2016年Protestival – Nuclear, Democracy and Beyond – 報告

Protestivalの最後のイベントハイライトである写真展のオープニングが終わり、Protestivalのイベントではなかったものの、チェルノブイリ30周年の4月23日にNaturFreunde, AntiAtom Berlin等が率先してHeinrichplatzで催したAntiatommarktでSNBを代表して短いスピーチ、それから夜はUranium Filmfestivalのチェルノブイリ30周年記念イベントに招かれてSNBを代表してパネルディスカッションに参加、という締めくくりの行事を終えて、去年の秋から準備作業が始まったProtestivalの私のほぼ半年にわたる「ご奉公」が終了した。それからすぐに5月から3週間日本に行ったのだが、半年にわたる異常なストレスと疲れに長い旅が続き体力の限界に達してしまったのか、ベルリンに帰って来て10日くらいしてから不明のウィルスに感染し、高熱とドラマチックな悪寒戦慄に何度も襲われ、入院する羽目になってしまった。完全にノックアウトになり、なにがなんだかわからないだけに不安も増し、かなり精神的に落ち込みもした。もう若いときみたいに無理はできないということなのか、自分の年齢的な衰えさえ感じて悲しかった。とにかくどうにか快復し、延ばし延ばしになっていたProtestivalの報告を今こそ書かなければと机に向かっている次第だ。

