロジェクトの中心的存在であるラシェマンさん(Michael Raschemann)のお話を伺い、SayonaraNukesBerlinのみんなの質問に答えていただきました。

ラシェマンさんは1997年にエネルギークヴェレ(Energiequelle)という再生可能エネルギーの会社を立ち上げました。まずは風力発電、それからいろいろな再生可能エネルギーを手がけるようになり、今では150人の従業員を有する会社に成長しました。

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ラシェマンさんの話をヒントに、フェルトハイムでエネルギー自給自足が成り立つのはなぜかを考えてみました。

まず、人口が200人以下というのは、フェルトハイムのような画期的なプロジェクトを立ち上げ、運営していく上で、理想的な規模なのではないかと思います。たくさんの人をまとめていくのは難しいでしょうし、逆に人数が少なすぎては投資に見合う結果を出すことができません。前例のないプロジェクトを進めていくには、顔の見える範囲でみんなが協力していくのが不可欠でしょう。

では、フェルトハイム程度の規模の村ならどこでもエネルギー自給自足ができるかと言えばそうとも限りません。風力や太陽光での大規模な発電なら、それに適した土地さえあればできるでしょうが、再生可能エネルギーで安定した電気を供給するとなると、フェルトハイムのように、バイオバスやバイオマスを活用することになります。フェルトハイムのバイオガス発電では、原料になる植物も糞尿も地元の農業と畜産業でまかなっています。エネルギーの元となる素材を現地で調達できるというのは、単に便利なだけでなく、地元の農家や企業を支えるという点でも意義があります。まっ平らで、畑に囲まれた、第一次産業がメインの村というのは、再生可能エネルギーをフル活用するにはもってこいなのでしょう。

さらに、フェルトハイムがブランデンブルク州西部の村であるというのは、実は重要な要素だと思います。ベルリンからはかなり遠いし、周辺に大きな街はないし、特別な産業や企業があるわけでもなく、観光資源に恵まれているわけでもない、旧東ドイツの「陸の孤島」。(それは言い過ぎなんじゃないかと思う人は実際にフェルトハイムを訪れてみれば、私の言わんとすることが分かると思います。この日、乗せていってくれたSNBのメンバーの車にナビがついていなかったら、フェルトハイムにまっすぐ辿りつけたかどうか怪しいくらい、目立たない村です。)

東西ドイツ統一後、こうした旧東ドイツの田舎は、過疎化と少子高齢化と(まだ若い人がいれば)高い失業率に悩まされるというのがありがちなパターンです。東ドイツ時代の安定した生活の枠組みが無くなってしまった後、農業メインの村をどうやって維持していくかというのは、おそらくフェルトハイムの人々だけでなく、市や州のレベルでも立てられた問いだと思います。その先にあったのが、有り余るほどある土地と、その土地を吹き抜けていく風を利用する風力発電であり、地元の産業を活用できるバイオガス発電だったのではないかと思います。

「このプロジェクトに反対する人はいなかったのですか?」と、私はラシェマンさんにも、発電所の説明をしてくださった方にも聞いてみたのですが、地元の人にはとても好意的に受け入れられたようです。何かしなければ村が廃れていくことは、誰の目にも明らかだったのかもしれません。

プロジェクトを経済的な面で支えたのは州やEUからの補助金です。行政側も、地方の活性化と再生可能エネルギーの普及を後押ししたことで、フェルトハイムのプロジェクトは順調に進んでいったようです。

フェルトハイムで再生可能エネルギーへの転換が実現したのは、社会的・政治的に条件が整っていたからだけではありません。村の人々にとって決定的に重要なのは、このプロジェクトによって安い光熱費という具体的な恩恵を受けられることです。生産者でもあり消費者でもある地元の人々に、目に見える形で利益が出るというのは、新しいことをする際にとても重要なことでしょう。

ラシェマンさんの話の中で興味深かったのは、フェルトハイムでは世代交代が順調に進んでいるということです。再生可能エネルギーへの転換を実現させた世代は現役を去りつつあり、彼らの子供の世代がこの村を担うようになってきているそうです。安定した農業と、安くてクリーンなエネルギーの土台が整っているというのは、若い世代にとっては心強いことでしょうし、世界各国から訪問者が訪れる村に対する誇りというのもあるのではないかと思います。

再生可能エネルギーは、初期投資は大きいものの、その後のメンテナンスや原料や後処理に莫大なコストがかかるものではありません。再生可能エネルギーの基盤を整えるというのは、環境のためだけではなく、次の世代に安くて安心して使えるエネルギーを手渡すことでもあります。

フェルトハイムは、「持続可能な社会」という概念が実現可能であることを示す良い例ですが、私がいいなと思ったのは、そんなスゴイことを成し遂げた社会が、本当に地味な田舎だったということです。畑があって、その中に村があって、そのとなりにたくさんの風車と小さな発電所があって、普通の人々が普通に暮らしている。「持続可能な社会」というのは、エコに凝り固まらずとも、頭でっかちの議論に明け暮れなくとも実現できる―いや、むしろ、仕事や、光熱費や、子供の将来といった、生活者としてのリアルな感覚がなければ実現しないのではないかと思いました。そういう本当に現実的なことを考えれば考えるほど、「持続可能でない社会」のナンセンスさや、「再生可能でないエネルギー」の効率の悪さというのが見えてきます。

