「コラム」カテゴリーアーカイブ

コミュタン福島訪問等

 福島の事故から5年以上が経過し、その間自分の中でもいろいろな変化があった。

 特に2014年に乳がんの手術を受け、治療の一環で放射線治療を受けた後は、医療上のことと事故のことという違いはあるものの、「放射線」というテーマに対して、変ないい方かもしれないが、何か一つ肩の力が抜けたような気がする。そんなこともあって、今回SNBさんより「何かこのテーマについて書いてみませんか」とお誘いを受けたときも、何か書いてもいいかな、という気分になることができた。ただ、私はジャーナリストでも、とりたてて博識なわけでもないので内容は稚拙なところがたくさんあると思うので最初にその点だけお断りしておきたい。

 201611月。用事があって日本に帰省するのに合わせ、福島県郡山市に1泊することにした。大きな理由は震災後から毎年クリスマス時期に郡山からほど近い三春町にある葛尾村の仮設幼稚園に小さなプレゼントを送っているのだが、ちょっと早いプレゼントを直接持参しようと思い立ったからである。高速バスやホテルを予約したのち頭をよぎったのが、そういえば武藤類子さんのお住まいがこのエリアではなかったか、ということを思い出し、連絡を取ってみたところ、ちょうどその週末はアメリカから知人の方がいらしているがご自宅にはいらっしゃるということで何度かメールのやりとりをする中で、三春についにできた「コミュタン福島」という施設を見たほうがよいとお勧めいただき、当日コミュタン福島で待ち合わせをさせていただくことになった。

   8時半の郡山行き高速バスに乗ってちょうどお昼すぎ、郡山駅前に到着。急いでホテルに荷物を置いて13時発の「コミュタン福島」への無料シャトルバス(日曜日だけ運行されている)に乗るべくダッシュした。多分13時ちょっと過ぎたと思うが、シャトルバスはまだ出発しておらず、運転手の方も何かちょっとびっくりされたような風で迎えてくださった。。。50人乗りの大型バスには私一人がちょこんと乗車しているだけだったので、なんとなくびっくりされた理由がわかった(私もびっくりした)。30分ぐらい走った後だったか、途中バスが止まったので何事かと思い運転手の方にお尋ねしたところ「この停留所で一応止まることになっていましてね、まあ誰も来ないんですけど、すみませんお急ぎですか?」と申し訳なさそうに答えられてしまった。。。

当日は私一人でびっくり、の車内

 さてそれから10分後ぐらいだったか、ようやく「コミュタン福島」に到着した。武藤さんと、アメリカからいらしていた知人の方もともにいらして、それがシカゴ大学日本文学名誉教授ノーマフィールドさんということをこの時初めて知った。

 さて、「コミュタン福島」とは「福島県環境創造センター 交流棟」の愛称である。

コンクリートでできたシンプルな外観

ホームページには

 ”福島県環境創造センター交流棟は、県民の皆さまの不安や疑問に答え、放射線や環境問題を身近な視点から理解し、環境の回復と創造への意識を深めていただくための施設です。

コミュタン福島には、放射線やふくしまの環境の現状に関する展示のほか、360度全球型シアター、200人収容が可能なホールなどを備えております。

コミュタン福島で得た学びや体験から得た知識や深めた意識を、子どもたちや様々な団体が共有し、それぞれの立場から福島の未来を考え、創り、発信するきっかけとなる場を目指します。”

 と記載がある。

 当日ほとんど事前知識のない状態でさらりとこの「コミュタン福島」を見てみると、入口で福島の事故が起こった時のビデオ、そして放射能とは何か云々(ようは自然界にも存在するとかそういった「安心感」を与えるようなよくある内容)の他に展示の何パーセントかがいわゆる自然エネルギー紹介であることもあり、ちょっと錯覚を起こしてしまいそうな雰囲気となっている。錯覚とは、放射能について正しく学びつつ将来は自然エネルギーについて考え、未来は原子力に頼らない県づくりを、といった前向きなメッセージを感じ取れるような施設に仕上がっている風に思い違いを起こすような、という意味だ。

写真がぼけていてすみません
コンピュータで自分で学べる図書館のような場所がある

 この施設の建設時には武藤さんをはじめとした脱原発に取り組んでいる方々からもいろいろ意見を取り入れますということで話し合いが持たれたそうだ。そういった面で多少の意見が取り入れられたのだと思われるが、ただ冷静になって考えてみると例えば原発事故はまだ収束していない、原発労働者の問題や汚染水の問題等は一切この施設には出てきていない。汚染水の流出などは数値化して毎日更新するなどしたほうが現実味が増すような気がするがそういったものではなく、数値化されているのは福島に観光で訪れた人の人数(震災後観光客足がどう増えたか)だったりで、負の側面を「巧妙に語らない」ようにできた施設といえるかと思う。

放射能に対する知識をつけるような冊子類に交じって、水俣病問題の本やシリア難民についての本が置かれていた。

 あと特出したものといえば、360度全球型シアターで上映されるイメージ映画?というのか、震災、原発事故という災難を超え、福島の美しい四季を西田敏行さんの素晴らしいナレーションで堪能できるシアターがあった。聞いた話によればこの360度のスクリーンを使った施設は世界で2件しかないという最先端の技術だそうだ。。。
 ちなみに施設の建設費は70 億円(南相馬にもある環境放射能センターと合わせて全体で192億円)、年間運営費は9億円×10年 という話で、これは国の復興費からでているそうだ。日本国民はこういうこと知っているのか?と不思議に思う次第。。。復興とは何ぞや。。。

 さっと見学したのち、武藤さんとノーマさんの3人で休憩室にて少しお話しをすることができた。

 個人的なことを最初に書けば、ノーマさんとは今回初めてお会いしたのだが武藤さんとは2度目になる。1度目は2013年に当方のイベントにてビデオ上映をするため東京にてインタビューをさせていただいた経緯がある。武藤さんにお会いする前まで、私の中の勝手なイメージは失礼ながら「長いこと脱原発に取り組んでいらっしゃるバリバリの活動家の方」で、何か変な質問したら怒られそう、とか戦々恐々としていたのだが、実際お会いした時の第一印象がとても柔らかで、それでいて一つ芯の通った素敵な女性、こういう方を「大和撫子」というのだ、と感動したことが忘れられない。知識のない私の稚拙な、どうでもいいような質問に対してもゆっくりと丁寧に、わかりやすく答えてくださる。何よりも私が尊敬するのは、武藤さんの言葉の背景にはいつも「人への愛情」がこもっていると感じさせてくれる点である。武藤さんご自身はもちろん脱原発という確固とした意志を持っていらっしゃるわけだが、例えばその意志が何か相手を傷つけるような場面に遭遇したとしたら、武藤さんは決して相手に自分の意見を強いるようなことはしないと感じる点である。静かに、相手の意見に耳を貸しながら、寄り添っていかれるのだと私は推測する。