Protestivalのコンセプト

もともと私がProtestivalというタイトルで呼ばれることになる一連のイベントを思いついたのは、去年の今頃のことだった。

2015年6月にベルリンで「Atommülltagung(放射能廃棄物会議、とでも呼ぶか)」という催し物があって、私も参加した。ドイツのゴアレーベンで、ほぼ四十年現在に至るまで抵抗運動を続けてきた市民グループBürgerinitiative Lüchow-Dannenbergと、ドイツ全国規模の大きな反核団体.Ausgestrahltとが共催したイベントだった。最終処分場選択をし直す法律が2013年にでき、それに伴い最終処分場候補をもう一度改めて検討し、候補を見つけるための委員会が作られたのにもかかわらず、ゴアレーベン候補を白紙撤回せず、今も既成事実からその案を推し進めたい意向が見えること、民意を入れるといいながら形ばかりの「市民との話し合い」しかしないことに反発し、抵抗する意味で「話し合い」が行なわれる日にそれをボイコットして独自の「放射能廃棄物会議」を設け、民主主義的な決定とは何か、市民参加とはどうあるべきかということを考えながら死の灰貯蔵について考えようと、この「会議」を開いたのだった。ここで繰り広げられたあらゆる議論、提案に私はかなり学ばせられ考えさせられた。チェルノブイリやフクシマのような事故が起こらないでも核エネルギーはその存在、稼動過程、労働者や廃棄物の処理問題で十分に生命を脅かし、想像できないほどの長い時間単位で自然を、地球を汚染し破壊するものなのに、それに関する決定をほんの一握りの経済界と政界の人間だけが行なうことの不条理さをどうにか解決しなくてはならないこと、またそれならそのような決定権を市民の手に取り戻すということはどういうことであるのかを、私も徹底的に考え直したいと思うに至った。民主主義を謳いながら民主主義から程遠いと嘆かずにいられないニュースばかり耳にするのが日本だが、それは日本に限ったことではない。ことに核技術をめぐっては、世界中で民主主義精神は骨抜きにされているのが事実だ。しかし、厳密に言って民主主義と日本語では訳されているこの言葉は、いったい何を意味するのだろうか。デモクラシーとは、実は実践の難しい理想なのではないだろうか。民主主義という訳語自体と私は常々思ってきたが、「主義」ではないはずだと私が理解しているDemocracyの追うべき姿、あるべき実践方法を、私たちはもっと掘り下げて考えていくべきではないのか。市民が参加して解決を探したり判断を下したりする政治的決断とはどういうことであるべきなのか、なにを民主主義的な政治と呼ぶのか、もっと具体的なイメージを持つ必要がある、と私は思った。市民が多数決で選んだ(ことになっている)「お上」が経済界の強者の意志を代弁し、偏った情報と利益優先の独断で国策を掲げ、インフラストラクチャ・工場・発電所建設やその他の公共土木事業という名の下に市民の生、環境、生活条件を奪い去る環境破壊を率先して行ってきたのが今のいわゆる先進国の歴史ではないか。世界の市民運動という市民運動のほとんどが、経済至上主義に異議を唱えては、国家権力の前に敗れてきた歴史の繰り返しといえる。反対運動は不可欠で、あきらめずに持続していくことが大切であることは言うまでもないが、同時にオルタナティブな案が提示できなければ議論としては弱い。それを切実に考えさせてくれたのが、去年のゴアレーベンの市民グループとの出会いであり、「Atommülltagung」の議論内容だったのだ。その出会いを私なりに消化した結果、2016年のフクシマ5周年チェルノブイリ30周年という節目に、恒例のデモだけでなく、核技術をめぐって世界各地で行なわれている民主主義とは相容れない差別や人権蹂躙の構造、「安全に貯蔵できる」場所などどこにもない放射性廃棄物を日々製造して負の遺産を増やし続けている状況を市民に改めて考えてもらうきっかけとなるイベントを催したいという構想が生まれ、徐々にProtestivalのコンセプトとして私の中で固まっていったのだった。ことに、いまだに8基の原子炉が稼動しているのに、脱原発が決定している(だけであって実現はしていない)と、原発問題がドイツ市民の意識からどんどん薄れ始めていることに警鐘をならしたい思いもあった。思いついたのは毎年恒例のデモのほか、あらゆる分野で市民の立場から反核・反原発運動を行なっている人たちを迎えての討論会、原発関連問題をテーマとするドキュメント映画上映、ことに原発労働者の被ばく問題やチェルノブイリ・フクシマの被害者の実態を取り上げた写真の展示会、原発問題をテーマにした芸術表現を行なうアーティスト(音楽、アート、ダンス等)に発表の場を与える、などだった。私としては、SNBは確かにフクシマ事故をきっかけに出来上がった日本をルーツにする在ベルリン市民グループであることは確かだが、だからといって「フクシマ」だけの問題にしたくないという気持ちがあった。私たちの運動の発端がフクシマであったとしても、私たちはフクシマの事故やその影響だけを問題にしているわけではない、これはフクシマや日本だけの問題ではない、地球規模で捉えて世界からなくしていかなければいけない問題だと思うからこそ、チェルノブイリとフクシマ事故の記念日を時期として選んでも、テーマを民主主義的視点から取り上げたいという気持ちが強かった。このような思い付きから始まったコンセプトを秋のSNBのミーティングで提案し、皆に賛同してもらった。タイトルを模索中、核問題と民主主義、そしてそれを超えてさらに、というイメージをダンサーのカズマ(Kazuma Gken Motomura) 君が「Nuclear, Democracy and Beyond」というのはどうか、と表現してくれ、イベント全体のタイトルをどうしようか悩んでいたとき、ライプツィヒ大学東アジア研究所の元教授小林敏明さんが手品のように「Protestival」と提案してくれた。これはあまりすばらしいネーミングでコンセプトの意図を輝かしく表現してくれるものだったので、皆で拍手していっぺんにタイトルが決定した。私のイメージが広がってSNBの皆とも共有してもらい、皆のものになったことを、私はとても喜んだ。こうしてProtestivalの準備は始まったのだ。