今後、フェルトハイムのような自治体や団体が増えていけば、地産地消のクリーンなエネルギーはどんどん身近なものになっていくことでしょう。原発に反対するだけでなく、こうした地道な取り組みを支える社会やシステムを整えていく必要があります。

最後になりましたが、今回の見学に同行してくださった慶應義塾大学の小熊英二教授、どうもありがとうございました。

エネルギー自給自足の村、フェルトハイム(2)

今回は、「エネルギー自給自足の村」フェルトハイムで見学したバイオガス発電とバイオマス発電について。

バイオガス発電というのは、有機ゴミを発酵させることで生じるガスを使う発電方法です。バイオガスの設備はこんな感じ。発電所と聞いて想像するより、ずっとこじんまりしています。(下の写真はNeue Energien Forum Feldheimのホームページからお借りしました)

biogasanlage feldheim

フェルトハイムでは、地元で飼っている豚と牛の糞尿と地元の農家が作っているトウモロコシ(植物全体を使う)と穀物を使っています。ここに細かく刻まれた植物が入っています。

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糞尿と植物の屑は大きな発酵槽に入れられ、加熱・攪拌されます。ここでの発酵によって、主にメタンと二酸化炭素から成るバイオガスができます。このガスを燃焼させてタービンを回すことで、電気を作ったり、熱を利用したりできます。

この発電施設は常にコンピューターによって管理されています。複雑なメンテナンスは必要ないため、通常は農家の人が時々チェックするだけでいいそうです。

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ガスを作る時に出るゴミは肥料として使われます。この肥料でまた穀物を作って、それを動物に食べさせて、その糞尿や穀物を使って電気を作って、その時にできる肥料でまた穀物を作って・・・と、見事な循環です。エネルギーを供給するために特別なものを作ったというより、農業や畜産業の一環としてこの発電施設があるのではないかという印象を受けました。

調べてみると、ドイツでは農家が糞尿やゴミから出るガスを有効に利用するために小型のバイオガスプラントを作るようになり、それが発展していってエネルギー供給の一旦を担うようになったそうです。今では商業ベースで行われるバイオガス発電も、ゴミ置き場で発生するガスをどうにかして上手く利用できないかという発想から生まれたもののようです。いらない、もしくはあまり利用価値のないものを創意工夫で価値のあるものに変えていく。その合理性は、いろんなものをリサイクルしたりシェアしたりするのが上手なドイツ人にピッタリだなと思いました。環境云々難しいこと以前に、「もったいないじゃないか」というその視点はとても大事だと思います。

さて、次に見たのはバイオマスの発電所。これも発電所と聞いて想像するような大げさなものではなく、ちょっとした工場のような感じです。

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バイオガスとは違い、こちらでは木屑を燃やして電気と熱を作ります。仕組みとしては暖炉のようなもので、火力発電の一種と言えばそうですが、石油や石炭ではなく、木屑を燃やすので「カーボンニュートラル(環境中の炭素循環量に対して中立)」な環境に優しいエネルギー供給方法だと考えられます。

時間や天候に左右されてしまう太陽光や風力と違い、バイオガスやバイオマスはエネルギーを安定して供給できます。また、設備そのものもさほど場所をとらない上に、メンテナンスも簡単なようなので、村や町の単位でエネルギーの自給自足をするならもってこいの方法なのではないかと思いました。

次回はフェルトハイムのプロジェクトがなぜ成功したのかを考えます。

エネルギー自給自足の村、フェルトハイム(1)

フクシマの事故を機に私が知って驚いたことの一つに、あの原発では基本的に首都圏の需要をまかなうための電気が作られていた、ということがあります。「東京湾に原発を、どうせ使うの都会だけ・・・」という反原発の歌がありましたが、送電のコストとその際の電力ロスを考えれば、電気も「地産地消」であるのが一番でしょう。
家庭菜園みたいに、自分のところで使う電気は自分でまかなえたらいいのにな。
市民が自分の手で作り上げる安全でエコロジーでフェアなエネルギーがあったらいいのにな。
そういうのはあくまで理想であって、現実とは程遠いんだろうと思っていたのですが、ベルリンからそう遠くないところに、エネルギー自給自足を実現している村が本当にあるということで、SayonaraNukesBerlinのみんなと見学に行ってきました。今回はその報告をしたいと思います。

