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木内みどりさんに聞く「核エネルギーと民主主義」

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12月23日都内のカフェにて

福島の原発事故から5年、チェルノブイリの事故から30年の節目の今年、この2つの事故日である3月11日から4月26日までの7週間の間、ベルリンで「核エネルギーと民主主義」をテーマにProtestival2016を開催します。そこで様々な職業人の立場からいただいたテーマに沿ったインタビューを連載中。第二回目は女優の木内みどりさんにお話を伺いました。

木内 政府のやり方は本当に汚いと思うんですよね。原発再稼働するのも核を持っていたいわけじゃないですか。プルトニウム一杯ためこんで、ロケット技術もそれの一貫ですよね。日本は核を持っていないと言っているけどいつでも核にできる材料も技術も準備万端。やり方が汚いですよね。どうしてみんな怒らないんだろうって不思議なんです。でも、少なくともわたしは自分の目で見て、自分が考えて、人の考えと違ってもぜんぜん怖くない。千人が千人、一万人が一万人左に行ってもわたしは嫌だったら右に歩いて行きたい。一回きりの人生の手綱を誰かにゆだねたり、取られたり、牛耳られたりするのはまっぴらなんです。

―311以降、木内さんは“開眼された”という事ですけど、それまでにこうした運動に関わりを持っていましたか

木内 何にもなかったです。デモなんかに行き交うと迷惑だなー嫌だなーうるさいなーちっとも素敵じゃない、逆効果じゃないかって思ってました。政治は汚い嫌なものだって思い込んでました。でも311以降そんなこと言っていたら自分の命に係わるって思ったんです。よくよく見てみたら、この国はでたらめで嘘ばっかりだぞ、新聞は嘘を書くし、NHKも嘘を言うし、多くの大人は全く本当のことを見てないっていうことに気が付いた。やっぱりこの国の一員なんだ、その一員としての権利も欲しいし、義務もちゃんと果たしたいと思いました。日本国民のひとりなんだと初めて自覚しました(笑)

従来のデモや運動のやり方に、ちょっぴり疑問を抱いた木内さん

木内 偶然そこにいるだけの人々に、私たちは正しいんだ、アンケートを書きなさい、署名をしなさいみたいな上から目線では人の心は動かない。今までの古いやり方に嫌悪がありました。だから違うやり方違うやり方って考えて探して試して。団体行動が苦手なのでどこにも属したくない。いつもいつもひとり行動です。誰にも強制されたくないし、したくない。選挙の応援でも自分で交通費や宿泊費用を払ってきたから、誰に何を言われても自分でいられます。

―脱原発を願って、候補者の応援演説に駆け付けた木内さんを待っていたのは、続く演説日に応援のない現実。木内さんはご自身の信念のために、なんと311以前はうるさいなあと思っていたその選挙カーにも乗る事に。そして選挙の敗北を受けての憂鬱。そんな思いを重ねて、この5年間、木内さんがブレずにいたのはどうしてでしょう。

木内 ほとんど絶望の連続だったのだけれど、でも、ふと気が付いたのです。素晴らしい方たちと知り合いになれてるって。友だちになれたんです。年も知名度もバックグラウンドも関係ない「友だち」に。人生は本当に短いし、出会える人も限られているのに、素晴らしい方たちと出会えた。これからもいいと思ったことはいいと思って動きたいし、誰にも評価されない、誰の目にも止まらなくてもいい。だってものすごく面白いもの。お金なんて役に立たないことが多い、有名の名前って効果には表も裏もある。もうね、大きな会社のものとか巨額のお金をかけて宣伝してるものとか、生理的に嫌いになっちゃった(笑)

―お金を使って宣伝しなきゃいけないようなものにはろくなものがないと思うようになった、そういうことからも、わたしはわたしの好きな生き方しかもうしない!ということにより研ぎ澄まされてきたこともありがたいと思うと言う木内さんが5年目を迎えて、これからしていきたいことは

木内 今つかんでいるものはもう絶対に離さないでいたい。ラジオも引き受けたいし、作文が好きだからコラムも書いていきたい。

―木内さんがブログに書いた11歳の少年との邂逅が素晴らしかった

木内 本人が特定されないように一生懸命書きました。わたしと過ごした二泊三日、ふざけてばかりでしたが、帰宅した後、彼は自分からデモ情報を調べ、デモに出かけたそうです。「アベ政治は許さない」ってあのスローガンを両手で突き出してる写真を見たときは涙出ちゃって311以降、変化に変化した少年の暮らし、彼なりに見聞きしてきたことへの怒りみたいなものがはじめてそこで抵抗という形になったんだと思います。誰かとわたしが出会ったことで何かが始まる、その人も変わるしわたしも変わる。そんなことが生きがいになってきました。