準備

ただ、マンパワーもなければ資金もない私たちのような無名の小さなグループが、これだけたくさんのイベント計画の中のどれだけを実現できるかは、まったく見当もつかなかった。とにかくコンセプトをしっかりまとめて、あらゆるところに支援や参加をもちかけることから私の活動は始まった。同時に、どのような映画を見せたいか、ドキュメンタリー映画の選択も始めたし、写真展にはメンバーで写真家の矢嶋宰さんのかつての師でもある樋口健二さんとチェルノブイリ・フクシマ両方の写真をずっと撮り続けてきた広河隆一さんの写真を使いたいという構想もでき、そのお二人に意向を尋ねる作業も始まった。広河さんは、去年「私の終わらない旅」の上映会をSNBでして以来親しくさせていただいているドキュメンタリー映画監督の坂田雅子さんに紹介していただき、ネットもメールも使わないらしい樋口さんにはなかなか連絡がつかず、どうしようと思っていたところ、私の母が以前東京の高田馬場にあった「ジャーナリスト専門学校」の講師仲間として樋口さんと親しくしていたということが偶然分かり、母に直接電話をしてもらってお願いすることができた。お二人とも快諾してくださり、写真データを送ってもらえることになった。ただ、どこでそのような写真展を開くことが出来るかに関しては、謎だった。ダメもとの思いで、私が一度しか会ったことがないが個人的に知る機会のあった、政治的メッセージのある写真展を専門に手がけているFreundeskreis Willy-Brandt-Hausのギーゼラ・カイザー(Gisela Kayser)氏にメールを書きコンセプトを送ったところ、「あなたのことはよく覚えている。今忙しいが、今度ぜひ話を聞きたいからまた連絡する」という脈のあるメールを貰った。しかしなかなかその後連絡はなく、ほかにも共催や支援を求める手紙やメールを書いてもなしの礫が多く、私はやはり力不足なのか、とかなりしょげていた。「いいコンセプトだ」と言ってくれるところがあっても、皆自分たちの活動で忙しいか自分たちのイベントにしか興味がなく、スポンサーになろうと申し出てくれるところも、共催しようといってくれるところもなかなか見つからなかった。パネルディスカッションか講演をしたいと思って、この人は、と私が思う人たちに声をかけてみたが、メールや手紙も返事が来なかったり、実際にどのような形や枠内で実現することができるのかわからなかったりで、座礁に乗り上げた。矢嶋さんが持ち込んできてくれたのが、Werkstatt der Kulturenでジャズ音楽家の安藤明氏がフクシマ5周年の3月11日に音楽・アートでのフクシマ記念イベントを行なう予定で、矢嶋さんもオーガナイズに参加するが、そこでSNBも何か一緒にできるのではないか、という話だった。このように、最初はまだアイディアがどれだけ、そしてどの程度の規模で実現するか、皆目見当がつかない時期が長くて、私は自分の力不足を感じ、アイディア倒れするかもしれない、と何度も思ったものだった。

それでもあきらめずにあらゆるところに声をかけていたところ、こんがらがっていた紐が思いがけずいきなりほどけるように、光が差し込んできた。まず、連絡がつかず、興味がないか、SNBがあまりに小さすぎて信用されていないかのどちらかで、まったく相手にされないのだと思っていたゴアレーベンの市民グループBürgerinitiative Lüchow-Dannenbergの代表マルティン・ドナート(Martin Donat)から、急にメールの返事が届いた。返事が遅れたことのお詫びとともに、Protestivalのコンセプトを心から歓迎する意と、全面的に協力する、という内容だった。それから、連絡が来ないのでもう一度メールを出したところFreundeskreis Willy-Brandt-Hausからも連絡があり、話をしたいから来るように、と言われた。映画を3本は上映したいと思っていたが、上映場所が決まっていなかったところ、AUSLANDのマリオ(Mario)が無料での上映ができる日にちを提供してくれたし、Berlinale関係でArsenalと長くお付き合いのある、メンバーでベルリン自由大学の元准教授福澤啓臣さんの紹介で話をしにいき、プログラムは3月4月はすでに半年前から詰まっているので公にはできないが、日曜日のマティネーでよければArsenalで一度場所を提供する、という回答が出た。Werkstatt der Kulturenでの話し合いに参加して、イニシエーターである安藤さん、Werkstatt der Kulturenの担当者パウル・レイター(Paul  Räther)氏、そして矢嶋さんとの話し合いで、SNBの提案パネルディスカッションを3月11日のFukushima the Aftermathの枠内でSNBもKo-Partnerとして担当できることも決定した。このようにして少しずつ実現の可能性が膨らんできたことで、努力を続けていくことができた。