ドイツでも唯一という、エネルギー自給自足の村フェルトハイム(Feldheim)は、ベルリンの南西50キロほどのところにあります。トロイエンブリーツェン(Treuenbrietzen)という街の一部ですが、この街はエッセン市やシュトゥッツガルト市より面積が大きく、人口密度は一キロ平方メートル当たり35人。だだっ広い平地に村が点在する、のどかな地域です。フェルトハイムは、トロイエンブリーツェンの中心地からはかなり離れたところにある、人口128人の小さな村です。
今回はこの村の一般公開日ということで、SNBのみんなと一緒にベルリンから車で行ったのですが、そもそも、車がないとベルリンからたどり着くのも難しいところです。(当初、トロイエンブリーツェンの電車の駅から自転車で行けないかと考えていたのですが、当日、やっぱり車で来てよかったと胸を撫で下ろしました)

エネルギー自給自足の村としてのフェルトハイムの運営や広報活動は、この村の振興団体Neue Energien Forum Feldheim (= 新しいエネルギーフォーラム、フェルトハイム)によって行われており、今回の一般公開日もこの団体が主催したものです。村のメインストリートを少し行くと、Neue Energien Forum Feldheim の真新しい建物があります。かつては食堂や納屋などを兼ね備えていたという古い建物は、この日の数週間前に改築が完了したばかりだそうです。中は見学に訪れた人たちや、彼らにケーキや昼ごはんを振舞う村の人たちでにぎわっていました。この建物の床や壁や内装は真新しいものの、間取りには農家の建物の名残を感じることができます。

2階の会議室には外国からの訪問客が持ってきたお土産が飾ってありました。Exif_JPEG_PICTURE

安倍首相夫人もこの村を訪れ、非常に興味を持った様子で帰っていったそうです。大人ばかりでなく、学校の社会見学で訪れる子供達も多いそうで、フェルトハイムは単にエネルギー自給自足を実践しているだけでなく、新しいエネルギーのあり方を考える人たちにとっての学びの場でもあるのだなと思いました。

この建物の裏には風力発電の風車の一部が飾ってあります。

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フェルトハイムには43基の風車からなる風力発電所があります。広い畑の中にたくさんの風車が立っているのは壮観です。(下の写真はNeue Energien Forum Feldheimのホームページからお借りしました)

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今回の見学のメインはNeue Energien Forum Feldheim の近くにあるバイオガスとバイオマスの施設です。この2つは、天候や時間帯に左右されることなく電力を供給することができ、再生可能エネルギーの中でも今後の発展が期待されています。次回はフェルトハイムで行われているこの2つの発電方法について説明します。

2014年3月8日かざぐるまデモ@ベルリン

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3月8日、私たちSayonara Nukes Berlinは、Anti-Atom BerlinArbeitsgemeinschaft Schacht KONRAD e.V.NaturFreunde Berlin e.V. の3つの団体と協同し、日本の福島から始まるさようなら原発集会に連帯するため、ベルリンでも反原発デモを行います。

私たちは、原子力のもたらす命への不安に怯える事無く生きる権利を持っています。自然エネルギーへの早期転換を願うと共に、世界各地のデモ行動の同一化を目指し、ベルリンでのデモのテーマは風車に決まりました。福島第一原子力発電所の大惨事から、3年が経とうとしています。日本政府は、正しい道を歩んでいると云えるのでしょうか。また世界各地では、未来を見据えたエネルギーへの適切な進路は取られているのでしょうか。

私たち市民の声を届けるために、みなさんの希望の風車を回しましょう。

日時:3月8日 13時~

場所:ブランデンブルグ門(Platz des 18.März am Brandenbruger Tor)

Map3 Programm2

⋆ブランデンブルグ門に集合後、日本大使館前までデモ行進します。

⋆ブランデンブルグ門では、Bodypoet(Kazuma Glen Motomura)による風刺劇や、Greenpeaceソーラードラムス等のパフォーマンスが予定されています。

⋆手作りの風車を持ってご参加ください。鳴り物、プラカートも大歓迎。

また、8日のデモに合わせ、私たちは日本政府に、国際社会において日本が安全で持続可能な未来を築けるよう、原子力事業からの撤廃、汚染地域からの移住の支援など、深刻化する重要課題への対応を求める公開書簡を提出します。この書簡には、ドイツに在住する学者、文化人をはじめとする公人や、環境保護団体らの賛同を募っています。この書簡は、提出後に公開されます。

Facebookイベントページhttps://www.facebook.com/events/288800657933740/

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■ポスター、フライヤーのイラスト提供:Chuuu

PosterA2_kazaguruma_4web

FlyerA5_Kazaguruma_4Web

■ウェブデザイン:Minori Higuchi
ウェブが見易くなりました!