木内さんは誰だって、みんな好きに生きればいいと言う

木内 時々なんでそんなに一生懸命なの?って聞かれるんです。で、考えたら、わたしの自分の得じゃないから一生懸命できるんじゃないかと、自分のことだったら自分に自信がないからそんなに人にお勧めできない。自分のことならここまで一生懸命になれないと思う。だけどこうあって欲しいと思うことのためには一生懸命になれる。本当に腹が立ったり、悲しかったり、こんなものが通っていいんですかっていう怒りがある限りは一生懸命やれると思う。だからかデモに連れて行って言う人が現れたり、行動を起こし始める人が増えていく。経産省前で学生がハンストしていることを知った時、労いの言葉をかけたいとかけつけると、ベビーカーを伴うお母さんから「テレビに出ている方ですよね、どうしてここにいるんですか」と言われて、ありがとうぐらい伝えたかったというと、わたしも不安でしょうがないから来たと言う。そんな小さな出来事がきっかけで彼女の中で何かが変わった。その後、できる範囲でデモや集会に行ったりしていますと連絡がありました。あの時の数分間、お互いがお互いを励まし合った、たったそれだけのことなんだけれど、こういう小さいことって実は大きいんだと思うんです。確実につながっているって実感できる。

―いかに生きていくかも大事だけど、いかに死んでいくかもけっこう難しい時代にいると言う木内さん。15年後どうやって死んでいくかがいちばん大きなテーマだと言う

木内 広河隆一さんの「人間の戦場」という映画を見て、本当に素晴らしいと思った。広河さんが絶望しないでやってるんだからわたしが絶望してどうする!って。

広河さんの映画の話が出たので、3月にベルリンで行われるプロティスティバルでも広河隆一さんと樋口健二さんの写真展を企画していること、メンバーが展示にかかる経費の事で奔走中(12月当時)だが、必ずやりますと言うと、木内さんが突然「1万円寄付する!」と明るく寄付を申し出てくださった。その場で笑顔でお財布から1万円を出す木内さん。「写真はとにかく力がある、やっていただきたい!広河さんは本当に素晴らしい!」と真っ直ぐな瞳で木内さん。わ、すごいものをもらってしまった!

木内 広河さんが映画の中でおっしゃっているけど、DAYS JAPANの編集長を降りられた。理由は健康問題で、発作があったら3時間半以内に病院に行けるところにいないといけないと言われた。編集長は机と椅子があればどこにいてもできるけど、ジャーナリストはそうはいかない、両方は無理、彼はジャーナリストを続けたいと思った。そこで誰かやってくれと手を挙げてもらって、手を挙げた人をみんなで選挙で選んだ。それで入社1年目の女性に決まったんです。画期的でしょう。

―ここまで一気に聞いて、思わず、ちょー民主主義!と合いの手、うなってしまった

広河氏はもう新しいテーマで撮影に入っているそう。日本では時の権力に逆らってきた無名の方がたくさんいる。そういう人を訪ね歩いて掘り起こしたいと撮影旅行に出ている。自分に残された時間でやりたいことをやってる。わたしもこの道に行こう!と思ったと活発な木内さん。

私は木内さんのブログが始まって以来一読者でもあるのだが、新聞などでも必ず一般のコメントを読む癖があり、SNSなどでみどりさんに寄せられる読者のコメントもよく読む。木内さんの何気ない一言が人の心に響くのだ。木内さんはとにかく正直で裏表のない人、やりたくないことはしない、ありのままを思うままに書いている。書かれたことはぜんぶ本気だ。それがおのずとみんなの深いところに伝わるのだと思う。

©Tsukasa Yajima
©Tsukasa Yajima

昨年のベルリンのかざぐるまデモで先頭を歩いた木内さんにいただいた経産省前テントとおそろいの”福島を忘れない!”の旗で、脱原発の輪がまたひとつつながった。

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木内みどり(きうち みどり、1950年9月25日‐):日本の女優。’65年劇団四季に入団。初主演ドラマ「日本の幸福」(’67/NTV)から多数出演。映画は、三島由紀夫原作『潮騒』(’71/森谷司郎)、『死の棘』(’90/小栗康平)、『大病人』 (’93/伊丹十三)、『陽だまりの彼女』(’14/三木孝浩)、『0.5ミリ』(’14/安藤桃子)など。3・11以降、脱原発集会の司会などを引き受け積極的に活動。マガジン9で「木内みどりの発熱中」を不定期連載中。