Greenpeace EnergyNetzwerk Selbsthilfeによるスポンサーシップ提供

一方、Freundeskreis Willy-Brandt-Hausの話し合いでは、写真展のアイディアやコンセプト自体はいいし、チェルノブイリの写真展も過去に二度したことがあるので興味がある、とは言ってくれたものの、彼らも資金のないVereinであり、場所提供と企画オーガナイズの協力はできても、お金は一切出してあげることはできないから、まずスポンサーを見つけるように、と言われた。ちょうどその頃、去年と同じようにNetzwerk Selbsthilfeに資金協力の申請を提出するつもりだったので、写真展をする場合、写真のプリント代、キャプションその他の印刷代などで最低どれくらい費用がかかるか写真展チーム(矢嶋さん、K君、南さんと私)で見積もりを出し、南さんがそれをもとに申請に必要な予算見積もりと内訳を細かく書いてくれ、私がコンセプトを補って、申し込みをした。今年も無事に最終候補に選ばれ、プレゼンテーションに南さんと二人で行って、情熱こめて(!)Protestivalと写真展の説明をすると、申請した全額の寄付をしてくれる運びとなった。それで、それ以上のスポンサーが見つからなくても、最低の写真展はできることになって、内心ほっとした。ただ、Freundeskreis Willy-Brandt-Hausはいつも、もっと規模の大きい宣伝や展示をしているので、招待状を送ったり、大きいVernissageをしたりできるように、できれば大口のスポンサーを見つけてほしい、といわれていたし、実際、最低のプリント代、印刷代はあっても、それは本当にぎりぎりの費用だったので、確かにもう少し余裕があれば写真家にも少しお礼ができるかもしれないし、Protestivalの宣伝もでき、よりたくさんの人に見てもらえるイベントを成功させることができるかもしれない、と、私はもう一度ありとあらゆる機関や再生エネルギーの会社(風力発電や太陽光発電をやっている会社など)に、支援や寄付をお願いする手紙をたくさん書いて送った。丁重な断りのメールや手紙が来ればいい方で、ほとんどは無視されるので、今回も無駄な努力だったか、とほとんどあきらめていたところ、急にGreenpeace Energyといって環境団体Greenpeaceが始めた風力発電をするGenossenschaftで、風力発電だけでなく反原発を主軸とする政治活動も行なっている機関のPR担当のラシュ(Rasch)氏からメールが入った。「Protestivalの支援を求める手紙が私のところに回ってきた。興味があるので、ぜひ話がしたい」という内容で、私は小躍りしてしまった。なかなかアポイントが取れなかったのだが、やっと取り決めて会いにいってみると、今年はチェルノブイリ30周年フクシマ5年ということもあり、EUがヒンクリーポイント(Hinkley Point)の新原発建設を援助する計画など、再び原発ブームがヨーロッパでも起きようとしていることにGreenpeace Energyは警鐘を鳴らしており、反対する政治活動をしているのだが、SNBのProtestivalのコンセプトはそれにぴったり合うので、全面的に応援したい」と話してくれた。そして話がどんどん具体的になり、Agreementのようなものも交わして、福澤さん率いる絆ベルリンの口座をお借りして、Greenpeace Energyからスポンサー金を出してもらうことになったのだった。これであまりお金のことに悩まずに写真展やProtestivalのその他のイベントもできる、とほっとして南さんに報告して喜びあった。もちろん、SNBの皆ともすぐその快報を共有した。

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メンバー3人の懸命な協力から生まれた今年のかざぐるまデモのポスター
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ProtestivalのテーマにシンクロするManami.Nさんの力強い姿

