「ドイツの取り組み」カテゴリーアーカイブ

2014年5月10日エネルギーシフトを救えデモ。

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5月10日、ベルリンで「エネルギー転換」を救うデモがあり、約12000人(主催者発表)が参加しました。このデモは水上デモからはじまりました。120槽のボート、カヌー、いかだがベルリン中央駅近くのフンボルト港から出発し、連邦議事堂、議員会館付近を流れるシュプレー川を行き来しました。

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ボートやカヌー、いかだには「ENERGIEWENDE JETZT!(今すぐエネルギー転換)」「Ökostrom-Ausbau(エコ電気の拡充を」「Fukushima ist überall. AKWs jetzt abschalten(フクシマはどこでも起きる、原発は今すぐやめよう)」 「Sonne und Wind statt Kohle und Atom(太陽と風が石炭と原子力の代わりになる)」など、原子力や石炭による発電ではなく、再生可能エネルギーへの転換を求める横断幕やプラカードがかかげられ、観光客、通行人に水上から訴えていました。

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メルケル首相とガブリエル・エネルギー相(SPD)に扮した人が「MIT UNS IN DEN UNTERGANG!(わたしたちと沈もう)」の文字を背景に握手をしたり、手を振ったりするパフォーマンスを見せるボートもありました。

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ふたりが棒を持ってボートを叩き壊すパフォーマンスも。今回のデモのテーマは「Energiewende nicht kentern lassen(エネルギー転換を沈ませるな)」ということなので、ふたりに任せていると船(エネルギー転換)が沈んでしまうと皮肉るものだったのです。

水上デモが終盤に近づくに連れ、橋の上に人が集まってきました。一人が「Atomkraft?(原子力)」と問いかけると「Nein!(いらない)」と参加者からの声が返ってきます。「Kohl?(石炭)」「Nein!」そして、「Energiewende?(エネルギー転換)」「Ja!(そうだ)」の声が。そのかけ声が出発の合図だったのか、橋の上にいっぱいになった人たちが今度は路上デモを開始。首相府、議員会館、連邦議会、ブランデンブルク門の前を通り、CDUの本部まで歩いていきました。一緒になって歩いていると、さまざまな団体が参加しているのがわかりました。そして、ニュルンベルク、ライプチヒ、ハンブルクなどドイツ各地から参加していました。

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国会議事堂前にて。

参加者はそれぞれの主催団体が用意したものや自分で作ったプラカードや旗、横断幕を持ちながら歩いていました。天然ガスについて「Biogas:Wir können immer(天然ガス:わたしたちはいつでもできる)」「Biogas:Wir Sichern Die Enegieversorgun(天然ガス:わたしたちはエネルギー供給を保証する」などと書かれたものも。「KEINE WINDFLAUTE(無風はない)」の旗はまさしく風になびいていました。マイクを通し、「みんなで力を合わせればできないことはない」と歌を歌うように何度か繰り返す若い女性の声が印象的でした。(文責Yuki)

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昨年11月のエネルギーシフトを救えデモでも見かけたプルトニウムの注射を持った死神。

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デモ行進後、会場をメルケル率いるドイツキリスト教民主同盟本部(CDU Bundesparteizentrale)前に移して。日本で言えば、自民党本部のほんとうに目の前で1万人規模のデモを行うという事。そして原発を廃炉と決めても、さらに温暖化に影響を与える石炭もやめろと声をあげる市民たち。何処か日本と違わないだろうか。ベルリンは世界の先進国の都会の中でも自然が多いと有名な都市である。そして全てとは云えないが、この国の人々は、日頃から本当によく環境や人間以外の生き物について考えている。

環境保護団体をはじめ緑の党や左派党の設ける各ブースも賑わった。最終地点に到着後、ビールを振る舞うトラックも。この日は、都合により子どもたちと一緒に最終地点のこちらの会場前から参加したのだが、子どもたちは、軽食をもらったり、ビーチボールや風車をもらって楽しんだ。

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この日はベルリン生まれの人気アーティストSEEEDがライブをするとあってか、中高生をはじめとする若者の姿がいつもに増して目立った。以前、ベルリン市内の高校で行った討論会にて、現地高校生らからこういう発言があった。「僕たちはよくFacebookやSMSで○○デモ行こうぜ、と誘い合うが、日本の高校生たちはどうだ?」その時、日本から来ていた高校生8人は互いに顔を見合わせ首を横に振ったが、この日の人気のアーティストの出演に関わらず、ここでは中高生も自発的に政治活動に関心を寄せて参加する。南ドイツで行われた大規模な高校生の立ち上げたデモもまだ記憶に新しい。