ありがとうございました。

Sayonara Nukes Berlin

電力供給の市民表決 Volksentscheid

volksentscheid2この日曜日に、ベルリンでは電力供給を電力会社から市民組織に移行させるか否かの選挙がありました。この選挙が成功すれば、今まで電力会社が牛耳っていた電力に関するすべてのプロセス(発電方法から組織としての管理まで)を市民が参加して決められる上に、100%再生可能なエネルギーをフェアに配分できるということで、私も非常に期待していました。
しかし・・・残念ながら選挙は失敗してしまい、ベルリン独自のエコなエネルギーの夢は消えてしまいました。それでも、今回の選挙から学ぶこと、得られたことはたくさんあると思うので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

まず、こういう政治参加の形態があるということ自体、私はすごいと思いました。
今回のような選挙のことをドイツ語ではVolksentscheidといい、日本語だと住民(国民)表決、レファレンダムなどというようですが、ピッタリ来る日本語訳が思い浮かびません。そもそも、こういう形の政治参加は日本にはない、少なくとも一般市民の日常生活のなかで起こるイベントとしては稀なのではないかと思います。今回の選挙はベルリン市だけで行われたものなので、便宜上ここでは市民表決という言葉を使います。 続きを読む 電力供給の市民表決 Volksentscheid

セシウム137:ゴイアニアの悪夢

先日、ベルリンで行われた放射能に関わる映画を扱う「ウラニウム映画祭」に行ってきました。いくつか見た中から、特に興味深かった「セシウム137:ゴイアニアの悪夢」について。cesio137

この映画は1987年にブラジルのゴイアニア市で本当に起きた被曝事故をもとに作られています。私は今回、ドイツ語字幕で見たこの映画を通して初めてこの事故のことを知りました。
ゴイアニアの事故とはどんなものだったのでしょう。小出裕章さんが詳しく書いているので、以下に引用します。

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1987年 9月、ブラジル、ゴヤス州の州都ゴイアニア市で セシウム137(Cs-137)による被曝事故が発生しました。廃院となった民間の放射線治療クリニックに放射線治療装置が放置されたままになっていて、それを廃品回収業者が持ち出し、市内にあるその業者の作業場で分解されたことで事故は発生しました。
2人の若者(22才と19才)が、廃院となった病院から放置されていた治療用セシウム137 照射装置 (50.9TBg (1375Ci))を価値があるものと思い、持ち帰りました。その段階から被曝が始まり、2~3日後から2人は下痢、目まいなどに悩まされ始めました。彼らは1週間後にようやく線源容器に穴を開けることに成功し、今度は放射能汚染が始まりました。2人はこれを別の廃品回収業者に売り払いました。セシウム137は青白く光る粉末(セシウムの塩化物)であったため、暗いガレージの中で光っていました。買い取った廃品回収業者はそれを家の中に運び込み、その後数日にわたって家族、親類、隣人が、これを眺め、手を触れ、体に塗ったりしました。また業者の親戚、隣人が好奇心から自宅に持ち帰ったりしました。その家の娘は綺麗に光る粉を舐めて遊びました。作業に当たった人とその家族全員の体の調子が次第におかしくなり、廃品業者の妻が青白く光る粉に原因があるのではないかと気付き、それをゴイアニア公衆衛生局に届けました。医師は症状から放射線障害の疑いを持ち、市の公衆衛生部と州の環境局に連絡しました。放射線測定器で測定して放射線被曝事故が起こっていることがようやくに明らかになりました。当時、ゴイアニア周辺は雨季のため解体された線源中のセシウム137が溶解し、放射能汚染が広い地域に広がりました。
事故後の9月30日から12月22日までの間に約112,800名の住民の汚染検査が行われ、249名の汚染者が発見されました。120名は衣服、履物のみの汚染、残り129名には体内取込みと体外汚染がありました。0.5グレイ以上約 70人、1グレイ以上 21人、4グレイ以上8人でした。結局、この事故で38歳の女性と6歳の女の子、22歳と18歳の男性の合計4名が亡くなりました。死亡者4名の推定被曝線量は4.5~ 6.0グレイでしたが、7.0グレイを被曝しても生き延びた人もいました。もちろん、JCO事故と同じように、被曝によって加えられたエネルギーによって死んだ人たちの体温はわずか1000分の1度ほどしか上昇しませんでした。
回収できた汚染は一部でしかありませんが、ブラジルの原野に広大な置き場を作って隔離されました。

http://chikyuza.net/n/archives/5043 (図は省略)
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これと似たような事故が2000年にタイでもあったそうで、その際はセシウム137ではなく、コバルト60が原因でした。ちなみに、コバルト60が金属に混じる事故はいろいろなところで起きています。

放射性物質というと、原発や原爆や水爆の影響で出てくる非日常的なものという印象がありますが、医療器具だけでなく、いろいろなところに使われていているそうです。それに気づかずに、もしくはずさんな管理の結果、作業員が被曝したり、気づかないうちに放射能汚染が広まってしまうことがあります。

ゴイアニアの場合も、一般市民の日常生活の中で突如起こった放射能事故です。廃院から機材を持ち出した人たちは、金属をお金に変えたかっただけで、まさか放射性物質が中にはいっているなどとは思いもしなかった、それどころか、放射能がなんであるかすら知りませんでした。

映画を見ていて面白かった(というと語弊があるのですが)のは、セシウム137の存在を全く知らない人たちが、どうやってこの物質と自分や身の回りに起きる異変を理解するかということです。

