アベ政治を許さない0815 / Nein zu ABEs Politik 0815

アベ政治を許さないSNB

”アベ政治を許さない”

日本では多くの憲法学者が憲法違反だと指摘し、国民の大多数が反対している「安全保障関連法案」が7月15日に強行採決されたことを受け、この安倍政権の暴挙に対し日本では作家の澤地久枝さんの発案で、この法案に反対する新しい試み「アベ政治を許さない」一斉行動アクションが行なわれました。日本の第2次世界大戦の終戦記念日である、本日8月15日ドイツ時間の14時 、ドイツのさようなら原発デュッセルドルフの呼び掛けに賛同し、私たちSayonara Nukes Berlinもこのプラカートを掲げて連帯の意思を表明します。

——————————————————————————————————————————–

こちらの写真は、8月1日に行われたSNBの親睦会で撮影されました。

親睦会の中では、来年の3月、チェルノブイリ30年フクシマ5年の節目にベルリンで何ができるだろうか、参加した一部のメンバーでざっくりと意見を出し合うなどもしました。

私 たちは現在20人程のバラエティ豊かなボランティアスタッフで成り立っています。私たちは、老若男女問わず、ごく普通の主婦や学生、社会人の集まりです。 設立当時からの理念で、「原発をはじめ、社会の様々な問題について考え、活動していく事と同じように、メンバーそれぞれの日常生活、仕事、学業なども大切 にしていきたい」そんな思いから、メンバー各自がそれぞれのできる範囲内で参加しています。ベルリンにお住いのみなさん、私たちと一緒に活動してみません か。

グループの活動に関する質問なども合わせて、どうぞお気軽にご連絡ください!R
E-mail: info[at]sayonara-nukes-berlin.org
Facebook:https://www.facebook.com/sayonara.nukes.berlin
Twitter:https://twitter.com/NoNukesBerlin

かざぐるまデモ2015

ヒロシマとナガサキ原爆投下70年/70 Jahre Atombomben auf Hiroshima und Nagasaki

SNBの活動をはじめて以来お世話になっているジャーナリストのふくもとさんも運営されるポツダム・ヒロシマ広場をつくる会(Hiroshima-Platz-Potsdam e.V. )の開催で、去る7月25日にベルリン市から電車で20分ほど郊外にあるポツダム市内の、ポツダム会談時に米国トルーマン大統領の宿泊先であった邸宅前にあるヒロシマ・ナガサキ広場にて、原爆投下70年の追悼式典が行われた。

バス停もヒロシマ・ナガサキ広場(Hiroshima-Nagasaki-Platz)

この日は15時から、ポツダム市に住む芸術家たちによって共同運営されている工房で、なんと親子で参加できる千羽鶴のための折り鶴と灯籠のワークショップが。快晴には恵まれたものの、強風にあおられながら、参加者たちは黙々と灯籠づくりに精を出した。広島市からも二人の参加者が。

工房のカフェには美味しい手作りケーキ。お茶の後では実にエコロジーな方法で各自が水を張った桶で皿を洗った。
ヒロシマ・ナガサキ広場の記念碑には千羽鶴が置かれ

19時からの式典ではヒロシマ、ナガサキについてのそれぞれの思いが交錯する演説が続いた。ポツダム市の市議で緑の党に所属するマッティアス・クリップ氏(Matthias Klipp) は演説の途中「日本がこの戦争を起こした事も忘れてはいけない」と、日本でかつての戦争について語られるときに忘れられがちな、とても大切な事をおっしゃった。くれぐれも単純な比較をしてはいけないが、ドイツと日本では戦後の歩み方がまるで違う。私の長男は今年15歳になるが、ドイツの学校の各教科で毎年ドイツの犯した戦争責任について学んでいる。2013年に福島市から8人の高校生らが脱原発を学ぶプロジェクトと称しベルリン市を訪れた。プログラムの一環で、ベルリン市内のカニジウス高校の日本語クラスの生徒らが「大戦後の平和教育についての学校の役割と歴史認識」というタイトルでドイツの戦争責任についてパワーポイントを使って発表してくれた際、福島の高校生のひとりからこんな質問の声が上がった。

ベルリン市内のカニジウス高校でドイツの戦争責任の取り方を学ぶ福島市の高校生ら(2013年8月20日撮影)

「ドイツでは戦争犯罪者のお墓や記念碑がありますか」

―もちろん人が死んでいるのだからどこかに墓はあるだろう。でも僕たちはそれを知らないし知る必要はないと、カニジウス高校の学生から即座に回答があった。終戦記念日に、戦争で亡く なった日本人の為に祈る日本と、戦争で死なせたナチの被害者の為にこうべを垂れて祈るドイツ人。この違いについて関心を持たれた方があれば、それぞれについて学んでみて欲しいと思 う。