それぞれの強さ、得意分野を活かして

私は今回のProtestivalの一連のイベントでは、言いだしっぺでもあり、コンセプトを作った責任もあり、スポンサーやKooperationspartner探しから交渉、ドイツ語での説明や文章作りを引き受けたわけだが、それは私が言い始めてこれだけたくさんのイベントをこんなに小さいグループでやることにしてしまったのだから、できるだけ皆の負担を増やしてはいけない、とせめてお金の問題や具体的なイベント実現交渉など、私ができることは私がしなければ、という思いがあったからだ。でも、だからといって私がすべて一人でなにもかもできるわけではなく、少ないメンバーながら、本当に皆が自分のできる範囲で自分の得意とする力を発揮してくれたからこれだけのことができたと、心から感謝している。簿記や費用計算、予算などお金に関すること、それから限りなく出てくる事務的な細かい作業を南さんはいつでも迅速に気持ちよく仕上げてくれたし、何よりこのProtestivalの計画から終了までの全ステップで、私の精神的な支え、片腕となってくれた。ことにかざぐるまのワークショップでは、かざぐるまの型紙作り(デュッセルドルフに行ってしまったRさんが今年も作ってくれた)からビーズ、針金などの準備、場所や人員の用意などもしてくれただけでなく、できあがったたくさんの(嵩が非常に大きい)かざぐるまを車で自宅まで持っていってくれた(あれをすべて車から出して家まで持ち運ぶ作業を彼女は一人でやってくれた!)。南さんは車を持っている数少ないメンバー(もう一人は福澤さんだけ)だったこともあり、毎年デモのとき車でかざぐるまやその他の荷物を持ってきてくれた。細かいところに気がつく、仕事の早い、そしていつも気持ちのいい笑顔の南さんなくてこれまでのSNBは考えられなかったので、Protestivalのあとプノンペンに行ってしまわれた南さんにこの場所を借りてもう一度心から今までのお礼を言いたい。それから、彩子さんが描いた絵にEさんが芸術家の磯益子さんの協力も得て一緒にすばらしいデモのポスターを作ってくれたし、Protestivalのフライヤーとポスターはとてもインパクトのあるものをアヤノさんが製作してくれた。ここにはミュージシャンのManami.Nさんの力強い姿(矢嶋さんが去年のデモで撮影)が載っていて、要望に応えてManamiさんはそっくり同じアウトフィットで今年のデモにも参加してくれた。写真展の写真のプリントに関しては、写真家であるプロの矢嶋さんが率先して行動してくれたからこそ、作業が迅速に進んだ。また、大変だった広河・樋口両氏のキャプションの翻訳も、私が翻訳したものを友人であり日本語翻訳者であるアネッテ・ハック(Annette Hack)が全面的に協力して完璧ですばらしいドイツ語にしてくれた。そのほか、私がドイツ語で書いたProtestivalのフライヤーの説明文、写真展のSNBあいさつ文、はたまた私のドイツ語でのスピーチ原稿なども、いつも彼女と放射線テレックス(Strahlentelex)でおなじみのトーマス・デアゼー(Thomas Dersee)にチェックをお願いした。やまうちさんは病気だったりアメリカへの出張などがあって大変だった時期に、ProtestivalのHPを責任持って作成してくれた。デモでのかざぐるま配布係りや、映画上映会での受付やグッズ販売をこなしてくれたYukiさん、SORAさん、アヤノさん、それから今年はなんと小林さんが「かざぐるま配布」係りを買って出てくれた。カズマ君もデモや写真展ではすばらしいパフォーマンスを仲間たちと見せてくれた。ロッコさんは遠い英国から、ソーシャルメディアを中心とした広報を担当してくれた。かざぐるまワークショップを始め、Werkstadtの場所を借りるのにK君も大いに力になってくれたし、彼は写真展でも尽力してくれた。今回Protestivalがベルリンを超えてライプチッヒまで広げることができたのは、ハレのK君の貢献が大きい。ライプツィヒの日本の家で、Protestival Außenstelleを開催してくれたのは素晴らしいことだったと思う。また、VereinでもないSNBがスポンサー金や寄付金を受けることができたのも、福澤さん率いる絆の口座を使わせていただけたからである。福澤さんの協力なしにはProtestivalの資金繰りは不可能だった。SNBは小さいメンバーだけれど、こうして輝かしい人材にあふれている。このようにして、メンバーのそれぞれ得意分野での働きとたくさんの人たちの協力があってこそProtestivalは実現できたのだと改めて思う。