 私が悲しく思うのも、攻撃の矛先が国や東電ではなく何故か避難しなければならなかった人たちだったり、県民同士国民同士が争う構造だ。武藤さんの今回のお話の中で例えば「被災者支援の延長を求める人たちはクレーマー扱いとなっている」などのことは、日本人の冷酷さを感じるところである。以前東京の山谷地区で長年ホームレスと活動している方と話しをしたことがあるが、ホームレスについていえば「ホームレスになった本人に問題がある」的な意見が普通にまかり通るのが日本の風土のようである。よくよく思うに、これはホームレスの方に対してばかりでなく、何か社会的弱者の立場にあるような人々に対してよく見られる反応、いわゆる「自己責任」という言葉でばっさり切り捨てるような風土があるように思う。実際私も15年東京で暮らしていた際はそのように思っていた節があるし、そのままずっと日本に暮らしていたらそんな風に思って一生を終えていたかもしれない。今は、例え自己責任があったとして、どうしてそれが「人を助けない」理由になるのか、と疑問に思うようになった。震災を海外ドイツで体験したわけだが、それでもこの出来事は自分の考え方を変える大きなきっかけとなったといえる。

 さて、武藤さんからうかがって空恐ろしいと感じたことといえば、福島県内の小学校5年生は全員「コミュタン福島」へ課外授業として訪問することとなっているそうだ。すでにその取り組みは始まっている。武藤さんのお話しではなんでも水俣病問題の際も小学校5年生がターゲットになっていたらしい。日本の小学校5年生のレベルで、この施設に対して負の側面を見極めることのできる子はどれくらいいるのか、正直判らない。私が訪問した日曜日には数人の家族連れの方がいて、子供たちが「放射能撃退ゲーム(?)」(大きなスクリーンを使って、何か専用の板をかざして放射能に見立てた点やら記号やらから自身の体を防御するといった風なゲームと思われる・下記写真)をしながらキャッキャッとはしゃいでいる様子を見た限り、よほどご両親か教員の方がきちんとした状況を伝えないことには難しいのではと思う。

インタラクティブなシステムを使ってこのようにゲーム感覚で放射能(と見立てた記号物)と遊ぶことができる

 そもそも放射能を安易に撃退できるような術はないと思うが、こういったゲームで何か「自分が撃退できる」ような疑似体験をさせるのはいかがなものか、と考えてしまう。 

 そういう意味で親御さんや教員の皆さんの役割は極めて大きいと思う。子供たちに事故の罪はないから明るい未来を見てほしい、と思うかもしれない(大人自身がそう思いたい)が、このような重大な事故を起こした現実を大人たちにはきちんと伝える義務と責任があると私は思う。特に「コミュタン福島」の館長が原子力村出身、その他IAEAJAEAのジョイントベンチャー施設ということを冷静に見つめれば、いろんなことを「疑ってみる」べきだと思う。

 脱原発の活動において全く先が暗いというわけでもない点ということで武藤さんにお話しいただいたこととしては、ご自身が活動されている福島原発告訴団の活動がようやく実を結んで東電の当時の役員を強制起訴すべきであるという結果を導くことができた点と前新潟県知事の突然の不出馬に混乱を来した新潟県知事選において脱原発を掲げた米山氏が当選したということだ。(その後柏崎市長選では原発容認候補が勝利してしまいましたが。。。)
 強制起訴については活動が実を結ぶというのはうれしいことではあるが、5年もウヤムヤにしている司法制度、国、東電はどうなんだ、という感もある。というかまだ決着していないわけなので大変な道のりと思う。オリンピック、オリンピックと浮かれている場合ではないと思うのは日本から離れた場所に住んでいるからだろうか。オリンピックでよくなったであろう景気を堪能できない身分なので「そんなに大事なこと、すごいことなのか?」と思うばかり。。。

 今年もすぐに6年目の311日がやってくる。不精な私はそれこそ毎日アクティブに日本の状況をネット等で検索しているわけではないが、年を追って原発事故のニュースが目につきやすいトップページに掲載されることは少なくなってきたと感じる。それはただ、決して「56年たって状況が良くなってきた」からではない。下記の201719日放映のドキュメンタリーを見たが5年の歳月を耐え、また状況に戦って来られ、そのエネルギーが今尽きようとしている方々がたくさんいらっしゃるという現実を知るべきと思った。

東日本大震災「それでも、生きようとした~原発事故から5年・福島からの報告~20170109
http://www.dailymotion.com/video/x57x49t
(リンク切れの場合はご容赦ください)

 子供たちの甲状腺がん(疑いを含む)についていえば、201612月までに183人になったそうだ。ニュースではだいたい数字の報告だけの「冷たい」お知らせになっているかと思うが、例えば183人の子供という数値を現実感をもって「想像」しようとすれば、これは小中学校の4クラス分とかそんなとんでもない数ではないか?ちなみに武藤さんたちが20167月より設立した「3.11甲状腺がん子ども基金 」の第一回療養費給付金補助には36件の応募(うち福島県外から9件)があったそうである。

福島第一の模型が飾られていたがなんとなく危機感がない

 この文章を記載するにあたり再度武藤類子さんに数値上の誤り等を修正していただきたくコンタクトをしたところ、

「昨年11月にお会いした後に、身近に甲状腺がんを含めた健康被害が見つかり、また自死などの事象も起こり、やりきれない状況です。それでもおそらく3月までには、刑事裁判が始まると思います(福島原発告訴団の活動,東電の当時の役員を強制起訴)。出来うることを、一つずつやっていくしかありませんね。」という静かで力強いメッセージをいただいた。

 ご自身が福島にて被災され、福島の被災された方々に寄り添いながらいろいろな活動をされる中、心が何度も折れるような大変な状況下をすごしていらっしゃるのに、こうやって一歩一歩前進していこうと心を振るい立たせるのは本当に並大抵のことではない。その原動力は、と思いをはせたとき、思い出すのはコミュタン福島でお会いしたときに話してくださった梨の話だ。

 お知り合いの農家の方で長年梨を生産していた方がいらしたそう。原発事故で放射能汚染され、最初の数年はセシウム値が検知され、心を痛めつつ購入をせずにいたそうだ。それが今年になってセシウム値がゼロとなった旨連絡がき、不安に思いながらも一箱梨を購入されたそうだ。

「もし私に子供がいたら食べさせるかどうかわからない、、、でもねえ、この買った梨を食べたときは(原発事故以前と変わらず)本当においしい~ぃって思ってね、、、」

 ”おいしい~”と話されたときの武藤さんの、複雑な声のトーン。このような”おいしい~” は初めて聞いたように思う。戻ることのできない過去への思慕と悲しみの中にミックスされた「郷土への深い愛情」が静かに響く、そんな寂しくも強い音色だった。

Manami N.