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補足:
広河隆一:(1943年9月5日 -) 日本のフォトジャーナリスト。戦場カメラマン。2004年、廃刊になった報道写真誌「DAYS JAPAN」を再刊以来、最近まで編集長を務めた。
12月19日より全国順次公開上映中、長谷川三郎氏が監督し、広河隆一氏を追ったドキュメンタリー映画「人間の戦場」公式サイトhttp://www.ningen-no-senjyo.com/

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Protestival 2016

鎌田慧さんに聞く「核エネルギーと民主主義」

福島の原発事故から5年、チェルノブイリの事故から30年の節目の今年、この2つの事故日である3月11日から4月26日までの7週間の間、ベルリンで「核エネルギーと民主主義」をテーマにProtestival2016を開催します。そこで様々な職業人の立場からいただいたテーマに沿ったインタビューを今日から連載していきます。第一回目は鎌田慧さんです。

12月22日都内のカフェにて
12月22日都内のカフェにて
「原発は民主主義の対極にある」とずっと言ってこられた鎌田さん。311よりずっと前から日本の核エネルギーと民主主義のたたかいを見てきました

鎌田 原発というものはもちろん原爆からできてきたんですけど、きわめて大きな破壊力のある兵器を平和利用にするんだという形で日本人を洗脳したんですよね。日本人は2回もの体験があって原爆の脅威をすごくよく知っているわけですから、人類にとって最も悲惨なエネルギーを平和利用するためには、そういう教育をものすごくやられたわけです。アメリカからヒロシマとかいろんな地域で核を平和利用するんだっていうメッセージですね。アイゼンハワーが1953年の国連総会で提唱した“Atoms for peace”*¹って平和のための原子力、核の平和利用、それを読売新聞などが博覧会なんかをしてずうっとすり込んできたわけです。もともときわめて悪魔的なものを平和のためにと言い換えて、残っているウランなどを日本に売ろうと言うのが当時のアメリカの作戦。そうして日本で原発が作られるようになった。しかし平和利用といっても日本ではやっぱりなかなか信用が得られなかった。各地では反対運動が起きた。原発は原爆と同じで怖い。いくら新たに洗脳しても感覚的に怖かった。それを払拭しきれないうちに作っていく中でまずお金を配った。60年代から作りはじめ、一挙に作られたのはオイルショックの後、田中角栄の電源三法*²を契機にお金を配る、補助金を出すっていう政策。言いたいのはずうっと反対運動があったってことです。反対運動が負けたところは作られて、勝ったところは作られなかった。日本の場合は9電力、電力会社が九つしかないから、そこに上がってくる電力料金は膨大な量なんです。完全独占です。それを資金にまた地域に配るとか、お金なんですよ。政府のお金と電力会社のお金が配られて原発が作られてきた。存在自体がきわめて非民主主義的な存在ですよね。いつ爆発するかわからない点でも人類、命にとっても非民主主義的だし、建設過程でも非民主主義的なんです。例えば漁業協同組合の組合員の三分の二が賛成すれば原発の周りの漁業権を放棄するんです。そのためにも幹部のお金の買収などがある。その議会の賛成派っていうのはほとんど工事をやる人たちなんです。そういう地域の民主主義とか、議会の民主主義とか、協同組合の民主主義とかそういうのをぜんぶ潰してきたんです。どれだけ被害があっても、地域では原発再稼働してくれって言う声が上がってきているし、地方自治体も県もぜんぶ、民主主義が機能していないんです。住民が反対しても地域では稼働できるようにもなっているんです。地域にお金が流れるっていうことなんです。というわけでお金が配られるところでは民主主義が破壊された。それから秘密でよくわからない、事故が発生してもよくわからない、運転過程の非民主主義。

「存在自体がきわめて非民主主義的な存在」

―事故から5年目、鎌田さんはこれからどんなことを考えていますか

鎌田 これからの問題としては被ばく労働者が膨大に発生していますから、この方たちの病気などがどれだけ明らかにされていくか。日本では原発は40年稼働しているけれど、被ばく労働者として認定されたのは11人*³しかいないんですよ。これはJCO*⁴の3人は外してるんです。でも白血病や癌で亡くなっている労働者はいっぱいいる。これからも現れるのはわかっているが認定されるかどうかはわからない。それから甲状腺がんの子どもたちは、150人も現れているけど、行政が否定したりしているわけです。これからいろんな形で裁判なんか始まってくるんですよね。僕らは反原発運動、原発の再稼働の反対運動やって来て、被災者の住民の方を見る時間がなかなかなかった。こないだ被災者の方々に来てもらって集会を開いて、これからどうしていくか。医療、生活保障、賠償金だとか、これから経済的な圧迫が増すことがわかっている。労働者の方も裁判にまでもって行くっていうのは大変な事です。原発社会には、民主主義などなかった。だから、これからは地域の民主化運動が必要になります。そういう運動をこれから力入れてやっていこうと考えています。裁判*⁵もいろいろな裁判が始まっています。これからはもんじゅの裁判もあるわけです。そういういろんな運動体をつなげて一緒にやっていこうと努力してきました。僕らはさよなら原発の大きい集会を今までにやってきて、福島の方々にも集会に来てもらっているし、フクシマを忘れないってスローガンにしているんだけど、それをもっと具体的にきめ細かくやって行こうって。