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記者会見に応じる筆者  Foto: Christoph Eckelt / Greenpeace Energy eG

記者会見、Protestival開幕・動員

3月10日、Protestivalの始まる一日前にGreenpeace Energyが記者会見を催してくれた。私はSNBを代表して参加、デモに関してはデモの共催仲間であるNatur Freundeのウヴェ・ヒクシュ(Uwe Hiksch)に参加を依頼し、Fukushima the Aftermathに関して安藤さんにも来てもらって記者会見に臨んだ。そんなにたくさんのメディア関係者が集まったわけではないが、テレビでインタビューをされたり、公の場所で(原稿なしに)SNBの代表としてProtestivalの話をしたり、と私も緊張した。今年は、デモを3月12日の土曜日に計画していたのに、その日にちょうどネオナチのデモがベルリンで行なわれるため、警察が忙しいから1週間延期することになってしまい、デモは3月19日になった。その代わり、3月11日というフクシマ5周年当日にFukushima the Aftermathがあったので、それがProtestivalの開幕となった。たくさんのアーティスト、ミュージシャンが出演することもあり、かなりの観客が訪れた。どうなるかとハラハラしていたが、パネルディスカッションの100人収容できる会場は満員になった。デモは今年はフクシマ5周年、チェルノブイリ30周年だというのに、そしてデモ自体は運営も内容も進行も今までで一番と思える出来となったのに、動員数が少なかったことは残念だった。やはり市民の原発問題に対する危機感、意識が弱まってしまったことの表れなのだろうか。社会学者小熊英二氏がちょうどベルリン自由大学に来ていたことから彼が作った「首相官邸前で」を上映して彼にも監督トークで来てもらった。また、スイス人を父に、広島出身の母をもつアヤ・ドーメニク(Aya Domenig)氏の感動的ドキュメンタリー作品「太陽が落ちた日」の上映には、彼女がベルリンに来てくれるはずだったのがどうしても来れないことが判り、急遽スカイプトークに変更になった。予定していた時間にAyaさんが応じてくれないなどハプニングがあったが、結局は和やかに話をすることができた。この二つの上映会はAUSLANDで行なったのだが、どちらも会場は満席で、Protestivalのチラシを見て来てくれたベルリン市民の姿もかなり多く見られ、ただの「日本人の内輪の催し物」とならなかったことがうれしかった。ARESENALで上映した「カリーナの林檎」では、監督の今関あきよし氏が自費でわざわざベルリンまで訪れ、監督トークで話をしてくれた。Protestivalの中で一番大きなイベントとなった広河隆一氏と樋口健二氏の写真展は、オープニングセレモニーに200人ほどが訪れ、盛会となった。SNBのメンバーであるBodypoetカズマ君がカウンターテノールのすばらしい声を持つ皆川卓志君と一緒に、Willy-Brandt-Hausのガラスのエレベーターと階段踊り場を駆使したすばらしいパフォーマンスを見せてくれた。Freundeskreis Willy-Brandt-Hausはこの写真展で最大限協力をしてくれたが、5月22日までの展示会を6月12日まで延長してくれたことも記しておきたい。またこの写真展は、ドイツ環境省から9月に行なうUmweltfestivalに招待を受けている。一度環境省の担当の人と話をしてきたが、すでに私が寄付や支援を求める手紙を出したときに、「何らかの形で応援したいと思っていたのでその方法を探していた」ということを言ってもらい、私がなしの礫だと思っていた手紙が決して無駄ではなかったことを喜ぶとともに、日本の官庁が反原発グループ主催のイベントに支援するなどということは想像もできないことなので、ドイツの環境省が私たちの写真展、しかも樋口氏や広河氏という、日本の反原発運動で重要な位置を占める写真家の作品の展示を招待してくれるということがもつ意義、日本に対するメッセージ性を思い、9月の開催を楽しみにしている。また、SNBのメンバーの中で声楽家のえみ子さんは、Protestivalのコンセプトを聞いて、それを自分のコーラスグループでも実現して参加する方法を考えてくれ、チャリティコンサートを催してくれた。そして、そのコンサートで集めた寄付金を、広河隆一氏が始めたフクシマの子供たちの夏休みキャンプ球美の里に、ドルトムント日独協会を通じて寄付するということで、写真展とも繋がるイベントを計画してくれたことにお礼を言いたい。私が計画したイベントのほかに、主旨を汲んで自分のアイディアや行動につなげて新しい催し物を計画してくれたのはえみ子さんだけで、そのこともとてもうれしかった。ここでは球美の里を紹介するビデオを見せて、私がSNBを代表してフクシマ事故後すでに現われ始めている子供たちの甲状腺ガン増加のことなどを話した。(ドルトムント独日協会への寄付の報告ページ)