リンク
3.11甲状腺がん子ども基金
http://www.311kikin.org/

3月11日に思う。

今日は3月11日。

東日本大震災の被害にあわれた方々のことを思います。

私は震災直後、かつて働いていたNGOに3か月間の助っ人として緊急援助チームに加わるため日本に帰りました。ベルリンから日本に向かう飛行機の中で「私のふるさとの国はどうなってしまうのか」と日本の新聞を涙を流しながら読んだこと、現地に向かい津波がすべてをさらった場所に初めて立った時の衝撃は今でも忘れられません。

緑の山を抜けるといきなり広がった光景(南三陸・筆者撮影)
緑の山を抜けるといきなり広がった光景(南三陸・筆者撮影)

福島第一原発事故が発生し、米国に本部のあるそのNGOは、活動は原発から80㎞以上離れていなければならない、という指示が出ました。当時原発や放射能についての知識がそれほどなかった私は、歯がゆい思いをしたものです。

あれから5年。2013年に友人と一緒にSayonara Nukes Berlinを結成してベルリンで反原発のデモを初めて行い、仲間が増えて様々な活動を通して勉強するにつれ、原発がいかに倫理に反しているか、原発に頼らない未来をめざさなければならないことを深く思うようになりました。 続きを読む 3月11日に思う。

大切なあなたの一票を海外から届けよう―在外選挙の呼びかけ

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日本国外在住のみなさん、在外選挙人登録はもうお済みですか?

今年2016年の夏(6月下旬以降)に参院選があります。この参院選は、連日ニュースで伝えられているとおり、野党共闘初の選挙となり、自民・公明とそれ以外の党というかたちで二つの選択肢が明確に提示される選挙になります。私たちベルリン在住の日本人グループSayonara Nukes Berlin(SNB)は、今度の参院選を前に、みなさんにぜひ在外選挙制度を活用していただくよう呼びかけています。

今回の参院選で自公が2/3以上の議席を占めることになれば、憲法改正が現実となってきますし、川内原発や高浜原発につづいて他の原発も再稼働される可能性が出てきます。日本の未来がどうあってほしいか、今回の選挙を機会に海外からあなたの意思を票にのせて送りましょう。

申請から在外選挙人証を受け取るまでに2~3か月かかります。まだお持ちでない方は、ぜひ今から準備をし、夏の参院選に備えましょう。

申請の流れ(総務省ホームページより)

http://www.soumu.go.jp/senkyo/pdf/061025_02.pdf

在外選挙関連申請書一覧(外務省ホームページより)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/senkyo/shinseisyo.html

さらに詳しい情報は下記Q&Aでチェック!

Nさん(81歳・ドイツ在住43年)のおはなし

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『1970年代ドイツで「海外在住の日本人にも投票のチャンスを」という運動を一人で始め、日本に一時帰国した時に当時の自治省の担当者などに会って希望を伝えましたが、何年も何も起こりませんでした。そのずっと後になって、アメリカ在住の大勢の日本人の運動が実り、2000年から海外の日本人も投票できるようになりました。なかばあきらめていた私はすごく喜び、以来1度も棄権したことはありません。私たちは一票で日本の政治につながっているわけですから、この権利を海外でも行使するのはとても大切だと思っています』

 

在外選挙Q&A

Q. 日本と出てくるときに転出届をだしていないのですが、在外選挙人証を取得することができますか?

A. ①在外選挙人証を取得するには、まず市区町村役場に転出届を提出し、日本での住民登録を除籍しておく必要があります。転出届を行わないと日本国内の選挙人名簿に登録されたままとなるため、在外選挙人名簿に登録できません。

②転出届けは代理人でも可能です。代理申請に必要な書類は:

1.パスポートのコピー(出国した日付が確認できるページと、本人確認ができるページ)

2.出国してから14日以上たってしまった場合は、遅れた理由を一筆書いたもの(原則として、1年以上転出する場合は、転出届を出すのが義務なため。)

3.同じ世帯同居人が代理ではなく、一人暮らしだった場合、代理人は上記の書類のほか申請者の委任状の提出が必要。(様式は各市町村のホームページなどでダウンロードできます)

Q. 移転先でまだ在留届を出していないのですが。

A. 在外選挙人登録申請には、在住の地域を管轄する日本大使館または領事館等に「在留届」が提出されている必要があります(オンラインでも簡単に届け出ることができます)。在外公館に出向いて在留届を提出する場合、一緒に在外選挙証を申請することができます。

在留届について(在独日本大使館ホームページより)

http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/konsular/001zairyu.html#zairyu

Q. 国民年金を払い続けるために、日本に住民票を置いてきたのですが。

A. 日本に住所がなくても国民年金を払うことができます。転出届を出す前に、年金課で「任意加入」の手続きをすれば可能です。

Q. 在外選挙人登録申請は郵便でもできますか?

A. パスポートの提示など本人確認が必要ですので、必ず本人が在外公館に出向く必要があります。

この他にもご質問などありましたら、どうぞお気軽に、sayonara-nukes-berlin@posteo.net までお送りください。

在外選挙呼びかけフライヤーを印刷用にダウンロードする ↓

在外選挙制度2017 呼びかけ更新版_表

在外選挙制度活用の呼びかけ_裏

 

JunさんとKimさんとの出会いー韓国における活動

先日に日本に一時帰国したとき、東京のある人と話していて、東日本大震災と原発事故のことを話題に出してみた。

「ああ、そんなこともありましたねえ。」

もうだいぶ昔のことで、もうそれは解決されているかのような言葉に、ちょっとショックを受けた。

人間は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」性分だが、あの大惨事の直撃を受けた被災地の人々が強いられた損失は埋められず、もう住めなくなってしまった土地や放射性廃棄物は横たわり続け、今も放ち続ける放射能、そこから生まれる差別や搾取構造などを考えれば、何も解決されていないし何も終わっていない。