セシウム137がどれだけ恐ろしいものか分かっている観客は、映画の中で人々がセシウムの入った容器を開けたり、中身を取り出したり、それで遊んだりするという「ありえない」行為に遭遇し、言葉を失ってしまいます。それと同時に、すぐに危険だと分からない放射能のおそろしさを痛感するのです。

セシウム137が暗いところで放つ青白い光は美しく、人々はその不思議な美しさに魅了されます。「おもしろいものがあるから見てみろ」「子供が喜ぶから少し持って行け」。そうやって放射能汚染が広まっていってしまうのですが、危ないものだと知らなければ、全く普通の、なんとも人間らしい言動です。そういえば、マリー・キュリーの伝記で、ラジウムの放つ青い光に感動するシーンがあったよな、とそんなことも思い出しました。鉄くずを売って生計を立てている貧しい人々や子供たちが、見たこともない美しい光に目を輝かせるのは、その後起こる悲劇を予想できるだけに、見ていて切ないです。

この映画を通してよくわかる、もう一つの放射能の恐ろしさは、放射線障害が食あたりや他の病気でも起きうる症状として現れることです。何か悪いものを食べたからだろう、そのうち治るだろう。そう思って、誰もすぐに病院に行こうとしません。そして病院にいっても、(本当の)原因は見つかりません。そうしているうちに放射能の汚染はどんどん広がっていきます。
あの光る物質が来てからどうもおかしい。人々が体調を壊しているのはあれのせいではないか?その因果関係を見つけるまでに時間がかかるのです。そこに気づくと、病院だったところから持ってきたものだということが引っかかり、医療知識のある人が、これは放射能なんじゃなかと疑いだします。

どこからどこまでが放射能による被害なのか。放射線障害は放射能の存在が確認されて、汚染の量が測られてみて初めてわかります。健康被害との関係は、結局のところ推測の域をでません。大量に放射能を浴びても生き延びる人は生き延び、少量でも深刻な被害を受ける人がいます。実際に、この事件でもっとも多く放射線を浴びたであろう鉄くず回収業者の男性は、事故の直後ではなく数年後に亡くなっています。
もし今私の近くで似たような事故が起きて、放射能の影響で吐き気を催しても、私はこの吐き気が放射能によるものだとはまず思わないでしょう。映画の中の人々のように、何か悪いものを食べただろうかと考え、タチの悪い風邪だろうか、しばらくすれば治るんじゃないかと思うことでしょう。
この事故で亡くなったのは4人ということになっていますが、直接の関連性が証明できないだけで、事故の影響で病気になって亡くなった人というのはおそらくもっと多いことでしょう。この映画を作った監督も、この事故の被害者の一人だそうです。後遺症に苦しむ人や、精神的なダメージを負う人がいたであろうことを考えると、たった一つの医療器具の不始末によっておこる事故の恐ろしさは計り知れません。

こうした事故が起こることで、身近なところで使われている放射性物質が確実に管理されるようになると思いたいところですが、すでに書いたように、近年でも事故は起きています。やはり、人間がやることに100%安全なことはないのです。
ずさんな管理の結果だけでなく、こうした危険な物質が意図的に盗まれて悪用される可能性も否定できません。原発は空からの攻撃に無防備だということは知られていますが、身近なところにある放射性物質を使ってテロを起こすということも理論的には可能でしょう。そう考えると・・・怖いですね。

何かおかしいと思ったときにどうするか。ゴイアニアの事故で大事な役割を果たしたのは、廃品回収業者の妻でした。夫や男たちは全く無邪気で、飼っていた小鳥が死のうが、犬が病気になろうが、自分や周りの人々が体調を崩そうが、危機感を感じません。
すべては光る粉のせいではないかと気づき、病院に行き、セシウム137を(夫の反対を押し切って)衛生局に持っていった彼女の存在がなければ、この事故はもっと深刻なものになっていたでしょう。もう一人、光る粉に最初から懐疑の目を向けたのも女性でした。放射能だと気づき激怒し絶望する、この映画の中でようやく私が理解できる行動を取ったのは、この、放射能の存在を知る母親でした。直感的に異変に気づく能力や、おかしいことをおかしいと認識する能力、それを裏付ける知識というのが大事なのだと思いました。フクシマ後、放射能が身近になった私たちにとっても、それは言えることではないでしょうか。(KIKI)

参考
・Césio 137. O Pesadelo de Goiânia ブラジル(1989), 95 min, 監督: Roberto Pires
・「終焉に向かう原子力」(第10回)放射線被曝事故の悲惨さと避ける道(小出 裕章)」
http://chikyuza.net/n/archives/5043
・日常生活の中で起きた放射能事故についてはここの書き出しも参考になります
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-927.html

Endstation Krasnokamensk

先日、ロシアのウラン採掘場のある街についての映画
Endstation Krasnokamensk. Ein Heimatbesuch (Final Destination Krasnokamensk. A Visit Home)
を見ました。
krasnokamensk