個々のイベントについては報告がすでにSNBのHPに出されているので、そちらを参照されたい。

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Fukushima the Aftermath -フクシマ、その余波

反省点・学んだこと

まずは私個人の反省だが、民主主義をテーマとして取り上げたこのProtestivalの一連のイベント実行で、「民主主義的」な決定や行動をSNBで目指しながら、どれだけ私が本当に「民主的」であることができたか、幾度となく自問した。私のやり方は、独断的、専制的になっていなかっただろうか? 私のアイディアを皆に押し付けて、無理を強いていた部分もかなりあったのではないだろうか? 私が自分の判断でしっかり皆のコンセンサスを取り入れずに行動してしまった部分もあるのではないだろうか? これについては今となってはもう遅いが、今後の課題として「民主主義的な」グループの行動のあり方について考えていきたいと思う。それから私個人の反省点はもう一つ、今回のProtestivalのようないくつものイベントを行なうのは、かなり時間とエネルギーが必要であるということで、南さんと私はこの半年くらい、ほぼProtestival準備が「フルタイムジョブ」になっていた。南さんが定職がないのをいいことに私は彼女をこき使ってしまったわけだし、私も自分がフリーなので、翻訳の仕事をかなり減らしてProtestivalの準備にほぼかかりきりになっていた。こういうことはでも、長く続く運動の形態ではないし、それを他の人に求めることも不可能だ。市民運動は持続することが大切なので、このように大規模な運動をして、その後で今回の私のように病気になってしまったり、仕事をしなかったからとお金がなくなって生活するのにも困るようになってしまってはまったく無意味なわけで、どうやったら持続して、同時に意義ある市民運動をしていけるかについても、考えていかなければならないと思う。

私がイベントの中で一番残念だったのは、Protestivalの核心のテーマである原発問題と民主主義的市民参加についての討論がほとんどできなかったことだ。それは、SNBが私たち主催のパネルディスカッションをメインプログラムとして設けることができなかったため、Werkstatt der Kulturenでの安藤氏・矢嶋氏のFukushima the Aftermathに便乗する形での妥協した場になってしまったこと、資金もなかったことから「通訳」が必要となるようなディスカッションのパネリストを招いたり、遠方のパネリストを招いたりすることができなかったこと、などの理由があり、さらに「フクシマ5周年」であることが私の意向より前面に出されて、フクシマの現状についてのジャーナリストのふくもとまさおさんの報告がディスカッション予定時間の半分以上を割いてしまったためだ。本来私が望んでいた「議論」はできなかった。私としては、ずっと「市民の不従順」を実践してきて、市民参加のあり方について経験も考えも深い先輩であるゴアレーベンの市民グループから話を聞きたかったからこそ、代表であるMartin Donatを招いたのだが、これに関しては残念に思う。また、フクシマ5周年という日であっても、敢えてテーマを「フクシマ」だけに留めず、あれだけ集まってくれたベルリン市民に「自分たちの問題」として捉えてもらえるような議論の方向付けができなかったのも無念だった。ただ、イベントとしてはあれだけディスカッションに人が集まってくれ最後まで熱心に話を聞いてくれたこと、民主主義的観点からの話はできなかったとしても、フクシマの事故後の現状を知ってもらうという意味では意義があったこと、短いながらもMartinや私もフクシマの事故を越えた意見を述べる機会と場をもてたのだから、無意味ではなかったと思うことにしたい。