SEEEDがベルリンについて歌っているベルリン映像満載のPVで、ベルリンの景色をどうぞ。

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ついでと云ってはなんだが、メルケル首相の選挙のプラカードに悪戯する人続出。無論こうした行為は日本同様に罰せられるが、選挙のプラカードに悪戯されるのはこちらでは日常茶飯事。地区によっては落書きのないプラカートを探す方が難しいかもしれない。我が家の周辺でもCDUのプラカートには軒並み、悪戯が。こちらの微笑むメルケル首相のプラカートにある「Gemeinsam erfolgreich in Europa(ヨーロッパで一緒に成功)」を、「einsam erforgreich in Europa(ヨーロッパでひとりで成功)」なんて皮肉な言葉遊びも良く見かける。(文責R)

Ich bin ein Erbsenzähler!

Ich bin ein Erbsenzähler.

私はErbsenzählerだよ、という発言が一番印象に残った。ドイツの反原発運動では大変有名なセバスチャン・プフルークバイル(Dr.Sebastian Pflugbeil,最後に紹介)氏の言葉だ。直訳すると「エンドウ豆を数える人だよ」。日本語にすると「俺は重箱の隅を突く人だよ」となる。

3月28日の晩の7時から9時過ぎまで同氏は独日平和フォーラム(100名ほど参加)でオイゲン・アイヒホルン(Prof. Eugen Eichhorn)氏の司会でまずフクシマについて、次に核と機密保持について話した。第一部では、日本の状況に対して非常に批判的な発言が多い同氏の皮切りは、意外にも瀬戸内海にある祝島の人々との心温まる交流の紹介だった。祝島では3.5キロの海を隔てた本土側の上関に中国電力が2基の原発を建設すべく埋め立てをしている(ただし、原発建設許可はまだおりていない)。25年ほど前の計画当初から、祝島の島民は絶対反対の闘争を続けている。具体的な闘いの一つは漁業組合への補償金支払いの拒否であった。3・11の後も闘いは続いているそうだ。

日本の原発計画で中止に追い込まれた数は6つにも上がる。これらの例でも分かるように日本でも成功した闘いがあるのだというのが同氏のメッセージだった。次に福島での線量の市民測定運動、さらに双葉町の江戸川元町長との交流を紹介した。最近の安倍政権下の原子力村の攻勢によって反対運動はとても苦しい闘いを強いられている状況を述べた。

フクシマのブロック4が非常に危険な状況にある。現在いつ倒壊してもおかしくない4号炉の建物の上部にある燃料プールから燃料棒を敷地内の地上プールに移しているが、建物が壊れたり、あるいは多量の燃料棒が外れて落ちたりした場合には、日本だけの問題では収まらず,北半球全体が汚染されるだろう(注:この問題のジレンマは、そのまま放っておけば危険度が時間とともに高まっていくことだ)。太平洋の北米海岸で最近おかしな魚がたくさん獲られているが,フクシマの影響でなければいいがと心配している。特にストロンチウムが問題だが、日本では話題にもなっていない。福島県内では年間数十ミリシーベルトの強い放射能の環境下で多くの県民が生活しているが、政府は問題ないと言い放っている。子どもを抱えた避難家族では鬱になっているお母さんが多いと聞いている。本来ならできるだけ放射能汚染の少ない地域に避難・疎開させ,そのための補償金および資金を支給すべきなのに、政府は反対の政策を推し進めている。国際原子力機関のIAEA (International Atomic Energy Agency, 国際原子力機関)は福島県とパートナー契約を結んだりして、政府の政策の後押しをしている。