放射能のように、それそのものが目に見えないものを問題だと意識するにはそれなりの知識が必要だし、それを周囲に伝えて理解を促すことは簡単ではない。でも、その恐ろしさを知り、またそれが先の世代に対して大きなツケになってしまうと知ってしまったからには、何事もなかったかのように何もせずにいることは、未来に対して無責任だと思わされる。

その簡単でないことを、韓国で続けているJun Sun Kyungさんに出会った。

きっかけは、Sayonara Nukes Berlinメンバーが書いたドイツのブルーベリージャム放射能汚染のブログ記事を見つけたJunさんが、ベルリンに行くのでSayonara Nukes Berlinのメンバーと意見交換したいとコンタクトしてきたことだ。

Junさんはソウルで「安全給食連帯」というネットワークの代表をしている。2人のお子さんを持つJunさんは福島の原発事故以来、食品の放射能汚染の危険性を認識するようになり、子どもたちが学校で食べる給食に放射能に汚染された食材を使わないでほしいと行政に訴えたり、放射能に汚染した食品から子どもを守るための法律作りを目指してロビーイングをしたり、ソーシャルネットワークを活用して情報発信している。

JunさんとKimさんとカフェでお茶を飲みながら。
JunさんとKimさんとカフェでお茶を飲みながら。

「韓国でも、反核については関心はあるが、放射能汚染食品による内部被ばくについては、あまり関心を持ってもらえない。やはりだんだんと人々の関心が薄れてしまって、一緒に活動していた仲間も日常の忙しさのために少なくなってしまいました。」 しかし、明るいJunさんの顔に「だからあきらめる」というネガティブな影はなく、むしろ「だから続けていかなければ」という頼もしさが光る。

人々の関心が薄れようと、放射能はそこにある。出てしまったのだ。

チェルノブイリ事故で低線量被爆国であったドイツは、現在も健康被害が続いているという。*1

日本でどれだけ低線量の汚染食品による長期的内部被爆について認識されているだろう。

日本では、有名人がブログで放射能汚染食品についてちょっと不安をもらしたら、ものすごいバッシングにあったとか。怒りを向ける矛先が違うのではないか!と思う。人々が正直な不安を口にすることができない世の中の空気を作り、「食べて応援」とか「風評被害」などという言葉を隠れ蓑に、本来その怒りを受け止めるべき東電や原発メーカーそして、政・官が、その責任を免れている構造になっていて、結局私たちもそれを容認しているような状態だ。

Junさんのように、子どもを守るため「欲しくありません」と声をあげてもいいのだ。そうした訴えは、批判されたり排除されるべきものではなく、吟味されるべきものなのだ。何よりも「いのち」にかかわることなのだから。

Junさんの今回のドイツ視察の旅には、ソウル市のエネルギー市民協力課で働くKim Hyeon Suさんも同行し、Sayonara Nukes Berlinのメンバーとの会合に同席し、ソウル市の状況をシェアしてくれた。

 

現ソウル市長の朴元淳(パク・ウォンスン)氏は、ソウル市長に当選した翌年の2012年に、原発一基分の発電量に相当するエネルギー削減を目指し、 ”One Less Nuclear Power Plant政策”を打ち出した。きっかけは2011年9月に韓国で全国的規模で起きた大停電。162万世帯が影響を受けた。福島第一原発事故が起きたばかりで、人々の原発に対する不安も高まっていたころだ。行政と市民が協議を重ねた結果、1000万世帯のソウル市の未来に安全で安定したエネルギー供給を引き継ぎたい、という思いから、このOne Less Nuclear Power Plantは始まった。ソウル市にエネルギー設計所が創設され、Kimさんの働くエネルギー市民協力課も設置され、発電、効率化、節電などに関連する71のプロジェクトがデザインされた。

ソウル市のOne Less Nuclear Power Plant Projectの冊子
ソウル市のOne Less Nuclear Power Plant Projectの冊子
2014年までに2百万TOE(1TOE=11.63MWh)のエネルギー削減を目標を立てたが、6か月早く目標値に達し、現在さらに原発もう一基分のエネルギー削減をめざすプロジェクトの第2フェーズ”Seoul Sustainable Energy Action Plan”に入っているそうだ。
2014年までに2百万TOE(1TOE=11.63MWh)のエネルギー削減を目標を立てたが、6か月早く目標値に達し、現在さらに原発もう一基分のエネルギー削減をめざすプロジェクトの第2フェーズ”Seoul Sustainable Energy Action Plan”に入っているそうだ。

公的施設の屋根を市民組合などに貸し出したり、小型ソーラーパネルへの市の補助など、Kimさんからいろいろお話をうかがうと、ソウル市は進んでいるなと感じる。Kimさんから頂いた冊子を読むと、鍵はリーダーの決断力と計画段階からの市民の参画だと思う。一国の首都が国内の脱原発・エネルギー転換のモデルになるという姿はうらやましい限りである。

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20年前に日本に2年間留学していたというJunさんの日本語と、韓国語が流暢なメンバーの通訳のおかげでお二人と良い交流を持つことができた。消えそうな火も連帯すれば灯り続ける。

 

参考:*1 福本まさお著『ドイツ・低線量被爆から28年-チェルノブイリは終わっていない』

http://sayonara-nukes-berlin.org/?p=105

被爆、終戦70年、現在、そして未来

「兵隊が姉の遺体を竹棒でつつきながら焼くところを見ても、涙が一滴も流れず、自分が非情な人間に思えて自分を責め続け、このことがずっと私を苦しめることになった。」

被爆体験を語り継いでいる、カナダ在住のサーロー節子さんは、足の痛みを押して杖をつきながら被爆体験の証言をするためにドイツに来られ、講演の司会者に「広島の原爆を経験し、感情的にどのように乗り越えたのか」という質問に、冒頭こう答えた。

私は自分の持てる限りの想像力でそのときの節子さんの状況を心の中で思い描いてみた。

目を閉じてその光景を描き、自分の愛する家族と置き換えて考えてみた。

でもそれは、また次に訪れる日常の出来事にかき消され、痛みを共有できたように思えたのはほんの一時だった。

でも、節子さんは70年、その痛みとともに人生を送ってこられたのだ。

「ある精神科の専門家に、“人間は悲惨な出来事にあうと、その渦中を生き抜くために感情機能を一時的に遮断する。それは人間的に自然な現象なのだ” と聞いたとき、初めて罪の意識から解放され、自分が泣きたいだけ泣けるようになった」と節子さんは語る。

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ICAN主催のベルリンでの講演会で証言するサーロー節子さん