クラスノカーメンスクは、中国とモンゴルの国境の近くにある人口5万5千人ほどのロシアの街です。1963年にこの街の近くでウランが発見され、1969年に街ができました。延々とステップが広がる「なんにもない」ところに、ウランを採掘するために作られたこの街では、毎年3000トンのウランが採掘され、それはロシア全土のウラン生産の90%を、世界レベルでみると約10%を占めているそうです。

「地の果て」にあるウラン採掘の街には刑務所もあり、数年前にそこにロシアの大物実業家が収監されたことで注目を浴びましたが、メディアにおけるこの街の描写というのは惨憺たるものです。
この映画の監督の一人であるオルガさんは、16歳の時にこの街を離れてドイツに移住しました。クラスノカーメンスクで子供時代を過ごした彼女にとって、自分の記憶にある街と、メディアで取り上げられる街には大きな隔たりがありました。実際にクラスノカーメンスクとはどんなところなのかという彼女の問いに加え、そこで暮らしているであろう、会った事のない彼女の父親を探すというのが、この映画のストーリーです。

krasnokamensk2
かつては地図にも載せられず、訪れるには特別な許可が必要だった街、クラスノカーメンスク。
どんなに物々しいところだろうか?
放射能の影響はどれほど深刻なのだろうか?
住民はどんな犠牲を強いられているのか?
そもそもそんなところで撮影をして大丈夫なのか?
そういう思いでこの映画を見ると、カメラに映し出される人々の明るさ、素朴さ、そして無邪気ともいえる雰囲気にびっくりするでしょう。街の成立40周年のお祭りに沸く街に、放射能汚染の影をみつけることはできません。
40年前に作られたであろう団地が立ち並ぶ町並みは、私の感覚では美しいとはいえないのだけれど、インタビューを受ける人々は口々に彼らの故郷の美しさと「普通さ」を強調します。ウソをついているのではなく、故郷に対する愛着と誇りから本心で言っているのでしょう。ドイツからはるばる戻ってきたオルガさんは人々に暖かく迎えられ、カメラを向けられた人はみな、それぞれの言葉でクラスノカーメンスクを語ります。

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「放射能の影響はないんですか」という問いをオルガさんは至るところで発するのですが、人々はいたって無頓着です。全然大丈夫だと言い張る行政側だけでなく、一般の住民からウラン鉱山で働く労働者まで、誰も深刻に考えていません。「ウォッカを飲めば大丈夫だとどこぞの教授が言っていた」だの、「どのみち死ぬんだからいいんじゃないか」だの、「汚染された石や服を家にもって帰るわけじゃないから平気だ」だの言う人がいる一方で、「気にはなるが、だからといってどうすることもできない」というのが大方の意見のようだと思いました。
「気にはなる」という程度で留まっているのは、言うまでもなく、クラスノカーメンスクの人々が放射能に関する知識とそれに対応するための十分な情報を持ち合わせていないからです。
行政側が根拠にする統計では、放射能による明らかな健康被害を証明することはできません。
病院は先天性異常や流産に関して「そういうこともあるけれど、それはタバコやお酒の問題なのだと思う」という返事をします。体調が悪いと言う人も、それを放射能のせいだとは断言しません。
事故で亡くなれば本人が悪いということになり、働けなくなってもちゃんとした補償はされません。
一方で、若くして亡くなった人の話や、肺の検査をうけるように勧める通達が貼られていたりと、そこここに放射能の被害が現実にあるのではないかと思わせる部分があります。

実際にウラン採掘に関わっている人々はというと、彼らの関心は放射能ではなく、労働条件です。
ソ連時代は非常に優遇されていた労働者が、今では生活の基盤すら脅かされる程度の賃金しか与えられず、彼らいわく「奴隷のような」労働に駆り出されているのです。昔からウラン採掘に関わってきた人々にとって、正体のつかめない放射能より、日々の生活に直接響く労働条件のほうが深刻なのです。
かつて国の根幹をささえているのだという誇りを持って働き、それに見合った待遇を受けていた人々が、今では私有化された企業の末端で使い捨てにされている。その現実に労働者は憤っても、ウラン採掘そのものを問題視することはありません。

「どうしようもない。」これがクラスノカーメンスクの人々の放射能に対する認識なのだと思います。労働条件の悪さを訴えれば「嫌なら辞めてください」と言われるだけ。クラスノカーメンスクを出ようにも、どこへ行って何をして暮らせばいいのか。人々はその閉塞感の中で、「今までどおり」に暮らしているのです。

映画が終わってから、監督の二人を前に質疑応答がありました。
ジャーナリストの女性が、「なぜもっとちゃんと調査しなかったのか、問題だと思う」という意見を述べ、面白い議論が起こりました。「これはロードムービーであって、ジャーナリズムの作品ではない。厳密な調査をするとなれば全く違う作品になっていただろう。クラスノカーメンスクのいろいろな立場の人に話をきけたが、ひとつの結果を出そうという意図はない」というのが監督2人の答えでした。
もう一人のジャーナリストの女性が「こういうテーマを扱うのに無責任なのではないか」というようなことも言いましたが、それは会場からもブーイング。私も、この映画が「ひとつの真実」を追求するのではなく、クラスノカーメンスクに存在する「たくさんの事実」を描き出したことを評価したいと思います。
原子力産業は、ウラン採掘から放射性廃棄物の処理に至るまで、多くの人々の生活と結びついたものです。それは、日本でも言えることではないでしょうか。原発をやめるとなったら、今までそれに依存してた自治体や人々の生活はどうなるのか。地域の誇りだった産業が悪と断罪された時、人々はその故郷とどう向き合えばいいのか。