―311以降の反原発運動の広がりをどう見ていますか

鎌田 今までも原発反対運動って言うのはずうっとあったのです。しかし地域の住民の反対運動がどんどん崩されてきました。地域の労働組合が建設反対の集会などに組合員を集めたけれど、そんなに広がらなかった。。例えば東京で集会を開いても最高で1万ちょっとぐらいの規模。そこに3.11があって、運動が急速に拡大した。とにかく、大江健三郎さん、坂本龍一さんなどいろいろな方に呼びかけ人に加わってもらって、さよなら原発運動を始めました。最初の集会は6万人ぐらい、翌年16万人が集まった。今までは脱原発にする、前の方ばかり見て進んでいたから、被災者の生活とか子どもの被ばく、労働者の問題とかに手が回らなかった。それがこれからの課題だと考えてます。

―私たちにこれからどんな未来が見えますか

鎌田 歴代の首相経験者のうち、村山、小泉、細川、鳩山、菅、野田首相など、賛成派から原発反対派になった。自然エネルギーも今まで馬鹿にされて来たけれど、これからどんどん増えていくでしょう。そういう風に転換していくわけです。目標が決まれば早まるんです。いろんな運動とかいろんな努力を積み重ねて、世論的には7割から8割ぐらいが原発いらない。あとは政府が決定すれば良いだけ。自然エネルギーも始まったばかりでまだまだ弱いが、社会がそうなっていけば企業も付いてきます。ドイツが脱原発に進んでいるし、ドイツだけが突出して進んでいるわけではないし、世界的に自然エネルギーに向かう状況が整ってきているわけです。僕らの運動も脱原発と自然エネルギーを広めるって言うのと、両方やってる。いろんな試みも宣伝していく必要がある。脱原発と、自然エネルギーと、今までみなさんに起こったことをどう解決していくか、それぞれのネットワークと協力してやっていきたい。

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鎌田慧 :(かまた さとし、1938年6月12日 – ) 日本のルポライター、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。「隠された公害 ドキュメント イタイイタイ病を追って」「自動車絶望工場」「原発列島を行く」など、政治、労働、いじめ、原発にまつわる著書多数。「六ヶ所村の記録」で毎日出版文化賞受賞。東京新聞に「本音のコラム」を連載中。
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補足:
*¹平和のための原子力 /Atoms for peace
ドワイト・D・アイゼンハワー元米大統領が1953年にNYの国連本部で開催された国連総会で行った演説。
在日米国大使館HP http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-peace.html

*²電源三法
電源開発促進税法、特別会計に関する法律、発電用施設周辺地域整備法の三法のこと。主な目的は、電源開発が行われる地域に対して補助金を交付し、発電所を含む電源の開発の建設を促進、または運転を円滑にしようとするもの。電源三法による地方自治体への交付金を電源三法交付金と呼ぶ。

*³被ばく労働者11人
1991年から白血病、多発性骨髄腫、悪性リンパ腫で2011年7月までの間に11人が原発被ばく労働者の労災認定されています。1999年のJOC臨界事故では高線量被曝した3人が労災認定されています。
ヒバク反対キャンペーン HPより http://www.jttk.zaq.ne.jp/hibaku-hantai/hibakuroudou.htm

*⁴JCO
1999年9月30日茨城県那珂郡東海村にある株式会社ジェー・シー・オー(住友金属鉱山の子会社)の核燃料加工施設で発生した臨界事故で、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名の重症者、ほか667名の被曝者を出す。日本国内で初めて事故の被曝による死亡者を出した。一般に東海村JCO臨界事故 。

*⁵現在係争中の原発と人権にまつわる一部の裁判はこちらでご確認ください
・原発と人権ネットワーク
被害者訴訟、脱原発訴訟 http://genpatsu-jinken.net/index.html
・脱原発弁護団全国連絡会HP
全国脱原発訴訟一覧 http://www.datsugenpatsu.org/bengodan/list/
・東電株主代表訴訟 http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/