第2部は「核と機密保持」と題して、1938年に核分裂が発見されて以来,多くの情報が秘密にされ、市民は知らされないようになった。関係者は情報を公開しないか、公開したとしても虚偽の情報を流すかして、とにかく真実は隠されている。ナチドイツで1944/45年に原爆のテストが行われ、その過程でKZブーヘンバルドでは500名の収容人員が亡くなっているという説を最近主張している人もいるそうだ。Pflugbeil 氏は十分あり得たと言った。ちなみに、アインシュタインなどが、ヒトラーよりも早く原爆を作らないと悲惨な結果になると米国のルーズベルト大統領に訴えて、7年間という驚異的なスピードで原爆を製造し、広島、長崎の悲劇に至った話は有名だ。だが、後で分かったことだが、ヒトラーは原爆に潜まれている驚異的な可能性を信じなかったか、あるいは理解せず、製造を熱心に押し進めなかったというのが定説になっている。米国のたくさんの原爆と水爆のテストについて情報がほとんど公にされることはなかった。犠牲者は放射能による被害を訴えるにも証拠になる情報が手に入らないので、なす術もない。ソ連でもたくさんの原爆がテストされ、またそのためにたくさんの人命が失われたが、公開されることはなかった。東独でも西独でも核に関する機密保持があり、今でも変わらない。チェルノブイリの事故についても未だに犠牲者に関して正確に公開されていない。Pflugbeil 氏はさらに例を挙げたが、多いので、ここでは省く。

質問の時間になり、核に関しては強大な秘密組織がすべて操っているようだが,我々市民は何も出来ないのかという質問に対して、冒頭の「Ich bin ein Erbsenzähler」が彼の答だった。小生が理解するには、我々は小さな事実を見つけ、それらを積み上げて、秘密のベールに包んで核を推進している連中に対抗していかなければならないということだろう。では、我々もエンドウ豆を一粒ずつ数えていこう。

 

福澤 2014年3月30日

セバスチャン・プフルークバイル(Sebastian Pflugbeil)

経歴:1947年生まれ。物理学博士。1986年チェルノブイリ事故以来放射線防護問題に取り組む。

ドイツ放射線防護協会会長。オット・フーク放射線研究所員。欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。

1990年には東独の無任所大臣。1991年から1995年まで、ベルリン市議会議員も務める。

 

ブラウンシュバイクの3・11祈念式に参加して

ブラウンシュバイク市の福島3・11祈念式に参加して

3月8日にベルリンの反原発デモを一緒に行ったSchacht Konrad(コンラート立坑)の招待で3月10日にブラウンシュバイク市の福島3・11祈念式に参加してきました。ベルリンの準備グループに加わっていたユリアーネのお父さんのペーター・ディッケル氏がベルリンに用事(ドイツ環境大臣との会合)で来ていたので、彼の車に乗せてもらってブラウンシュバイク市に行きました。そのペーターさんは筋金入りの活動家で、すでに反原発運動を35年も続けて来ているそうで、シャハト・コンラート運動の中心人物です。シャハト・コンラートは100年以上前から1970年代まで鉄鉱石を掘り出す鉱山でした。非常に乾燥した鉱山ということで、連邦政府がドイツの核廃棄物の最終処分場の候補地として指名し,75年から調査が始まりました。その時からディッケル氏は反対運動に主体的にコミットしています。

ドライブの途中に核廃棄物処分地のMorsleben(旧東独)とSchacht Asseを外から見学しました。Morslebenは塩山として使われた後、東独時代に核廃棄物処分地として指定され、統一後は連邦政府に引き継がれました。住民は現在反対運動を起こしています。ベルリンから同乗したのが運動の代表を務めているフックスさんでした。Schacht Asseは同地から10キロぐらい離れた旧西ドイツ側にあるやはり元塩山で、1995年から2004年の間に16100樽の核廃棄物が運び込まれました。ところが地下水が流れ込み、金属製の樽を浸食し始めたのです。ディッケル氏によれば、鉱山の現場の人たちはその危険を指摘していたそうです。そこで2008年に運び込みがストップされ、最終的に取り出すことになりました。しかしウランが25キロ、危険なプルトニウムが6キロなども入っていて、どのように取り出すか、現在議論されています。3月初めにヘンドリックス環境大臣(Barbara Hendriks,SPD)がここを訪れ、正直言ってどう、またいつ運び出せるか分からないと途方に暮れている様子が報道されました。ちょうどそのニュースを見た記憶があったので、余計にInfo-Hausで展示されていた半壊した樽の写真が印象深かったです。次にSchacht Konradを見学しました。ここにはまだ廃棄物は運び込まれていないそうです。地域の人の反対が強いからだそうです。ディッケル氏の話では、福島の事故の後,地域の人たちによるキャンドル記念連帯の夕べには2万8千人が蝋燭を手に沿道に並んだそうです。素晴らしく感動的なシーンだと言っていました。