節子さんは戦後、母校広島女学院の恩師の勧めで、ソーシャルワーカーの学びをするために奨学金を得てアメリカに留学する。

到着してすぐ、広島から来た女学生ということでインタビューを受けたそうだ。

その時に、原爆投下を批判的に語った彼女の元に、たくさんのヘイト・レターが届き、渡米して早々傷つき、悲しみのスタートを切った。

しかしそれにくじけることなく、ソーシャルワーカーとしてキャリアを積み、同時に、生き残った者としての使命を感じて被爆体験と核兵器廃絶を訴えて国連本部を初め世界中で語ってきた。

その原動力とは何かと問われ、彼女はこう答えた。”Demonstrating faith through action” ― クリスチャンである節子さんは、行動を通して信仰を証するという信念が彼女を支えているという。

「世界で唯一の被爆国であり、フクシマ事故という大惨事を起こした日本が、原発を再稼動しようとし、また法案を作って再び戦争のできる国にしようとしている今の日本の状況をどう思いますか?安倍総理に手紙を書くとしたらどんなことを書きますか?」という質問が会場からあった。

「Wake Up! 目を覚ましなさい!そして嘘をつくのはおやめなさい。国民の命を守る政権が、権力と利権のために、国民の命を再び危機におとしめるようなことをしている。国民と十分に話し合わないうちにアメリカと約束をして、国民に不正直になり、憲法を守らず暴走するのは、国民の意思に反することだということに気づきなさい、と言いたい。」

心の底からふりしぼられたような声で節子さんは語った。

壮絶な過去の戦争体験を自ら語るのは簡単なことではない。

生き残った被爆者の方々でも沈黙を続けている人たちも多い。

過去を思い出すことがあまりにも辛いからだ。

だから、思う。

節子さんたち被爆者の方々は単に被爆という日本の戦争被害をアピールするために証言を続けているのではないと。

勇気を持って証言を語り続けるのは、懲りずに核兵器を持ち続けるこの世界へ警鐘を鳴らし、再び過ちを繰り返さず平和な未来をつくるためのミッションなのだ。

広島と長崎の原爆投下という過去を記憶し続けることも。

そのような証言を続ける人たちの努力とは裏腹に、日本はまた戦争に加担する道を歩もうとしている。

いくら後方支援とか国際貢献とか言っても、戦争は戦争だ。ひとたび始まってしまえば歯止めが利かなくなる。

過去の戦争責任をあいまいにしている日本が、再び戦争犯罪の歴史を塗り重ねるようなことをしていいはずがない。

終戦からもう70年、私たちにとっても、戦争の証言をじかに聞く機会はもうあまり残されていない。

私たちは自国の過去の被害だけでなく加害の歴史も直視して真摯に取り組み、「不戦の誓い」を貫くべきである。

もう”意図的な無知”を続けるのはやめて、声に出して語り合おう。

この日はアメリカ人プロデューサー、キャサリーン・スリヴァン さんの作品The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-という映画も上映された。

映画ではアメリカで被爆体験を証言し、核兵器の恐ろしさを語り継ぐ長崎の被爆者の女性、フクシマ事故の被災者で避難した女性、また技術者や科学者の証言を通して、核の狂気に私たちは目をつむり続けてはいけないことを訴える。

映画の中である専門家は言う。「核兵器は原発とまったく同じ技術者、科学者でつくれてしまう。」

すなわち、原発を持つということは、核兵器を所持することに等しいのだ。

世界には17,000以上の核兵器があり、これは地球上の人類を滅ぼすに足る量であるという。

それに既存の原発を加えれば、どんなにおびただしい数の恐ろしい爆弾を抱えているかがわかる。

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サーロー節子さんと映画プロデューサーのキャサリーン・スリヴァンさん(中央)

ベルリン近郊ブランデンブルク州の州都であるポツダムは、ドイツが降伏したあと、アメリカのトゥルーマン大統領、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル首相が集い戦後処理を協議した有名なポツダム会談が行われた場所だ。(現在でも会談が行われたツェツェリエンホーフは日本語オーディオガイド付きで見学することができる。)

会談に出席するためポツダムに滞在していたトゥルーマン大統領は、1945年7月25日、宿舎となっていたポツダムの邸宅から、広島と長崎に原爆を落とすGoサインを出したのだ。

2010年、トゥルーマン大統領が宿としていたポツダムの邸宅前の公園に、原爆犠牲者の慰霊と核兵器のない平和な世界を願って、広島から送られてきた被爆石と石碑が築かれ、ヒロシマ・ナガサキ広場と名づけられた。

広島と長崎に原爆が投下されて70周年でもある今年の7月25日、ポツダムのヒロシマ・ナガサキ広場では被爆者の慰霊式典と灯篭流しが行われる。(詳細は下記ヒロシマ広場をつくる会のホームページをご覧ください。)

異国の地ドイツでも、広島・長崎の原爆のことが覚えられている。

なぜなら、これは現在進行形の人類全体に対する脅威の問題だ、とドイツ人も認識しているからなのだ、と思う。

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ヒロシマ/・ナガサキ広場の慰霊碑に花をささげる節子さん

★サーロー節子さんの証言全文はHibakusha Storiesというサイトで読むことができます。また朝日新聞デジタルにその日本語訳が掲載されていますので、ぜひご一読ください。

Hibakusha Stories

http://www.hibakushastories.org/meet-the-hibakusha/meet-setsuko-thurlow/

広島・長崎の記憶 - 被爆者からのメッセージ(朝日新聞デジタル)

http://www.asahi.com/hibakusha/others/jogakuin/jogakuin-028j.html

The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-

https://theultimatewish.wordpress.com/

ヒロシマ広場をつくる会 ホームページ

http://www.hiroshima-platz-potsdam.de/jp/aktuellesjp.htm

写真提供 International Campaign to Abolish Nuclear Weapons(ICAN) Germany

http://www.icanw.de/

飯舘村の女性たちとの出会い

先日、福島県飯舘村の女性たち10人とベルリンで食事をともにする機会があった。

飯舘村は放射能汚染の影響で計画的避難区域となり、彼女たちも福島県内の他市で避難生活を強いられている。

ドイツ料理とドイツビールをいただきながら、話が盛り上がり一気に距離が縮まる。事故直後当時の混乱、避難後の生活で思うこと、今取り組んでいること、政治のこと。

彼女たちとテーブルを共にし、いろいろな話を聞きながら思ったことは、彼女たちの顔が輝いていることだ。安易な意味での印象ではない。原発事故以来、村を襲った過酷な現実と再生への意志の間で果敢に闘っている人が放つ輝きだ。避難した新しい土地で、ほとんどの方が新しい仕事や取り組みをしている。