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Web_title
Protestival2016 http://protestival.de/

安保法制成立後の日本社会とどう向き合っていくか@ロンドン

10月10日ロンドン某所にて開催されたイギリス在住の大学生らによる「安保法制成立後の日本社会とどう向き合っていくか」と云うテーマの交流会に参加した。安保法制強行採決以後の日本社会に対して、自由と民主主義のためと云う観点からわたしたちがどう考え向き合って行けば良いのか、また行動していくためのネットワーク作りの場として、会の趣旨にふさわしい大変有意義な集まりとなったと思う。

主催者の大学生の挨拶

スカイプを通して、日本のSEALDsメンバーから日本で急速に広がりを見せつつある市民運動やその意義について、首都圏反原発連合や戦争させない・9条壊すな!でおなじみの総がかり行動実行委員会ら他団体との良好な協力関係、または相互支援があったこと。普通の大学生らの活躍により、一般市民に参加を促すためのハードルを下げる役割があったことなどが語られた。

英エセックス大学人権センターフェローの藤田早苗氏

英エセックス大学人権センターのフェロー藤田早苗氏の“自由と民主的な社会のために必要なこと“では政治と日本のメディアの在り方についても問われた。

後半は参加者同士のフリートークの場に。幾つかのグループに分かれ「あなたにとって最も関心のある日本の社会・政治問題は何か」、「その問題に取り組むうえで最も重要な事は何か」について議論をし、同席した学生らから活発な意見を聞くことができた。

私は、社会や政治問題については個々にあるとして、こうした問題に取り組んでいくための土壌づくりについても話した。例えばドイツの学校の教育課程にはふんだんに議論の場が設けられており、学生たちは早くから様々な問題について討論している。学生たちは必ずしも是否や善悪などを決議するためにのみ討論するわけではなく、どんな意見にもその相手の存在を認め、耳を傾け、議論する。教師は生徒が自己を主張する行為に点をつける。こうした過程や場面は各家庭ごとにも度々見受けられる。子どもがしたい事、したくない事にも理論があって、主張があるものに応じる大人たちの姿を日常的に目にする機会がある。みんなにそれぞれの主義主張があり思想が違うのは当たり前だ、そういう前提に立って積極的に話し合える社会づくりをしていくこと、これは私たちが直ちに個人単位で取り組んでいけることでもあり、こうした土壌づくりが今後みんなにとってより良い社会を育む糧になると考えている。

私たちSayonara Nukes Berlin は原子力の利用に反対するベルリンもしくは近郊都市に在住する市民の集まりであり、趣旨のひとつには原子力にまつわる話題(健康/環境/政治/社会/法律)に関して独立した情報と議論の場づくりを掲げている。311以降、フクシマはもちろんのこと、秘密保護法、今回の安保法制の強行採決に至るまでに、今や日本はもとより国際社会からも日本の民主主義の在り方が問われている。この度の会の趣旨が私たちの活動にも関わりのあるものとして、今後もこの活動に積極的に参加していきたいと思う。R

————————————————————————– 2015/10/10 【ロンドン】安保法制成立後の日本社会とどう向き合っていくか:イギリス在住者による交流会(IWJ動画) http://iwj.co.jp/wj/open/archives/269833

アベ政治を許さない0815 / Nein zu ABEs Politik 0815

アベ政治を許さないSNB

”アベ政治を許さない”

日本では多くの憲法学者が憲法違反だと指摘し、国民の大多数が反対している「安全保障関連法案」が7月15日に強行採決されたことを受け、この安倍政権の暴挙に対し日本では作家の澤地久枝さんの発案で、この法案に反対する新しい試み「アベ政治を許さない」一斉行動アクションが行なわれました。日本の第2次世界大戦の終戦記念日である、本日8月15日ドイツ時間の14時 、ドイツのさようなら原発デュッセルドルフの呼び掛けに賛同し、私たちSayonara Nukes Berlinもこのプラカートを掲げて連帯の意思を表明します。

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こちらの写真は、8月1日に行われたSNBの親睦会で撮影されました。

親睦会の中では、来年の3月、チェルノブイリ30年フクシマ5年の節目にベルリンで何ができるだろうか、参加した一部のメンバーでざっくりと意見を出し合うなどもしました。

私 たちは現在20人程のバラエティ豊かなボランティアスタッフで成り立っています。私たちは、老若男女問わず、ごく普通の主婦や学生、社会人の集まりです。 設立当時からの理念で、「原発をはじめ、社会の様々な問題について考え、活動していく事と同じように、メンバーそれぞれの日常生活、仕事、学業なども大切 にしていきたい」そんな思いから、メンバー各自がそれぞれのできる範囲内で参加しています。ベルリンにお住いのみなさん、私たちと一緒に活動してみません か。