5時半頃にやっとブラウンシュバイクの市庁舎前の広場に到着しました。すでに50人以上の人が三々五々と立って、集会が始まるのを待っていました。反原発のポスターやフライヤーなどを並べたテーブルもありました。司会役のマリアさんが挨拶に来ました。僕がトップバッターだとのこと。夕方6時過ぎに150人ほどが集まり、祈念式が始まりました。僕は用意したドイツ語原稿を読み上げました。後から話した皆さんのようにフリーに感情込めて演説を打つのはドイツ語では無理です。福島をめぐる日本の現状を報告しました。そして、みなさんの連帯をこれからも必要としているという言葉で結びました。

ドイツ語演説全文Rede an der Schacht Konrad

映像でご覧になりたい方は:

その後4人(ペーターさんも)の話が続き、1時間ほどで式を終えました。みなさん本当に息の長い運動をして来ているなという印象を強く感じました。

7時過ぎに市庁舎内の政党議員室(彼らの市民連合による政党)で10人ほどの参加者に質問に答える形で日本の現状について多少詳しい話をしました。原発からの撤退はもちろん重要だが、まず汚染区域から子どものいる家族を優先して移住させるべき方向に運動の目的を決めるべきだと述べました。それと汚染水問題も含めて福島の問題解決がまったく宛にならない東電の手に握られているのが大きなジレンマだということを強調しました。

帰宅は最終電車に何とか間に合いました。

最後にディッケル氏から『Atommüll(核のゴミ)』という270頁にもなる本を頂きました。昨年の8月に行われた全国の活動家による「核のゴミ会議」で発表されたデーターをまとめた本です。10日の朝ヘンドリックスドイツ環境大臣に渡したところ、ドイツの90か所の処分場をすべて網羅したこのような資料がほしかったのだと誉められたそうです。本来なら金もマンパワーもある環境省が作成すべきなのだと彼は半分怒っていました。これをみてもいかにドイツの反原発運動と環境運動が大きな勢力になっているかが分かります。日本の反原発運動も原子力村がごまかせないようなデーターを集め,突きつけられるように早くなりたいものです。

福澤

福島の高校生とのウオーキングツアー

今年の夏、日本のNPOの団体の主催で福島からドイツを訪問した高校生たちといっしょにベルリンの街を歩いてドイツがどのように環境にやさしいまちづくりをしているかを歩いて学ぶウオーキングツアーをしました。時間が経ってしまいましたが、そこで学んだことをこの場で紹介します。

ドイツ連邦議事堂のドーム型の天井はガラス張りで日光を取り入れやすくなっています。屋上にはソーラーパネルが設置されており、発電された電力を電力会社に売っているとのことでした。議事堂の地下には暖かい空気と冷たい空気をためるタンクがあり、夏は冬にためた冷たい空気を館内に送り、冬はその逆の作用をします。そうすることでなるべく電力を使わない工夫をしていることがわかります。

議事堂の屋上からは火力発電所が見えました。煙突の近くに台形状の建物があります。それは電力をつくる際に出る熱を冷却するための冷却塔です。しかし、冷却する際に出る水蒸気が空に上がりやがて雨となって地上に降りてきます。そのため上空の水蒸気が増え集中豪雨や最近の異常気象の原因になるとのことでした。

国会議事堂の屋上から見える火力発電所
国会議事堂の屋上から見える火力発電所

議事堂の屋上からはベルリンの街が一望できます。ベルリンは緑が多いなと感じていましたが、上から眺めるとあらためて緑が多いことに気づかされます。至るところに公園があり、主要道路も直線で幅があり、街路樹が茂っています。なぜ道路が広いのか、暑い空気が街にたまらないよう風通しのいいまちづくりをしているからです。なぜ緑が多いのか、木を植えることで日陰を作って空気が暖まらないようにしているからです。

ベルリン中央駅でもさまざまな工夫を知ることができました。屋根はすべてガラス張りです。これも日光を取り入れやすくするためです。そうすれば日中照明が必要なくなるので省エネできます。ドイツ鉄道(Deutsche Bahn・日本のJRにあたる)ではドイツ政府のエネルギーを再生可能エネルギーに転換する政策に呼応して2050年までにはすべての電力を再生可能エネルギーにするとの目標を出しています。ドイツ鉄道が発行しているバーンカードというものがあります。これは年に一度、一定料金を払うと、ドイツ鉄道の切符を買う際に割引が効くカードです。現在、このカードを所有する乗客の分の電力が再生可能エネルギーでまかなわれています。