質疑応答のあとで、もう一人の監督であるマリアンネさんと話をしました。はじめてクラスノカーメンスクに行ったのが2009年で、映画が出来上がったのが2012年ということで、その間に起きたフクシマの影響はあったのかと聞くと、全然なかった、との返事。「心配する声があったとすれば、それは原発が減ることで彼らの仕事が無くなるのではないかという事だ」という話を聞いて、なるほどと思いました。そこにウラン採掘を環境や健康の問題として考える私たちと、生活の糧としてとらえるクラスノカーメンスクの人々との決定的な立場の違いを読み取ることができるでしょう。

低予算の映画なので、大きな映画館で定期的に上映されることはないと思いますが、(ロシア語のインタビューにドイツ語のナレーションと字幕なので)ドイツ語かロシア語が堪能な人にはオススメです。(文責:KIKI)

参考
Endstation Krasnokamensk. Ein Heimatbesuch. Ein Dukumentarfilm von Marianne Kapfer & Olga Delane. 87min (2013)
トレイラー(英語):https://www.youtube.com/watch?v=dgjJF0sz_Bw
写真はフェイスブックからお借りしました。

内部被曝を考える

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環境フェスティバルの翌日に行った勉強会「東電福島第一原発大惨事の今 ―放射線内部被曝による健康障害―」について、まとめておこうと思います。

今回お話を伺ったのは、岐阜環境医学研究所所長の松井英介医師です。呼吸器学や放射線医学の専門家で、フクシマ以降は内部被曝の危険を訴えて、日本のみならず海外でも積極的な活動をなさっています。かつてベルリンで研究をされていたこともあり、ベルリンは第二の故郷とおっしゃる松井さん。「松井先生」とか「松井医師」という肩書きをつけてより、つい「松井さん」と呼びたくなるような、朗らかで親しみやすい雰囲気の方です。(ということでここでは「松井さん」と表記します)

松井さんは「見えない恐怖 放射線内部被曝」の著者でもあり、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の呼びかけ人の一人でもあります。内部被曝の専門的なことはそちらを参考にしていただくとして、ここでは、今回のお話の中で私が特に興味深いと思った点を挙げておきます。

まず、内部被曝とはなにか、という根本的な問いですが、これは外部被曝(たとえば原爆)と比べると分かりやすいと思いました。外部被曝がおもにガンマ線が外から身体を貫いたときの影響であるのに対して、内部被曝は、身体の中に沈着したさまざまな放射性物質からくり返し長期間にわたって照射される、おもにアルファ線とベータ線による影響です。
内部被曝の場合、影響を及ぼす放射線量は低レベルなのですが、放射性物質が体の中に留まって、そこから放射線を出し続けることにより健康被害が出ます。体のなかに取り入れられた放射性物質は、その性質によっていろいろな部分に溜まります。セシウム137は筋肉や心臓に、ストロンチウム90は骨や歯に、というように沈着して体の中にホットスポットができます。

内部被曝について考える場合、チェルノブイリ事故後の被害をみるのがよさそうです。主にガンマ線による高レベルの外部被曝である原爆の影響は、フクシマ後に微量の放射線を体に取り込み続けている現在の私たちの状況とは違います。しかし、現代の医学の基本にもなっているICRP(国際放射線防護委員会)の基準が、ヒロシマ・ナガサキの外部被曝の影響を元に推定したものなので、体の場所ごとに影響が違う内部被曝については過小評価されているそうです。
被曝の自覚がない人々に深刻な健康被害が出たという点では、イラク戦争で使われた劣化ウラン弾による被害も放射能の「見えない恐怖」を知る手がかりになりそうです。

フクシマが起こってから、必要に迫られて「放射能ってなんだ?」ということを調べだした私にとって、全く実感できないものの存在とその危険性を日々の生活の中で考えるというのはとても難しいことです。今回のお話を通じて、被曝を避ける云々以前に、そもそもそこに危険なものがあるということを突き止めてデータとして出すのが難しいことなのだということがよくわかりました。
たとえば、ホールボディカウンターでわかるのはガンマ線だけ。そうすると、ベータ線しか出さないストロンチウム90やアルファ線しか出さないプルトニウム239は測れない。空間線量を測るガイガーカウンターのようなもので食品の汚染濃度を測ることもできない。
松井さんが問題視していることのひとつに、日本での食品検査の際にストロンチウム90が計測されていないことがあります。ウクライナやベラルーシなど、チェルノブイリの影響が大きいところの調査では、セシウム137とストロンチウム90の許容線量限度値が決められたのですが、日本ではストロンチウム90が無視されています。ストロンチウム90はカルシウムと似ていて、骨に溜まる性質があり、内部被曝を考える上では非常に重要です。検出される量はセシウム137と比べ少ないのですが、ストロンチウム90の健康リスクはセシウム137の約300倍もあるそうです。
旧ソ連でできたことが、なぜ現代の日本でできないのか、などというと語弊はありますが、移住の問題にしろ、検査の問題にしろ、フクシマをめぐる日本の対応を見ていると、チェルノブイリから学ぶべきことはまだたくさんありそうです。