グループの活動に関する質問なども合わせて、どうぞお気軽にご連絡ください!R
E-mail: info[at]sayonara-nukes-berlin.org
Facebook:https://www.facebook.com/sayonara.nukes.berlin
Twitter:https://twitter.com/NoNukesBerlin

かざぐるまデモ2015

ヒロシマとナガサキ原爆投下70年/70 Jahre Atombomben auf Hiroshima und Nagasaki

SNBの活動をはじめて以来お世話になっているジャーナリストのふくもとさんも運営されるポツダム・ヒロシマ広場をつくる会(Hiroshima-Platz-Potsdam e.V. )の開催で、去る7月25日にベルリン市から電車で20分ほど郊外にあるポツダム市内の、ポツダム会談時に米国トルーマン大統領の宿泊先であった邸宅前にあるヒロシマ・ナガサキ広場にて、原爆投下70年の追悼式典が行われた。

バス停もヒロシマ・ナガサキ広場(Hiroshima-Nagasaki-Platz)

この日は15時から、ポツダム市に住む芸術家たちによって共同運営されている工房で、なんと親子で参加できる千羽鶴のための折り鶴と灯籠のワークショップが。快晴には恵まれたものの、強風にあおられながら、参加者たちは黙々と灯籠づくりに精を出した。広島市からも二人の参加者が。

工房のカフェには美味しい手作りケーキ。お茶の後では実にエコロジーな方法で各自が水を張った桶で皿を洗った。
ヒロシマ・ナガサキ広場の記念碑には千羽鶴が置かれ

19時からの式典ではヒロシマ、ナガサキについてのそれぞれの思いが交錯する演説が続いた。ポツダム市の市議で緑の党に所属するマッティアス・クリップ氏(Matthias Klipp) は演説の途中「日本がこの戦争を起こした事も忘れてはいけない」と、日本でかつての戦争について語られるときに忘れられがちな、とても大切な事をおっしゃった。くれぐれも単純な比較をしてはいけないが、ともに敗戦国のドイツと日本では戦後の歩み方がまるで違う。私の長男は今年15歳になるが、自国の過ちを学ぶ教育制度とは別に、ドイツの学校では授業内容が教師に委ねられていることから、結果的に様々な教科で毎年ドイツの戦争責任を学んでいる。2013年に福島市から8人の高校生らが脱原発を学ぶプロジェクトと称しベルリン市を訪れた。プログラムの一環で、ベルリン市内のカニジウス高校の日本語クラスの生徒らが「大戦後の平和教育についての学校の役割と歴史認識」というタイトルでドイツの戦争責任についてパワーポイントを使って発表してくれた際、福島の高校生のひとりからこんな質問の声が上がった。

ベルリン市内のカニジウス高校でドイツの戦争責任の取り方を学ぶ福島市の高校生ら(2013年8月20日撮影)

「ドイツでは戦争犯罪者のお墓や記念碑がありますか」

―もちろん人が死んでいるのだからどこかに墓はあるだろう。でも僕たちはそれを知らないし知る必要はないと、カニジウス高校の学生から即座に回答があった。終戦記念日に、戦争で亡く なった日本人の為に祈る日本と、戦争で死なせたナチの被害者の為にこうべを垂れて祈るドイツ人。この違いについて関心を持たれた方があれば、それぞれについて学んでみて欲しいと思 う。

(※ドイツでは祈るという事はたいへん宗教的な意味合いとなるため、ドイツ語にした場合、直訳では”考える”が正しい表現にはなります)

 

 

 

 

 

 

さて、ベルリンの夏時間は日暮れも遅い。21時より、ポツダム市内のグリープニッツゼー(Griebnitzsee)の湖のほとりで、関範子氏とシュテッフェン・フィントアイゼン氏(Noriko Seki, Steffen Findeisen) のパフォーマンスが始まった。

この後の灯籠流しはあいにくの強風で大変難しいものとなったが、家族や友人らと共に暗闇に吸い込まれゆく灯籠にヒロシマ・ナガサキの死者への追悼の思いを馳せた。

この日、早めに記念碑の前に到着した私たち家族はベンチに座って軽食をとっていたのだが、中年のドイツ人カップルが角のアイスクリーム屋からアイスを手に歩いて来て、私たちを不思議そうに眺めながらふと記念碑に足を止めた。男性が記念碑の文字を読みあげ、「これは日本から運ばれたヒバク石だ」と云った。女性が少し退いたあとで、男性が「今はこの石には危険はない」と読むと、二人は並んでしばらくそれを眺めていた。おそらく記念碑が設置されてからと云うもの、何度もこう云った場面があったのだろうと思いを巡らせると、思わず目頭が熱くなるのだった。