彼女たちは24年前、東西再統一前のドイツを訪れている。飯舘村で「女が変われば、男も変わり、村も変わる」というコンセプトで“農家の嫁”を、村で資金補助をしヨーロッパに研修旅行に送るという、非常に画期的な『若妻の翼』プロジェクトで第一期生として送り出されたメンバーだ。

(『若妻の翼』について:多くの方がブログに書いていらっしゃるが、ここではアメーバニュースでの記事を紹介:http://news.ameba.jp/20111003-67/

さて、今回どのようなきっかけで、彼女たちがドイツを再訪することになったかという話。

SayonaraNukesBerlinの活動に参加してくれている強力な助っ人さいこちゃんが、日本に一時帰国中福島を訪れた。その時のIさんとメンバーSちゃんの出会いが、「24年前ベルリンで植えられた桜の木の成長を見に行こう」という話に発展し実現した。

(ベルリン南部の東西境界線の町に、東西再統一を記念して日本市民の募金によって桜の木が植樹され、春には満開の桜並木になる「テレビ朝日通り」がある)

Sちゃんは語る。

「報道からはあまり実感を伴って知り得ない、福島で生活が行われている、人間ひとりひとりが住んでいるということが知りたくて、たいした計画もなく福島に行きました。友人のご両親を頼って行ったところ、いろいろな境遇の方に引き合わせてくださり、飯舘村から来られた方の話しも聞くといいといって『若妻の翼』第一期生のIさんの営む珈琲店「椏久里(あぐり)」にも連れて行ってもらい、お話を伺いました。

飯舘の映画のポスターがお店の入り口に貼ってあり、それを見るように勧められたとき、Iさん自身は見ていると辛すぎて頭痛がしてきた、それほどの心の傷なのだ、とおっしゃっていたのが大変心に残っており、それがなによりその後のお話を聞く私の態度に大きく影響を及ぼしました。

ほんとうにおいしいコーヒーとドイツ菓子を誇りを持って出されているお店とともに、いろいろな事実を知った上でそこに住むと決断されたIさんのお話には迷いがなく、報道などで表現される“翻弄される福島県民”というものとはまるで違うものでした。

飯舘のお話のほかに、以前ドイツに来られたことがあることも伺いました(これはまったくの偶然)。飯舘の農家のお嫁さんたちが大挙して海外へ研修に行った『若妻の翼』というプロジェクトはとても革新的なもので、帰国後参加者のみなさんで出版された報告書をおみやげにいただきました。この本がまた想像以上におもしろくて、私はすっかり若妻の翼さんたちのファンになりました。」

私も『若妻の翼』のみなさんに魅了されたひとりだ。

 「東京からも人が来て、行政側が開いた説明会で、飯舘村は安全ですから避難する必要はありませんと言われた次の日に避難勧告が出た」

「現状をよく知らないで、福島はもう住めない、もうだめだと言わないでほしい」

「東京が2020年のオリンピックの開催国になると決まったとき、とても傷ついた。オリンピックよりまず被災地の復興に責任を持って早く進めてほしいのに」

「たばこの葉栽培農園を持っていたのに、すべて失った」

そんなつらいことを語りながらも、Iさんのように避難先で再びお店を開いた人、昔取得した資格を役立て保健師として働く人、新しいビジネスを始めた人、飯舘村出身の高齢者を避難先に巡回訪問し見守り役をする人などのストーリーを聞くと、彼女たちがこうして活躍するのは、もしかして24年前の『若妻の翼』プロジェクト参加で得たものが、今ここに生きているのではと感じる。当時、周囲で反対がありながらも確信を持って実施に踏み切った当時の飯舘村の村長、斉藤長見さんの将来を見据えた決断と、農繁期の忙しい時期にあえて”嫁”たちを送り出したご家族にも感服する。そしてそれに応えるような生き方をしている飯舘村の女性たちを見て、私もこういう女性を目指そうと思う。

 Iさんからお土産にいただいた自家焙煎の椏久里珈琲。帰りの電車なかで、バックをあけて豊かなコーヒー豆の香りを何度も深く吸い込みながら家路についた。

 

あぐり珈琲で朝食。お湯を注ぐと新鮮な証拠の泡がぷくぷくと立って、その音を聞いているだけでもちょっと幸せな気分になる。
いただいた椏久里珈琲で朝食。お湯を注ぐと新鮮な証拠の泡がぷくぷくと立って、その音を聞いているだけでもちょっと幸せな気分になる。

椏久里珈琲 http://www.agricoffee.com/

Ich bin ein Erbsenzähler!

Ich bin ein Erbsenzähler.

私はErbsenzählerだよ、という発言が一番印象に残った。ドイツの反原発運動では大変有名なセバスチャン・プフルークバイル(Dr.Sebastian Pflugbeil,最後に紹介)氏の言葉だ。直訳すると「エンドウ豆を数える人だよ」。日本語にすると「俺は重箱の隅を突く人だよ」となる。

3月28日の晩の7時から9時過ぎまで同氏は独日平和フォーラム(100名ほど参加)でオイゲン・アイヒホルン(Prof. Eugen Eichhorn)氏の司会でまずフクシマについて、次に核と機密保持について話した。第一部では、日本の状況に対して非常に批判的な発言が多い同氏の皮切りは、意外にも瀬戸内海にある祝島の人々との心温まる交流の紹介だった。祝島では3.5キロの海を隔てた本土側の上関に中国電力が2基の原発を建設すべく埋め立てをしている(ただし、原発建設許可はまだおりていない)。25年ほど前の計画当初から、祝島の島民は絶対反対の闘争を続けている。具体的な闘いの一つは漁業組合への補償金支払いの拒否であった。3・11の後も闘いは続いているそうだ。

日本の原発計画で中止に追い込まれた数は6つにも上がる。これらの例でも分かるように日本でも成功した闘いがあるのだというのが同氏のメッセージだった。次に福島での線量の市民測定運動、さらに双葉町の江戸川元町長との交流を紹介した。最近の安倍政権下の原子力村の攻勢によって反対運動はとても苦しい闘いを強いられている状況を述べた。