(※ドイツでは祈るという事はたいへん宗教的な意味合いとなるため、ドイツ語にした場合、直訳では”考える”が正しい表現にはなります)

 

 

 

 

 

 

さて、ベルリンの夏時間は日暮れも遅い。21時より、ポツダム市内のグリープニッツゼー(Griebnitzsee)の湖のほとりで、関範子氏とシュテッフェン・フィントアイゼン氏(Noriko Seki, Steffen Findeisen) のパフォーマンスが始まった。

この後の灯籠流しはあいにくの強風で大変難しいものとなったが、家族や友人らと共に暗闇に吸い込まれゆく灯籠にヒロシマ・ナガサキの死者への追悼の思いを馳せた。

この日、早めに記念碑の前に到着した私たち家族はベンチに座って軽食をとっていたのだが、中年のドイツ人カップルが角のアイスクリーム屋からアイスを手に歩いて来て、私たちを不思議そうに眺めながらふと記念碑に足を止めた。男性が記念碑の文字を読みあげ、「これは日本から運ばれたヒバク石だ」と云った。女性が少し退いたあとで、男性が「今はこの石には危険はない」と読むと、二人は並んでしばらくそれを眺めていた。おそらく記念碑が設置されてからと云うもの、何度もこう云った場面があったのだろうと思いを巡らせると、思わず目頭が熱くなるのだった。

最後になるが、ふくもとさんから戴いたメッセージから以下を拝借する。

近くでアイス クリームを買ったこどもたちが記念碑の周りでアイスクリームを食べたりしている。
こうして日常化してきているし、日常の生活の場で戦争や平和の問題に接することがたいへん大切だと思っています。

私はふくもとさんの意見に大賛成で、日頃から家族や友人、子どもたちと平和について分かち合って行きたい考えだ。

また、かつての戦争について省みる事を忘れずに語り継いでいく事は、今後の発展的な未来づくりのためにも私たちに課せられた大切な使命の様にも感じる。

今年は戦後70年と云う節目の年である。日本の現状を憂えてばかりもいられまい。今年は特に日本の現況や過去の戦争に鑑み て、この機会に戦争や平和についてみなさんと一緒に考えていけたら良いなと思う。私たち在外邦人らも日本で活動するみなさんと共に手を取り合い、今後とも日本の様々な活動を支援していきたい。

ポツダム会談が行われたポツダム市内のセシリエンホーフにて。

”アベ政治を許さない”

日本では多くの憲法学者が憲法違反だと指摘し、国民の大多数が反対している「安全保障関連法案」が7月15日に強行採決されたことを受け、この安倍政権の暴挙に対し日本では作家の澤地久枝さんの発案で、この法案に反対する新しい試み「アベ政治を許さない」一斉行動アクションが行なわれた。日本の第2次世界大戦の終戦記念日である8月15日(土) にドイツのさようなら原発デュッセルドルフの呼びかけで、国内外問わず、再びこのプラカートを表明するアクションを行う。このイベントはどなたもその場で参加することができる。デュッセルドルフではK20美術館前で、ドイツ時間の14時に作家の北原みのり氏らと声明を読み上げる予定。IWJの中継もあり。

————————————————————————————-
ふくもとまさお:
ドイツ・ベルリン在住。1985年東ドイツへ渡り、邦人企業に勤める。東西ドイツ統一後、会社を共同経営、フンボルト大学非常勤講師などを経て、フリーライターとなる。著書に「ドイツ ・低線量被曝から28年チェルノブイリはおわっていない」、今月6日に発行されたばかりの「小さな革命 東ドイツ市民の体験」 (共に言叢社) がある。この近著にドレスデン空襲体験者の話も書いており、その和解の試みについては8日発行の岩波書店「世界」9月号にも記事を投稿。

暮らしから考える『小さな革命 東ドイツ市民の体験』 フリージャーナリスト ふくもとまさおさん(58)

「ナチズムの反省から地方分権を徹底し均衡経済を打ち出したドイツから日本を見ると、日本はまだ経済成長期のままのように感じる。原発が必要なのは誰なのか。長い目で捉え、市民の暮らしから考えることが大切なことを、二冊の本で訴えたかった」。書名の「小さな革命」とはそんな思いで立ち上がった人たちの思いや行為のことだ。

(東京新聞Tokyo Web/2015年8月9日版より一部抜粋)

————————————————————————————-
こちらはおまけ。ベルリンの活動でお世話になっているジャーナリストの永井潤子氏が日本で開いた勉強会の文字起こしを発見。
「戦争責任に向き合うドイツと目をそむける日本~被害国に受け入れられたドイツの戦後補償の歩み~」
永井潤子:
ジャーナリスト。1972年から1999年3月までドイツ国際放送の日本語放送記者としても活躍。近著に在独歴40年放送記者歴50年を紡いだ「放送記者、ドイツに生きる」がある。