最後になるが、ふくもとさんから戴いたメッセージから以下を拝借する。

近くでアイス クリームを買ったこどもたちが記念碑の周りでアイスクリームを食べたりしている。
こうして日常化してきているし、日常の生活の場で戦争や平和の問題に接することがたいへん大切だと思っています。

私はふくもとさんの意見に大賛成で、日頃から家族や友人、子どもたちと平和について分かち合って行きたい考えだ。

また、かつての戦争について省みる事を忘れずに語り継いでいく事は、今後の発展的な未来づくりのためにも私たちに課せられた大切な使命の様にも感じる。

今年は戦後70年と云う節目の年である。日本の現状を憂えてばかりもいられまい。今年は特に日本の現況や過去の戦争に鑑み て、この機会に戦争や平和についてみなさんと一緒に考えていけたら良いなと思う。私たち在外邦人らも日本で活動するみなさんと共に手を取り合い、今後とも日本の様々な活動を支援していきたい。

ポツダム会談が行われたポツダム市内のセシリエンホーフにて。

”アベ政治を許さない”

日本では多くの憲法学者が憲法違反だと指摘し、国民の大多数が反対している「安全保障関連法案」が7月15日に強行採決されたことを受け、この安倍政権の暴挙に対し日本では作家の澤地久枝さんの発案で、この法案に反対する新しい試み「アベ政治を許さない」一斉行動アクションが行なわれた。日本の第2次世界大戦の終戦記念日である8月15日(土) にドイツのさようなら原発デュッセルドルフの呼びかけで、国内外問わず、再びこのプラカートを表明するアクションを行う。このイベントはどなたもその場で参加することができる。デュッセルドルフではK20美術館前で、ドイツ時間の14時に作家の北原みのり氏らと声明を読み上げる予定。IWJの中継もあり。

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ふくもとまさお:
ドイツ・ベルリン在住。1985年東ドイツへ渡り、邦人企業に勤める。東西ドイツ統一後、会社を共同経営、フンボルト大学非常勤講師などを経て、フリーライターとなる。著書に「ドイツ ・低線量被曝から28年チェルノブイリはおわっていない」、今月6日に発行されたばかりの「小さな革命 東ドイツ市民の体験」 (共に言叢社) がある。この近著にドレスデン空襲体験者の話も書いており、その和解の試みについては8日発行の岩波書店「世界」9月号にも記事を投稿。

暮らしから考える『小さな革命 東ドイツ市民の体験』 フリージャーナリスト ふくもとまさおさん(58)

「ナチズムの反省から地方分権を徹底し均衡経済を打ち出したドイツから日本を見ると、日本はまだ経済成長期のままのように感じる。原発が必要なのは誰なのか。長い目で捉え、市民の暮らしから考えることが大切なことを、二冊の本で訴えたかった」。書名の「小さな革命」とはそんな思いで立ち上がった人たちの思いや行為のことだ。

(東京新聞Tokyo Web/2015年8月9日版より一部抜粋)

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こちらはおまけ。ベルリンの活動でお世話になっているジャーナリストの永井潤子氏が日本で開いた勉強会の文字起こしを発見。
「戦争責任に向き合うドイツと目をそむける日本~被害国に受け入れられたドイツの戦後補償の歩み~」
永井潤子:
ジャーナリスト。1972年から1999年3月までドイツ国際放送の日本語放送記者としても活躍。近著に在独歴40年放送記者歴50年を紡いだ「放送記者、ドイツに生きる」がある。

会津磐梯山リミックス2015

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2015年3月7日に脱原発を願い、ベルリンで行われたかざぐるまデモ「福島を忘れない」のために提供された14曲の会津磐梯山リミックスを無料ダウンロードアルバムとしてリリースしました。

https://sayonaranukesberlin.bandcamp.com/album/remix-for-fukushima

バラエティにとんだ新しい会津磐梯山をどうぞお楽しみください。
この場をかりて、私たちの活動に賛同の意を表し、無償で楽曲を制作・提供していただいたアーティストのみなさまへ厚く御礼申し上げます。