フクシマのブロック4が非常に危険な状況にある。現在いつ倒壊してもおかしくない4号炉の建物の上部にある燃料プールから燃料棒を敷地内の地上プールに移しているが、建物が壊れたり、あるいは多量の燃料棒が外れて落ちたりした場合には、日本だけの問題では収まらず,北半球全体が汚染されるだろう(注:この問題のジレンマは、そのまま放っておけば危険度が時間とともに高まっていくことだ)。太平洋の北米海岸で最近おかしな魚がたくさん獲られているが,フクシマの影響でなければいいがと心配している。特にストロンチウムが問題だが、日本では話題にもなっていない。福島県内では年間数十ミリシーベルトの強い放射能の環境下で多くの県民が生活しているが、政府は問題ないと言い放っている。子どもを抱えた避難家族では鬱になっているお母さんが多いと聞いている。本来ならできるだけ放射能汚染の少ない地域に避難・疎開させ,そのための補償金および資金を支給すべきなのに、政府は反対の政策を推し進めている。国際原子力機関のIAEA (International Atomic Energy Agency, 国際原子力機関)は福島県とパートナー契約を結んだりして、政府の政策の後押しをしている。

第2部は「核と機密保持」と題して、1938年に核分裂が発見されて以来,多くの情報が秘密にされ、市民は知らされないようになった。関係者は情報を公開しないか、公開したとしても虚偽の情報を流すかして、とにかく真実は隠されている。ナチドイツで1944/45年に原爆のテストが行われ、その過程でKZブーヘンバルドでは500名の収容人員が亡くなっているという説を最近主張している人もいるそうだ。Pflugbeil 氏は十分あり得たと言った。ちなみに、アインシュタインなどが、ヒトラーよりも早く原爆を作らないと悲惨な結果になると米国のルーズベルト大統領に訴えて、7年間という驚異的なスピードで原爆を製造し、広島、長崎の悲劇に至った話は有名だ。だが、後で分かったことだが、ヒトラーは原爆に潜まれている驚異的な可能性を信じなかったか、あるいは理解せず、製造を熱心に押し進めなかったというのが定説になっている。米国のたくさんの原爆と水爆のテストについて情報がほとんど公にされることはなかった。犠牲者は放射能による被害を訴えるにも証拠になる情報が手に入らないので、なす術もない。ソ連でもたくさんの原爆がテストされ、またそのためにたくさんの人命が失われたが、公開されることはなかった。東独でも西独でも核に関する機密保持があり、今でも変わらない。チェルノブイリの事故についても未だに犠牲者に関して正確に公開されていない。Pflugbeil 氏はさらに例を挙げたが、多いので、ここでは省く。

質問の時間になり、核に関しては強大な秘密組織がすべて操っているようだが,我々市民は何も出来ないのかという質問に対して、冒頭の「Ich bin ein Erbsenzähler」が彼の答だった。小生が理解するには、我々は小さな事実を見つけ、それらを積み上げて、秘密のベールに包んで核を推進している連中に対抗していかなければならないということだろう。では、我々もエンドウ豆を一粒ずつ数えていこう。

 

福澤 2014年3月30日

セバスチャン・プフルークバイル(Sebastian Pflugbeil)

経歴:1947年生まれ。物理学博士。1986年チェルノブイリ事故以来放射線防護問題に取り組む。

ドイツ放射線防護協会会長。オット・フーク放射線研究所員。欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。

1990年には東独の無任所大臣。1991年から1995年まで、ベルリン市議会議員も務める。

 

Nuklear free future! @プラハ

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小生はこのサイトの(一応)管理人をやっておるものであります。

なのですが、実は、昨年秋より、ベルリンを一年間の予定で留守にして、現在はチェコ共和国はプラハに居を構えております。昨年のSayonara-Nukes-Berlinの立ち上げに参加して以来、なにかとその活動を間近でみてきたものですが、今現在は活動からはお暇をいただいております。なので、3月8日のデモの日はプラハより出れず、昨年とは比べ物にならない規模になった模様の風車デモの様子をネットでホゾを噛んでみていた次第でありました。

ところで、当地プラハもとい現在二つの原発6つの原子炉が稼働中チェコ共和国では、隣国ドイツのように、目立った反原発反対デモや集会もなく、あたかも3月11日はプラハにいる限りでは、それも、もはや過去のこととも受け取れるような雰囲気ではありましたが、それでも、当地のカレル大学の学生たちの中にも、なにかフラッシュモブ的な反原発アクションを、というグループがあり、先週の金曜日、彼らとその小さなアクションを敢行してきました。 続きを読む Nuklear free future! @プラハ

原発メーカー訴訟。

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1月27日、巷で話題となっている「原発メーカー訴訟」の発起人である崔 勝久氏にお会いし、この度の訴訟についての経緯を伺う事が出来た。崔氏は大変穏やかな紳士で、現在の彼からはその波乱万丈な人生はおよそ垣間見えない。人一倍苦労された経験が、さらに多くの人々の苦しみや悲しみをはかり知るための彼の叡智を養ってきたのではないかと心に強く感じた。

今回の訴訟は、一般市民が世で初めて原発メーカーそのものを訴えるという試みだ。世界中から原告を募っているが、その資格は福島第一原発事故による精神的なショックを受けた者とある。私にも当然、権利がある。自らをRock’n’ Lawyerを名乗る島 昭宏氏をはじめ、ベテランの河合弘之氏や海渡雄一氏と若手を中心とした18名の弁護団が、力を合わせて日立・東芝・GEと云った原発メーカー各社に対峙し挑む事となった。当初、弁護士料などの経費も合わせ一般から募っていたが、思うように集める事が出来なかったと云う。その額は次第に少なく設定されたものの裁判の謝礼を支払えるようなゆとりは生まれず、崔さんから詫びいれたところ、弁護士一同「お金など要りません」との回答があったと云う。現在では国外からは年間2000円の原告手数料を問わず、2月末の締め切りに向け、署名のみを集めている。

原発メーカー訴訟A3チラシ(ワード版)K3

⋆裁判のための署名は直筆でなければならない為、こちらの用紙に必要事項をご記入の上、以下の住所までご郵送いただきたい。

  送付先:〒166-0003杉並区高円寺南1-18-14 高南レジデンス 102 原発メーカー訴訟の会

■詳細、Q&AはコチラのHPにて http://ermite.just-size.net/makersosho/index.html

■ Facebook https://www.facebook.com/NNAFJ

最新の呼びかけ文は以下の通りである(チェーンメールより抜粋)

原発メーカー訴訟・原告募集中!