SNBはコアメンバーが15人から20人程度の小さなグループだが、力を合わせ、それぞれの得意なスキルを活かして、これだけのイベントをこなすことができたことを喜びたい。もちろん、いろいろな幸運とあらゆる人や機関の寛大な支援があってこそ実現できたことで、ロッコさんがたった一人でデモ申請から始めたSNBの短い歴史を考えると、うれしい成長だったと思う。また、デモもこれで数回Natur Freunde、AntiAtom Berlinと共同でやってきたわけだが、彼らとの友好的な協力関係はかなり信頼感の強い安定したものに育ったと実感でき、そのことも感謝したい。私個人としては、これだけたくさんドイツ語で文章を書き、スピーチをし、テレビやラジオでインタビューを受け、またミーティングであらゆる人とSNBを代表して話をするという経験を通じて、「言いたことをどのように手短に、インパクトあるように、そして借りた言葉でなく自分自身の言葉で、しかも母国語でないドイツ語で表現できるか」というかけがえのない勉強を最大限にさせてもらったと思う。自分の力不足や拙さももちろん十分に感じたが、それでも考え抜き、その考えを言葉にまとめ、人の前で発表するということを短期間で何度も繰り返したことで、ずいぶん学び、成長させてもらったと感謝している。もちろん、これからもSNBが運動を続けていくにあたって、ずっと私が前に立って「スポークスマン」を演じていく必要はまったくないし、私も今年はこれだけの運動を率先してしたけれど、来年は(体力的にも)同じことはできないと思うので、これからSNBがどのような活動をするにしても、私以外の人も、ことに若い方たちにこれからはこうした機会を譲っていきたいと思う。小さなグループだからこそ、大きな組織にはできないことがあると思うし、大きな組織でないから資金集めが大変だったり、無名なために難しいこともある一方で、かけがえのない人生経験を積めることは保証できる。こうした機会をほかのひとにもフルに利用してほしいと思う。私はかなり前から日本の国籍をもっていないため、自分では率先して協力しなかったが、Protestivalと並行して、夏の選挙に向けて在外選挙制度を利用してもらうキャンペーンをSNBの仲間たちが実行してくれたことも、喜ばしいことだった。こうして、SNBはフクシマを契機として始まったいわば「ワンイシュー」のグループだが、これからはそれにこだわる必要はないはずで、SNBのあり方、方向を決めていくのはメンバー一人ひとりだ。そういう意味であらゆることが可能であるし、これからどのような運動を続けていけるか、楽しみでもある。

それから私がこのProtestival準備企画実行を通して得たものは、かけがえのないいろいろな人との出会いや結束だった。大変な数か月だったが、これをやらなければ知り合いになれなかった人との出会い、またはすでに知っている友人たちとの内容の濃い話し合いや議論、結束こそ、人生の宝だ。そういう意味でも、得られたものは多く、こういう経験をする機会を得たことを、心から感謝している。

以上、私のごく個人的なProtestival報告だが、ほかにもフィードバック、反省点、批判、その他の意見があれば、寄せてほしいと思う。とにかく皆さん、お疲れ様でした! そして、本当にどうもありがとう!

2016年7月5日

梶川ゆう (無限遠点:http://donpuchi.blogspot.de/)


報道記録:

Abendschau / rbb Rundfunk Berlin-Brandenburg

http://www.rbb-online.de/abendschau/archiv/20160319_1930/nachrichten_eins.html

Film ǀ Filmische Zugänge zu Hiroshima und Fukushima — der Freitag
https://www.freitag.de/autoren/ferdinand-liefert/filmische-zugaenge-zu-hiroshima-und-fukushima

 

 

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