※著作権は楽曲提供者である各アーティストに帰属します。許可なく営利目的で使用することはご遠慮ください。

Sayonara Nukes Berlin

経産省前テントの危機と木内みどりさんから届くバナー。

国会議事堂周辺で続けられている金曜デモでもおなじみの経産省前テントがいよいよ撤去の危機に迫られています。明日の2月26日に結審となるようです。

こちらのテント前広場には、SNBメンバーもたびたび訪れては交流をはかってきました。過去のブログ「かざぐるま@金曜デモ!」でも触れています。日本での原発反対運動のともし火が消えないよう、みなさんからの抗議と支援のメッセージをお願いします。

詳細は以下のフライヤー(日・独文)をご覧ください。自由に拡散してくださって結構です。

Japanese テントチラシ D (neu) テントチラシ・2015・02・19

Germany テントチラシ・2015・02・19

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木内みどりさんから戴いたお写真、経産省前にて。

また、折しも今年の3月7日のかざぐるまデモに向けて、女優の木内みどりさんが自費で製作された経産省前テントとお揃いのバナー「DON’T FORGET FUKUSHIMA」が贈られることになりました。この場を借りて今一度お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。みどりさんの熱い思いがあふれるブログ木内みどりの発熱中!「次から次へと伝えたいことが…」の後半にも書かれています。

Sayonara Nukes Berlinがベルリンの地で独自にデモを立ち上げて3年目を迎えようとしています。日本とベルリン、脱原発を目指してどんどんみんなの気持ちがつながって行きます。頑張れ経産省前テントひろば!R

2015年3月7日はベルリンかざぐるまデモ

 

姜尚中氏からの応援メッセージ。

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2014年かざぐるまデモ

姜 尚中氏から脱原発に向けて応援メッセージを戴きました。ありがとうございます。

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人は自然の一部のであり、食物連鎖の中でしか生きられないことを、ミナマタが教えてくれた。自然に対する絶対異物である放射性物質は食物連鎖をズタズタに引き裂く悪そのものだ。それが爆発力をもった時、ヒロシマは灰燼と帰した。そして、フクシマでは放射能の恐怖が食物連鎖を引き裂こうとしている。ノーモア、ミナマタ、ノーモア、ヒロシマ、ノーモア、フクシマ、虫けらにも、血が通っとるとぞ!                                                                                         聖学院大学 姜尚中

姜尚中 (カン・サンジュン) Kang Sang-jung (1950年8月12日-)
国際基督教大学助教授・準教授、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授を経て、現在は聖学院大学学長。専攻は政治学、政治思想史。
主な著書に『オリエンタリズムの彼方へ――近代文化批判』、『マックス・ウェーバーと近代』、『ナショナリズムの克服』、『姜尚中の政治学入門』、『日朝関係の克服』、『在日』、『ニッポン・サバイバル』、『愛国の作法』、『悩む力』、『母~オモニ』など。

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2015年3月7日はベルリンかざぐるまデモ

 

津島佑子氏からの応援メッセージ

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2014年度ベルリンかざぐるまデモ

津島 佑子氏から脱原発に向けて応援メッセージを戴きました。ありがとうございます。

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原発の時代はもう終わらせなければならない、と心から思います。

とりわけ、福島第一原発の爆発事故を起こした日本の私たちからその流れを大きくしていかなければなりません。
たかが電気を作るのにどうして原子力などというものを使わなければならないのか、核兵器への執着がそこには隠されていることは明白です。そして、必ず出てしまう「核のゴミ」の問題もあります。核物質の管理のため、必ず原発は非民主的に運営される運命にあります。グローバルな原子力産業は、非人間的な兵器産業とも結びついています。
たかが電気を作るのに、これほど人間性を無視した仕組みを許容しなければならないとは、あまりに愚かで、滑稽な話です。

 

津島 佑子(つしま ゆうこ、1947年3月30日 – ) 小説家。作品は世界七カ国語に翻訳されており国際的にも評価が高い。小説家、太宰治の次女。

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2015年3月7日はベルリンかざるぐまデモ

柄谷行人氏による応援メッセージ

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2014年度ベルリンかざぐるまデモ

柄谷行人氏より、応援メッセージを戴きました。ありがとうございます。

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私が原発に反対する理由は二つある。

第一に、国家が原発を持つのは核兵器を持つためである。

それ以外の口実は虚偽である。

第二に、原発は末端の奴隷労働を不可欠とする。

それが将来技術的な発展によって無くなるというのは虚偽である。

原発に反対するために、この二つ以上の理由が必要だろうか。

 

柄谷行人(からたに こうじん、1941年8月6日 – )
日本の哲学者、思想家、文学者、文芸評論家。兵庫県尼崎市出身。

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2015年3月7日はベルリンかざるぐまデモ

http://kazagurumademo.de/