 「原発メーカー訴訟の会」では、2014130日に、福島第一原発の原子炉メーカー3社(日立・東芝・GE)を相手取った訴訟を、東京地裁に提訴します。

 2011311日に発生した福島第一原発の巨大事故は、かつて我々が経験したことがない規模で放射線被害を拡大させ、世界中の人々を震撼させました。そして現在、東京電力に対し数多くの損害賠償請求訴訟が提起されています。しかし、自動車の排気ガスによる喘息被害に対して、運転手や所有者以上にメーカーが賠償責任を問われるように、原発事故被害については、電力会社だけではなく、原子炉メーカーも当然に責任を追及されるべきです。ところが、メーカーはこれまでほとんど非難の対象とさえされていません。その原因は、原子力損害賠償法が電力会社のみに責任を集中させる制度を採用しているためです。しかも、原子炉メーカーは、これをいいことに、今では海外への輸出によってさらなる利益拡大を図っています。責任集中制度は、まさに原子力産業保護を優先する不合理な構造を作り出しているのです。ここには、いかなる正義も存在しません。私たちは、このような極めて不合理な原子力産業保護構造の修正を迫るために、本訴訟を提起することとしました。


【弁護団】 島昭宏、小野寺利孝、吉田理人、片口浩子、吉田悌一郎、鳥飼康二、櫻井宏平、谷田和一郎、伊倉秀知、河合弘之、海渡雄一、只野靖、山添拓、青木秀樹、寺田伸子、岩永和大、奥山倫行、山本行雄、笠原一浩、小林哲也、村夏美、林良太

【呼びかけ人】 三宅洋平(ミュージシャン/選挙フェス)、鎌田慧(さよなら原発1000万人アクション)、米谷ふみ子(芥川賞作家・画家、アメリカ在住)、宙也(ロック歌手)、TOSHI-LOW(ミュージシャン・BRAHMAN)、難波章浩(ミュージシャン・Hi-STANDARD)MAGUMI(ミュージシャン・LA-PPISCH)、佐藤タイジ(ミュージシャン) 、飯田哲也(環境エネルギー政策研究所・所長)、満田夏花(国際環境NGO FoE Japan)、井戸川克隆(前双葉町長)、中嶌哲演(福井明通寺・住職)、丹羽雅代(アジア女性資料センター代表)、アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション)、佐藤潤一(グリーンピース・ジャパン事務局長)、川崎哲(ピースボート共同代表)、田中三彦(元「日立」原発技術者、前福島事故国会事故調査委員会委員)、後藤政志(元「東芝」原子力プラント設計技術者)、藤原節男(元「三菱重工業」原発設計技術者)、髙木久仁子(高木仁三郎市民科学基金・事務局長)、山田清彦(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団)、石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会・原告団長)、斉間淳子(八幡浜・原発から子供を守る女の会)、木村公一(脱原発いとしまネットワーク、牧師)、牧野時夫(泊原発を止める会 農民音楽家)、清水敏保 (上関原発を建てさせない祝島島民の会・代表)、伊藤英雄(脱原発かわさき市民の会)、小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)、武藤類子(ハイロアクション福島)、内藤新吾(原子力行政を問い直す宗教者の会、牧師)、渡邊英俊(移住労働者と連帯する全国ネットワーク・共同代表、牧師)

【呼びかけ団体】 日本消費者連盟、 原子力行政を問い直す宗教者の会、日本環境法律家連盟(JELF)、原発さよなら四国ネットワーク、緑の党 eシフト、東電株主代表訴訟、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

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原発メーカー訴訟、130日に東京地裁に提訴しました

■ Fukushima: Landmark Lawsuit filed
against General Electric, Toshiba and Hitachi (nsnbc international)

http://nsnbc.me/2014/01/30/fukushima-landmark-lawsuit-filed-general-electric-toshiba-hitachi/

 ■ About 1,400 people filed a joint lawsuit….(abc NEWS) 

http://abcnews.go.com/International/wireStory/hundreds-sue-makers-fukushima-nuclear-plant-22294761

 ■朝日、東京、毎日の記事

http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/126b.htm

訴状162ページ、証拠はとりあえず本2冊を含む14号証まで。
原告は海外357名を含む1415名。第二次訴訟に向けて、さらに2月一杯原告募集します。

 

秘密保護法案と今後の問題を考える。

今日本で秘密保護法案が国会を通過しようとしています。これに対して各界から反対の声が上がっていますが、何が問題となっているのでしょうか。この法案は基本的に国の防衛機密を守ることを目標に掲げているのですが、その規定が曖昧なため、表現の自由、報道の自由などが侵されるのではないかという危惧があるのです。少し具体的に説明しますと、国家の安全を守るために各行政機関は政令を出して、機密にかかわる事柄や仕事を期限付きで指定し、それを警察庁が法に基づいて監視するという体制ですね。この法に抵触すると、重い場合は10年の懲役刑が課せられます。

問題は、この行政機関による機密事項の指定です。国家の安全を守るための特定機密という言葉はきわめて曖昧で、直接的な軍事戦略上の機密から、それに関連する事業内容も含まれます。たとえばわかりやすいところでは、沖縄の基地で何がおこなわれているのか。これを機密事項に指定することができます。軍需産業の内容ももちろん指定の対象です。今日の軍需産業のハイテク化を考えると、機密事項の範囲は相当に広がるでしょう。

そこで気になるのは、われわれが今問題にしている原発はどうなるのかということです。よく知られているように、原発の現場労働には非常に多くの、しかも重大な問題があります。これが機密事項の対象として指定されれば、ただでさえも闇に包まれている問題がさらに隠されることになります。現場の労働者が何かを訴えようとしても、処罰を受けることになりますし、その情報を受け取った側もやはり処罰の対象になります。つまり、今でさえも原発報道に尻込みをしているマスコミ、ジャーナリズムはもっと口をつぐんでしまうことになるわけです。

そこで疑問が湧きます。そもそも原発は国の安全を守る特定機密に当たるのだろうかという疑問ですね。そこで問題になるのがテロの防止という項目です。ヨーロッパでは常識化していますが、原発はテロの目標として考えられています。このテロ防止のために原発に関する情報を機密事項として指定する可能性は充分にあります。しかもこの指定は国会の議論を通してではありません。法案によると、各行政機関が各自の権限で指定することができるのです。経産省がこの法律を利用して原発報道を規制することは充分に考えられますね。

さらに問題なのは、機密事項に指定された事業にかかわる人物には厳格な適性評価がおこなわれるのですが、この場合本人だけではなく、その家族や同居人も調査されることになります。原発の場合で言えば、小出裕章さんや平井憲夫さんのように内部から告発をしてきたような人物を初めから排除することができるわけです。「原子力ムラ」がいっそう閉鎖的になるのは明らかです。(BK)

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