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松井さんのお話の中で、文系人間な私に特に響いたのは、原発というものの歴史的・社会的背景についてです。フクシマは起こるべくして起きたことなんじゃないか、私たちは清算できていない負の歴史の延長線上にいるのではないか、と思いました。原発を考える上で、第二次世界大戦や、原爆や、戦後の原子力政策を無視することはできません。

WHO(世界保健機構)は1959年に「IAEA(国際原子力機関)の了解なしに情報公開・研究・住民救助をしてはならない」という協定を結んだことにより、原子力に関する活動の自由を奪われているそうです。
原子力産業と結びつきの深いICRP(国際放射線防護委員会)が作った基準は原爆の情報をもとにしており、原子力産業に都合のいいようになっています。

「安全だ」「大丈夫だ」と言っている人々や団体は、何を根拠にそう言っているのか。彼らの示す「科学的根拠」はどこまで信用できるのか。背後にどんな権力やお金が潜んでいるのか。集めた情報をどうするのか。そういうことを疑ってかからないと、被害者はいとも簡単に「人体実験」の道具になり得てしまうばかりか、それを傍観する市民は結果的にその無責任な行為に加担するはめになってしまいます。

そんなおおげさな、と思うでしょうが、そこが私たちが歴史から学ばなければいけない核心部分だと思います。
731部隊の資料や原爆の被害者の資料はなぜアメリカに渡ったのか。
戦後に罪を問われなかった「戦犯」たちが何をしたのか。
第五福竜丸の事件後に起きた反原発(水爆)運動はなぜ消えたのか。
核のゴミで作られた劣化ウラン弾とは一体なんだったのか。
ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸を経験した日本人がなぜ「原子力の平和利用」などということに手を染めてしまったのか。
そういう問いは、どこかで「なぜフクシマを経験した日本がまだ原発に頼ろうとし、よりによって外国にまで原発を売ろうとしているのか」という現在の状況に繋がってくるのではないでしょうか。

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内部被曝の恐ろしさを訴える松井さんは「脱ひばくを実現する移住法」制定への提言をしていらっしゃいます。内部被曝のメカニズムやチェルノブイリの被害などもここで詳しく紹介されているので、ぜひ一読してみてください。
”内部被曝による健康障害の深刻化を食い止めるために、今最も求められているのは、「家族や地域の人間関係を保って放射線汚染の少ない地域に移住し、働き子育てする権利を保障する法」(略称)の制定です。今だからこそ水俣病など公害闘争の歴史に学び、国際的には「チェルノブイリ法」を実現した市民運動に学び、その教訓を生かすべきです。”

松井さんの提言に深く共感する一方で、いまだに収束の見通しすらたたないフクシマの現状や、汚染された瓦礫や食品が全国各地にばら撒かれていることを考えると、早くなんとかしないと、肝心の「放射線汚染の少ない地域」が日本からなくなってしまうのではないか、という気すらします。
何を食べればいいのか、ということに神経をすり減らすだけではなく、未来に向けて社会を変えていく努力をしなければいけないのだと思います。

今回多くのことを考えるヒントを与えてくださった松井さんと、協力してくださった皆さん、どうもありがとうございました。(文責:KIKI)

参考
「脱ひばくを実現する移住法」制定への提言 http://tkajimura.blogspot.de/2013_04_01_archive.html

インドへの原発輸出

KIKIのコラム第2回目は、私たちが環境フェスティバルでも取り上げていた、インドへの原発輸出について。

この5月の終わりに、インドのシン首相が日本を訪問しました。その際に、日本がインドに原発を売るための交渉が進むだろういうことで、事前に日本の反原発団体は抗議を示していました。このアクションに賛同してもらえないかという要請があり、Sayonara Nukes Berlinも229の団体とともに安倍首相とシン首相に宛てた要望書に名を連ねました。

少々長いので、この記事の終わりに安倍首相に宛てた要望書を載せておきます。インドにおける原子力の背景も分かりやすくまとめてあるので、ぜひ読んでみてください。

原発のない社会を望む私たちにとって、日本であろうが、インドであろうが、新しい原発を建てるというのは言語道断。ましてや、フクシマを経験し、原子力の恐ろしさを身をもって知っているはずの日本人がその技術を海外に売るというのは、とうてい受け入れられるものではありません。 続きを読む インドへの原発輸出