ベルリン中央駅のホームで説明を聞く高校生たち
ベルリン中央駅のホームで説明を聞く高校生たち

駅には分別ゴミ箱が設置されています。紙、プラスチック、ビン、その他です。コカ・コーラ社のみがリユースするリターナブルボトルを採用しています。リターナブルボトルを使用すると工場までビンを戻さなければいけないため、コカ・コーラ社は各地に工場を分散させています。
ベルリンの街を歩いていると自転車で移動する人が多いことに気づきます。自転車専用道が整備されているため主要な道路でも比較的安全に乗車することができます。観光地でもあるベルリンでは店頭で借りるレンタサイクルも多いですが、ドイツ鉄道が運営するレンタサイクルがあります。その名も「Call a Bike」。駅前に限らず、街のあちこちで乗り捨て可能です。インターネットで登録し、携帯電話で暗証番号を聞き取り、施錠・解錠ができる便利な仕組みです。ベルリンは公共交通機関も発達していますが、気軽に自転車を使えることで二酸化炭素の排出を押さえる努力も見られると感じました。

今回のツアーではドイツ政府とベルリン、企業が脱原発と環境にやさしいくにづくりをするために実践している姿を勉強できました。日本では福島の原発事故が解決していないにもかかわらず、政府が海外に原発技術を輸出しようとするなど日本と海外の人々に対して無責任な態度を取り続けています。今回学んだドイツでの取り組みから日本でも脱原発に向けてできることを学べるのではないかと感じました。

電力供給の市民表決 Volksentscheid

volksentscheid2この日曜日に、ベルリンでは電力供給を電力会社から市民組織に移行させるか否かの選挙がありました。この選挙が成功すれば、今まで電力会社が牛耳っていた電力に関するすべてのプロセス(発電方法から組織としての管理まで)を市民が参加して決められる上に、100%再生可能なエネルギーをフェアに配分できるということで、私も非常に期待していました。
しかし・・・残念ながら選挙は失敗してしまい、ベルリン独自のエコなエネルギーの夢は消えてしまいました。それでも、今回の選挙から学ぶこと、得られたことはたくさんあると思うので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

まず、こういう政治参加の形態があるということ自体、私はすごいと思いました。
今回のような選挙のことをドイツ語ではVolksentscheidといい、日本語だと住民(国民)表決、レファレンダムなどというようですが、ピッタリ来る日本語訳が思い浮かびません。そもそも、こういう形の政治参加は日本にはない、少なくとも一般市民の日常生活のなかで起こるイベントとしては稀なのではないかと思います。今回の選挙はベルリン市だけで行われたものなので、便宜上ここでは市民表決という言葉を使います。 続きを読む 電力供給の市民表決 Volksentscheid

2.6.2013 “Sayonara Nukes Berlin” beim 18. Umweltfestival

今年のベルリンは、6月に入れどなかなか安定した陽気を迎えられず、環境フェスティバルの参加を決めた日曜は朝から注意報が出る程の悪天候に見舞われた。そんな中、私たちは雨にもめげず雨除け対策万全とインフォスタンドの設営に励んだ。

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スタンドは賑やかに彩られ。

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Umweltfestivalは、例年ベルリンで開催される大規模な環境フェスティバルである。市内のみならず、ドイツ各地より、日頃から環境問題に関心を持つ様々な来場者が訪れる。フェスティバルと並行して行われる自転車デモにも、老若男女たくさんの参加者があったという。

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チェルノブイリの深刻な影響は続く。27年の歳月を経てもドイツ国内で販売されるブルーベリージャムはセシウム高濃度。驚く来場者。

私たちのインフォスタンドは、天候不良や初参加にもかかわらず多くの人々に立ち寄っていただき、実りのある活動をする事ができた。深刻化する一方の日本の放射線被害の現状のみならず、ドイツをはじめヨーロッパ諸国が未だに抱え続けるチェルノブイリ被害の一部を報告すると共に、ベルリン在住のアーティストらの協力によって実現した脱原発グッズの販売、女の会と有志の協力により日本の脱原発に向けたさようなら原発集会の署名331筆を集める事ができた。また、Manami N.氏の協力により、先日の敗訴の知らせを受けメンバーも一同衝撃を隠せなかった”ふくしま集団疎開裁判”への応援メッセージを、快諾する来場者から撮影する事ができた。 続きを読む 2.6.2013 “Sayonara Nukes Berlin” beim 18. Umweltfestival